あなたに触れて愛を知る



荒北くんのどこが好きなんだろうと考えてみる。
顔が好き。目つきが好き。まつ毛も好き。眉毛も好き。足のつま先から頭のてっぺんまで、どこを切り取ったって好きだけどそうじゃない。きっと私は荒北くんが今とは違う別の顔をして、別の身体をしていたって荒北くんのことが好きになっていると思う。

綺麗に整頓された部屋を見て、毎日を丁寧に過ごす荒北くんを見て、礼儀正しい荒北くんをそこらじゅうから感じて、好きだと思うと同時に自分の不甲斐なさを突きつけられて勝手に落ち込んでいる今の私は相当面倒臭い女だ。

でもだって、どうしたってこの現実に打ちのめされる。荒北くんと私を比べて、泣きたくなる。
同じように仕事をして、同じような毎日を生きているのに、こんなにも差があって荒北くんのことを遠くに感じてしまう。私は何者にもなれない。何のために荒北くんの彼女としていられるんだろう。私がいることで荒北くんには何のメリットがあるんだろう。遠距離で、会いたい時に会えるわけでもないし抱きたい時に抱けるわけでもない。じゃあ、その分荒北くんのことを受け止めて甘やかせているかと言えばそんな気もしない。荒北くんと会えば大抵は私の話をしてしまうし荒北くんは聞き役に徹することが多くて、私の話を聞いて私を包み込んでくれる。厳しいことを言われることだってあるけれど、それが荒北くんなりの愛し方だとわかっている。そうやって、どちらかと言えば私が荒北くんに甘えて、荒北くんに支えられて生きている。荒北くんがいなくちゃダメになっている。

荒北くんと出会って、荒北くんと付き合って、荒北くんが私の世界の中心にいる。荒北くんのためなら何だって出来る。何だってしてあげたい。その想いは本物なのに、私は荒北くんに何もしてあげられない。

それに、きっと荒北くんは私にしてほしいことなんてない。
荒北くんは、自分自身で道を切り開いていく力がある人だから。

私は荒北くんのそんなところが好きだ。
自分で決めたことに自分で責任を持てるところ。
決めたらとことん努力をして自分が望む結果を自分自身で掴み取ることができるところ。
誰かに頼ったりしないところ。
ひたすら真っ直ぐ進んでいけるところ。
嘘も、怠惰もない。

それが出来る人って、多分この世に少ない。荒北くんの馬鹿正直で、強い心に私はどうしようもなく惹かれてしまう。
この人の支えになりたい。助けになりたい。もしも、荒北くんが何か壁にぶつかって、挫けてしまいそうな時も私のことを思い出してくれたらまた後一歩踏み出すことができるような、そんな存在になりたくて、私は荒北くんと結婚がしたい。将来ずっと、隣にいるのは荒北くんがいい。荒北くんのために生きて、荒北くんのために死にたい。
だけど私はちっぽけだ。荒北くんを支えるだなんて、どうやって出来るというのだろう。
部屋の中を見渡して、思う。私がいなくたって荒北くんの生活は成り立っている。私が出来ることなんてないのかもしれない。荒北くんよりもずっとずっと小さな私が、荒北くんに何かしてあげたいだなんて。荒北くんを支えるために結婚したいだなんて。なんと烏滸がましいことだろう。

お嫁さんになりたかった。白いドレスを着るしーちゃんは綺麗で、美しくて、そしてどうしようもなく羨ましくて、怖くなった。
私はそのドレスを着ることが出来るのだろうか。どうして荒北くんは私と結婚してくれないんだろう。もう何年も付き合っているのに、そんな話が出たことなんて一度もない。ブーケを見せたって、結婚式の写真を見せたって、荒北くんからの反応はイマイチで、それに対して何かを言うのは怖かった。荒北くんの口から、聞くのが怖くて逃げるように笑って誤魔化すことしかできなかった。
心のどこかにずっとずっと引っかかっていた棘がある。ブスブスと私の心臓を突き刺す棘が、少しずつ増えていって苦しくて息ができなくなる。

荒北くんを支えたいのも本当。結婚したいのも本当。荒北くんが好きなのも本当に本当。
だけど、荒北くんと結婚したいと思うことは苦しくて辛くて寂しい。何もない自分を知ることになって、何もできない自分が嫌いになって、こんなんじゃダメだって、頑張っても頑張ってもどうにもならないくせに、こうして静岡にまで押しかけて。勝手に荒北くんを遠くに感じて。綺麗な部屋で1人うずくまって泣いている私はどうしようもなくわがままで、かっこ悪くて嫌い。こんな私じゃ選ばれないって分かってるのに、でも私は何にもなれない。荒北くんにとって、私って何なんだろう。世の中に私がいる意味って何なんだろう。

ぐるぐる頭の中がダメな方向へと進んでいって、その分が涙になってぼたぼたと溢れていく。張り詰めていた糸が、プチンと音を立てて切れてしまったかのように、私はその場にしゃがみ込んで泣くことしかできなくなってしまった。
カンカンと、階段を登ってくる音が玄関の向こうから聞こえてくる。荒北くんに会いたい。会いたくない。今会ったってきっと、私は荒北くんに何もできないし何も言えない。だけどその場から動くこともできずに、零れ落ちていく自分の涙をまるで画面の向こうのように呆然と見つめていれば、ガチャリと音がしてドアが開く。


「江戸川!お前鍵閉めろって何回…」


大声で名前を呼ばれても、私はぴくりとも動けなかった。力が抜け切った身体はまるで自分のものとは思えなくて、動くこともできやしない。玄関入ってすぐ、荒北くんが目にしたのはだらしなく床に座り込んで微動だにしない私の後ろ姿。


「…江戸川?」
「…」
「オイ、なんだヨ。どうした?こんなとこで座ってンじゃネェヨ」
「…」
「…アー…ナニ?荷物重かったか?持ってやッから、オラ、部屋行け」


後ろからはがさごそと靴を脱ぐような音が聞こえて、そのまま私を影が包み込む。伸びてきた手が私の前にあった買い物袋をヒョイっと持ち上げて、反対の大きな手が私の頭に乗っかってわしゃわしゃと乱暴に撫で回してくれる。


「江戸川。ほら、立てって」
「…」
「…はぁー…」


返事ができずにいれば、聞こえてきたのは長いため息と大きな舌打ち。その音に、今度は私の肩がぴくりと勝手に反応する。
自分勝手だ。返事もできずに、黙り込んで座っている私が悪いし、怒られたって嫌われたってしかたないのに、荒北くんに嫌われたと思ったら身体が動くなんて。どこまでいっても私は自分ばかりで、荒北くんのことを大切にできていない。


「お前、何しに来たの?」
「…」
「俺のこと怒らせに来たワケ?」


頭上から聞こえる荒北くんの声。
私、何しにここに来たんだっけ。何のために来たんだっけ。もう何も分からない。何も分からないけれど、荒北くんを怒らせに来たわけじゃない。嫌われたくない。好きだ。どうしようもなく荒北くんのことが好きで、会いたくて、会いたくて、私がここにいる理由なんてそれだけしかなくて。


「…荒北くんが、好きだよ」
「ハァ?」
「荒北くんのことが好き。荒北くんと一緒にいたい。荒北くんのために何かしたい。荒北くんに…会いたくて、っ…」


やっと動いた私の口からはぼろぼろと言葉が溢れていく。今まで言えなかったことも、全部全部。

荒北くんのことが好きなこと。だけど同時に荒北くんといると自分の情けなさが浮き彫りになって辛いこと。本当は部屋が汚いこと。頑張ってみたけど自炊が続かないこと。仕事だって要領良くこなせなくて、残業ばかりしていること。荒北くんと一緒にいたいのに、どうしたら荒北くんと一緒にいられるのか。荒北くんが私と一緒にいたいと思ってくれるのか分からなくて苦しいこと。

うまく言葉になったかなんて分からないけど、一息でそれらを伝えればまた私の目からはぼろぼろと涙が溢れて止まらなくなる。


全部言い終えて、はぁっと息を吐いたらその瞬間。後ろから思い切り抱き締められた。私を包み込むようにして、荒北くんの大きな身体がぎゅっと、苦しいくらいの力を込めて抱き締める。私の左肩に乗っかった荒北くんの顎。そのせいで耳共に直で聞こえてくる荒北くんのため息。それは、さっきのものと違って小さくて、震えているような息の音がする。


「悪かった」


まさか、謝罪の言葉が聞けるなんて思っていなかった私は後ろを振り返ろうとするけれど、抱き締めてくる力が強くて敵わない。荒北くんが謝ることなんて、何一つない。荒北くんは悪くなくて、悪いのもダメなのも全部私だけなのに。
私は何のために来たの?荒北くんに笑って欲しいのに。顔は見えないけれど、きっと今、荒北くんは笑ってなんかない。あぁ、やっぱり私って荒北くんに何もしてあげられない。悲しませてたり、怒らせたりすることしかできないなんて、もう本当に死にたくなる。


「ごめんなさい、ちがくて、私、っ」
「悪かった。ちがくなんかネェから。俺が間違ってた」
「そんなこと…」
「俺が江戸川のことちゃんと見れてなかった。分かってたのに、お前がそういう奴だってこと知ってたのに、お前に甘えてた俺が悪いのィから、江戸川は謝ンな」


そのまま「江戸川」と名前を呼ばれて、荒北くんの右手が私の頬をなぞる。そのまま左を向くように力が込められて、私はされるがままに左を向けば目の前には荒北くんが視界いっぱいに広がっている。真っ直ぐで黒い瞳が私を射抜く。その視線も、私が好きな荒北くんの一部だから、ぎゅっと心臓が掴まれたように苦しくなってしまって、好きが溢れ出す。


「俺は江戸川が好きだ」
「…っ、」
「それは別に、江戸川に何かを求めてるわけじゃネェヨ。あれやって欲しいとか、これやって欲しいとかそんなのネェし、お前が何者でなくても別にイイヨ」
「でも、」
「江戸川から見て俺がどう映ってるかなんて知らねェけど、それはお前も同じだろ」


そう言いながら、荒北くんの眉毛が垂れ下がるのを見つめていれば視線が逸らされて腕の中で身体の向きを強引に変えられる。くるりと回転させられて、私は荒北くんと向き合うような形になったかと思えばまた、強い力で抱き締められて今度は顔が見えなくなってしまった。今、荒北くんはどんな顔をしているんだろう。悲しい顔をしないで欲しい。笑っていて欲しい。私といるときは、楽しくて幸せな気持ちになって欲しい。


「俺が、お前の目にちゃんとした人間に映ってるンだとしたら、それはお前のせいだから」


抱き締める腕に力が込められて、苦しい。骨が軋むような音がして、息をすることも難しい。


「江戸川がいるから、俺は今の自分の人生が楽しくて幸せ。だからお前はいつもみたいにぎゃあぎゃあ喧しく俺のことが好きだッて、言ってればイイヨ」
「…好き、荒北くんが、大好き…っ」
「一生そう言って、俺の隣にいてくれればそれでイイヨ」


「江戸川がいるから、俺は正しく生きられてるんだ」

そんな言葉を聞いたらまた、涙が溢れてきて止まらなくなってしまって、手を伸ばして私も荒北くんのことを抱き締める。好きで好きで仕方がないんです。どうしようもなく愛おしくて、それだけで泣けてきちゃうくらいに、荒北くんのことが好き。私も一生荒北くんの隣にいたい。何者になれない、ただの私ごと引き取ってくれるなら、こんな幸せなんてきっともうない。

荒北くんと出会って、荒北くんを知って、好きになって、愛して、そうして出来上がった私が荒北くんの幸せをつくっているのなら、もうなんだっていい。
私が荒北くんの手を引くのでもなく、荒北くんが私の手を引くのでもなく、2人で一緒に歩んでいければ、それで良い。私は荒北くんに何かをして欲しいわけじゃない。それはきっと荒北くんも同じだった。何かをして欲しくて一緒にいるんじゃなくて、一緒にいて欲しくて、愛しているから、何かをしてあげたくなる。何もしなくてもただ、荒北くんが隣にいてくれれば私は幸せで、それだけで満たされるのだ。

この人とこの先ずっと、一生一緒に生きたいって、多分そういうこと。





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