あなたのためならどこまでも



月曜日。仕事から帰ってきたのは夜21時を過ぎていた。はぁーっと長く重たいため息をついて、持っていた鞄を床に置いてパンプスを脱ぎ捨てて天を仰ぐ。

仕事は忙しい。ついこの前までは新人として学ぶことばかり。たくさん叱られて失敗して、それでも前に進むので一生懸命だった。夢中に、ガムシャラに走って走って食らいついて行く日々。
それからあっという間に年月が過ぎていき、気がつけば後輩が入ってきて人に教える立場になって慌ただしい日々を送っている。毎日毎日あっという間に過ぎていって振り返る暇もないけれど、この間荒北くんに言われて気づいたのはそれでも私は仕事が好きだってこと。
好きだから、頑張れる。好きだから一生懸命になれる。夢中になれる。
私が忘れかけてた好きって気持ちを思い出させてくれた荒北くんはやっぱり誰よりもカッコよくて私のヒーローだ。え、待って荒北くんってカッコよすぎない?本当にめちゃくちゃカッコいいんですけど。

荒北くんがいれば、きっと私は道を間違えることはない。
荒北くんが背中を押してくれる。

だから私はこれから先も荒北くんと一緒にいたい。

私がもらうだけじゃなく、荒北くんにも返していきたい。荒北くんの背中を押せるようになりたい。
2人で一緒に歩いて行けたら、こんなに幸せなことはないんだろうなって、そうやって思ってしまう。楽しい時も嬉しい時も、悲しい時も辛い時も荒北くんと一緒にいたい。

そんなことを考えて、よしっと気合を入れ直して部屋へと上がる。
部屋の中を見渡せば、気になることがたくさんある。山になった洗濯物。シンクに起きっぱなしの食器。ローテーブルの上に溜まったハガキ。控えめに言って、まぁ…そこそこ汚い部屋が目に映ってしまいうっとなる気持ちを、なんとか奮い立たせる。
この前決めたばっかりじゃないか私よ。全部頑張るって。頑張って、自分のことを自分でやるのは当たり前に。荒北くんのことまで気がまわるようないい女になれば、きっと荒北くんにも選んでもらえるはずだ。

よし、ともう一度気合を入れてから山になっていたよう洗濯物を全て洗濯機へと突っ込み、帰り道に買ってきたちょっと高い柔軟剤を入れてスイッチを押す。


「…やるぞ!」


そして洗濯機を回している間はローテーブルの上に散らばっているダイレクトメールやら出しっぱなしの化粧品やらを片付けた。少し片付けをすれば今度はあれもこれも気になってきてしまって、結局掃除機までかける羽目に。そんなことをしていればあっという間に時刻は23時を回ってしまった。慌てて服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びて、だけどいつもより念入りに髪の毛のトリートメントをして身体もスクラブでツルツルにする。
こんなことをして意味あるのか?って思うこともあるし、いい女ってどういうものか私もまだよく分かってないけど、きっと何にも手を抜いてはダメなのだ。魅力的で、荒北くんが手放したくないって思えるような…そんな女でありたい。いい女って…めちゃくちゃ大変だ。けど諦めたくない。私は絶対絶対、絶対に荒北くんと結婚したい。一生荒北くんと一緒にいたい。荒北くんにもそう思ってもらいたい。

それだけを考えて、私生活も仕事も手を抜かず完璧に全力でこなすことを続けて1週間。


「…やっぱりダメかも」


冷蔵庫の中には賞味期限が切れた食材と作り置きしても食べられなかった残念な食べ物たちもろもろ。結局洗濯物は山になり、シンクは洗い物で埋まり、ローテーブルにたまるダイレクトメール。調子に乗って本屋で買った料理本まで広がっているけれど、あれを使って料理したのなんて1回しかない。
あれ、私ってこんなに要領悪かったっけ?え?もう少し上手くやれてたと思うんだけどなぁ…。器用じゃないことは学生時代からよーく知っているけれど、ここまでとは思わなかった。
なんて、仕事から帰ってきて部屋を見渡しながら自分に絶望しつつも、ポケットで震えるスマホを見れば着信を知らせる通知。

さっきまで疲れ切って絶望していたのに、名前を見ただけでブワって、全部が飛んでいってしまう不思議。嬉しいって、ただそれだけが心に残る。ドキドキしてきゅんきゅんして、私の頭の中をいっぱいにしてしまう。
そんな風に高まる胸をそのままに、慌ててボタンを押してスマホを耳に押し当てた。


「荒北くんっ!」
『うわっ、いきなりデケェ声出すなヨ。夜だぞ』
「あは、ごめん。嬉しくてつい」
『嬉しくてッて…今なんかしてたァ?』
「あー…」


そう言われて、改めて部屋を見渡す。なんだこりゃ。本当、自分が嫌になる。何かしてた?って、何もしてないですただこの部屋と何もできない自分に絶望してただけです。なんて、正直に言えるわけもない。


「えっと、仕事帰ってきてちょっとゆっくりしてたとこ」
『フーン…お疲れェ』
「ふふ、荒北くんもお疲れ様」


スマホを耳に当てたまま、ゆっくりベッドへと腰を下ろす。
荒北くんからのお疲れって言葉すごいなぁ。仕事で聞くよりもずっとずっと嬉しい言葉になるし、それだけで今日1日の全てが報われた気になってしまう。


『今週、こっち来るッつッてたけどォ…来れんのお前』


あ、荒北くんに心配されちゃった。これはまずい。
本当なら私が荒北くんのことを気にかけてあげたいのに。荒北くんに心配されるなんてダメダメ。ちゃんとやってるって、ちゃんと出来るってアピールしなくちゃ。


「全然平気!何の問題もないから!行く!絶対に行く!」
『分ァッたから落ち着け』
「朝から行けるけど、荒北くんは?」
『あー土曜は午前中だけ出社すッから…鍵使って入っててイーヨ』
「仕事忙しいの?平気?」
『顔出すだけだからヘーキ。迎え行けなくて悪ィな』
「ううん。私も平気!もう何年も通ってるし、余裕ですから!」
『確かに』


ケラケラと、電話の向こうで聞こえてくる笑い声に心臓がキュウっとなる。嬉しいような悲しいような寂しいような、不思議な感覚は荒北くんと電話をしている時にやってくる不思議な感情。
話せて嬉しい気持ち。目の前で笑っている顔が見れない寂しさ。隣にいない悲しさ。心配されてしまった情けなさ。
でも、目を閉じれば思い浮かべることができる荒北くんの笑顔。呆れたように、ちょっと下を見てバカにしたように笑う。そんな顔も好き。早く直接見たい、聞きたい。だから会いに行きたい。ちゃんとしたところを見せたいとか、出来る自分をアピールしたいとか。そんなのは置いといてただシンプルに、荒北くんに会いたい。

荒北くんのことを疑う気持ちなんてこれっぽっちもないけれど、いつまで経っても遠距離恋愛は、どうしたって寂しい。


「ね、荒北くん」
『んー?』
「私ね、荒北くんのこと考えたら何でも出来る気がする」
『…』


電話の向こうから聞こえる、呆れたようなため息。

でも本当なんだもん。荒北くんのことを思えば何だってできるんだよ。
寂しいのも我慢できるし、忙しくてもどうにかして会いに行く。辛くても頑張れるし、荒北くんもこの空の下で頑張ってるんだって思ったら、本当に何だって出来る気がするんだよ。
何年経っても飽きることなんかなくて、むしろどんどん好きになっていく。高校時代、これ以上好きになったら死んじゃうんじゃないかって本気で考えてたけれどそんなことなかった。死にはしないけれど好きの気持ちはどんどんどんどん大きくなっていって、欲張りになっていく。
今だけじゃ足りない。この先ずっと、荒北くんのことが欲しい。私だけの荒北くんでいて欲しい。
そのためなら、やっぱりなんだってできるよ私。


『…知ってる』
「ん?」
『江戸川がそーゆー奴だッてことはよぉーく知ってッから』
「ふふ…そっかぁ」
『ん。じゃ、土曜な』
「うん!お家で待ってるね。リクエストは?」
『唐揚げ』
「また!?それしか作ってない!他にも作れるよ私!」
『美味いんだもん』
「ぐっ…し、しょうがないなぁ」
『じゃあな。おやすみ』
「うん。おやすみなさい」


優しいおやすみの声を聞いて、目を閉じてそのままベッドに横になる。

嬉しい。寂しい。好き。
私のいろんな感情が荒北くんのために動いて溢れてくる。荒北くんは私を甘やかすのが上手だ。冷たいとか冷めてるとか色んな人に言われるけれど、私だってよぉーく知ってるんだよ。荒北くんがどんな人か。周りの人が何と言おうと、私しか知らない荒北くんを知っている。優しくて真っ直ぐで、愛情深い。私のことをよく見ててくれて、叱ってくれて大切にしてくれて愛をくれる。荒北くんの言葉全てに愛がのっかっているんだって、私には分かるんだ。


「…あー…荒北くんと結婚したぁーい!」


そう口に出してから、ベッドから飛び起きる。そのまま服を脱ぎ捨ててお風呂場へ。さっさとシャワーを浴びて今日を終わらせよう。

早くやらなくちゃ。頑張らなくちゃ。
週末、静岡に行くために。明日も早出して仕事を終わらせるんだ!頑張れ私!ファイトだ私!

荒北くんのこと考えたら、なんでも出来るんだから。







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