部屋の乱れは心の乱れ



酔っ払いしーちゃんをタクシーに詰め込んで、私は1人で駅までの道を歩く。大学の頃からで、もう慣れてしまった東京でのひとり暮らし。賑やかな東京では夜遅くなっても街はキラキラ輝いて騒がしく、1人になるほうが難しいくらいだ。周りを見ればどこかしらに人がいて、交差点ですれ違うサラリーマンや大学生の集団。呑んだ後、1人になった帰り道っていうのは心細くてちょっぴり寂しい。
ひとり暮らしに慣れたという言葉に嘘はないけれど、ひとりで暮らしたいわけじゃない。大好きな人と毎日一緒にいれるものならいたい。今日あった楽しかったことや面白かったこと、ちょっと笑ってしまったこと。それから悲しかったことやほんの少しだけイラッとしたこと。1人で家にいると昇華するだけのたわいもない出来事を、家に帰って誰かと共有できたらそれはどれほど幸せなんだろう。

こういうことを想像するとき、私の頭の中には絶対に荒北くんがいる。荒北くんが私の部屋にいて、2人で一緒に毎日楽しく過ごせたらって…すぐに頭に思い浮かべることができる。

荒北くんと毎日一緒にいれたら、私は幸せだ。朝起きた時も夜寝る時も荒北くんがそばに居る。2人でご飯を食べて、一緒のテレビを見て一緒にお風呂に入ってって、どんなシチュエーションを想像してもストレスなんて一つもないしむしろ楽しくなる予感しかない。


「ただいまぁ」


近いのか遠いのか、そもそも来るのかどうかもわからない未来を想像しながら自分の家のドアを開ければ、広がるのは現実。
ベッドに脱ぎ捨てられたままのパジャマ。シンクに山積みになった食器。チラリと視線を動かせば洗濯機の中も洗濯物でいっぱいになっている。
仕事が忙しいことを言い訳にして、色々後回しにしている自分に呆れてしまう。今日だってしーちゃんとご飯に行くためになんとか切り上げてきたけれど全部の業務を終わらせたわけじゃなくて、明日の自分に任せてしまった分がある。明日は早起きしなきゃなぁ。


「…はぁ」


思わずため気息をこぼせば、それと同時にポケットでスマホがブルブルと震え出した。なかなか鳴り止まないそれはどうやらメッセージではなく着信を知らせているようなので、慌てて手に取って画面を見てみれば、さっき頭に思い浮かべていた大好きな人の名前が表示されている。


「荒北くん!もしもし!」
『うぉ、声デケェヨビビるわバァカ』


通話ボタンを押してスマホを耳に当てれば聞こえてくる声。大好きな、荒北くんの声だ。ごめんねと言えば、ったく、と言って許してくれる荒北くんはやっぱり優しい。


『今ヘーキィ?』
「荒北くんからの電話ならいつでも平気だよ!」
『…家?もう帰ってきたかヨ』
「うん。今帰ってきたとこ」


通話なので見えるわけじゃないけれど、荒北くんの声だけでも私には荒北くんの表情を思い浮かべることができる。呆れたように笑っている荒北くんはやっぱりカッコいい。ほうっと息をこぼしてから、また部屋の中を見渡してみれば現実に嫌気がさしてしまった。
通話のみだから向こうにも私にも映像が見えるわけじゃないけれど、何となく気まずくなって通話のスピーカーをオンにしてテーブルの上に置き、気持ち大きな声でスマホの向こうの荒北くんに声をかけながら私は散らかった部屋を少しずつ片付けることにした。こんな部屋、荒北くんに見られたらなんて思われるか分からない。少なくとも良い印象を抱いてもらえないことだけは分かる。こんなに部屋を散らかす女と、私だったら一緒に暮らしたくなんかないし結婚だって考えられない。

そう思ったら、思わず血の気が引いてしまった。
あぁ、もしかしたら私のこういうところがダメなのかも。気を抜いたら部屋がこんなに汚くなって、自分のこともちゃんと出来ないなんて…そりゃぁ、そんな女が荒北くんに結婚してもらおうなんて到底無理だ。ちゃんとしなくちゃ。ちゃんと。荒北くんの隣にいて相応しい人になって、荒北くんにお嫁さんにしたいと選んでもらえるような女の人にならないと。

改めてそう心に決めて、まずはできることから始めようとテーブルの上に広がる何日か分の郵便物に手をつけることにした。まずはいるもの、いらないものに仕分けていく。うっ、この払込用紙いつまでだっけ…。


『江戸川、今週の土日なんか用事あんのかヨ』
「土日はぁ…確か、何にもないはず」
『家の用事あって実家帰んだけど、江戸川土曜日空いてるゥ?』
「…えっ!?本当!?」
『おー』
「空いてる!めちゃくちゃ空いてる!」
『ん。じゃどっか行くか』
「嬉しい!行く!どこ行く?!」
『金曜の夜の新幹線で実家帰っから、土曜なら何時でも平気だしどっか考えといてェ』
「やったー!デート!久しぶり!」


しかも荒北くんがこっちに来てのデートだ!そう言えば荒北くんが電話の向こうで笑ったような息遣いが聞こえてきて、それにきゅんと胸が苦しくなる。
久しぶりの荒北くんとのデート。行きたいところなんてたくさんありすぎてどうしよう。この前テレビでやってたドーナッツ屋さんにも行きたいし、体験型アクテビティもやってみたい。なんなら夢の国だって行きたいし映画も観たい。荒北くんと一緒にいるときの私は高校生の頃と何ひとつ変わらなくなってしまうから困る。荒北くんのことになるとわがままで欲張りで、やりたいことも行きたいところもこの先ずっと尽きることないんだろうな。

だったらやっぱり、私はこの先もずっと荒北くんと一緒にいたい。何をするのもどこに行くのも、荒北くんとがいいしそれ以外だなんて考えたくもない。

そのためには、やっぱりさっきしーちゃんといた居酒屋で考えたチキチキ!荒北くんのお嫁さんになりたい大作戦!を急いで実行しなければならない。
荒北くんに意識してもらえるように、まずは私が変わらなきゃ。私が、良い女にならなきゃダメなのだ。
そうだ、まずはこの部屋を綺麗にしよう。ちゃんと生活を改めて、正しく毎日を丁寧に過ごせるようにならなくちゃ。仕事を言い訳になんてしちゃダメだ。


『つーか、お前ホントに土曜日平気なのかヨ。この前仕事やべぇとか言ってなかったァ?』


電話の向こうから聞こえてきた怪しむような声色。痛いところを突かれて、ウッと変な声が漏れてしまった。
そうだ、この前電話で荒北くんにちょっとだけ仕事の愚痴を言ってしまったんだっけ。忙しくて大変だとか、今日も残業になっちゃったとか…色々マイナスなことを言ってしまった過去の自分をブン殴りたい。アホか私!荒北くんだって一生懸命仕事をしているのに、愚痴をこぼすなんてマイナス100点だよ!ダメダメ!良い女なら、そんなことは言わない。楽しい話だけをして、荒北くんが楽しくなれるような空間を作らなくちゃ。荒北くんが私と話すのを楽しい、心地良いって思ってくれなきゃダメなんだから。


「あっ、それはぜんっぜん大丈夫!余裕!なんか大したことなかったよ!」
『…ナンダソレ』
「いやいや、とにかく大丈夫だから気にしないで!ね、荒北くんは?ご実家に帰るなんてどうしたの?なんかあった?」
『アー、大したことじゃないンだけどネ。ちょっと用事』


あ、今、もしかしてはぐらかされた?
ちくりと、胸を刺すような痛みで苦しくなる。ちょっと踏み込んだことを聞いてしまったかもしれない。そりゃあ家の用事なんて色々あるだろうけど。どんなものかは教えてくれるかなって思ったんだけどな。もしかして良い用事ではないのかもしれない。
あーあ、やめとけば良かったのに。どうして聞いちゃったんだろう。ぴたりと引かれてしまった荒北くんと私の間のラインに、無駄に傷ついてしまった。そんな大したことじゃないし、普段なら気にも留めずに流してしまうだろうなってことも今日だけは気になってしまうから厄介だ。だけどここでしつこく食い下がるのも失礼だし、また拒絶されても嫌なので大人しく引き下がることにした。


「…そーぉ?私とデートして平気なの?」
『ンなこと気にしなくていいっつの。俺から誘ってンだろォが』
「…うん」
『…ナニィ?江戸川、嬉しくねぇの?』
「死ぬほど嬉しい!」
『ならいいんだヨ。素直に喜んでろバァカ』


目を閉じれば、目の前に荒北くんがいる。笑って私のおでこを大きな右手でペチンと叩くんだ。荒北くんが叩くわたしのおでこは良い音がする。その音を聞いた荒北くんがまた馬鹿にしたように笑うから、私は目の前の荒北くんの胸板に飛び込んで抱き付く。ぎゅうってすれば、荒北くんもぎゅうっとしてくれる。優しいけれど力一杯、ぎゅうっと抱き締められるのが大好き。
荒北くんと一緒にいたい。ずっとずっと、この先もずっと、死ぬまで荒北くんと一緒がいい。そのためなら私は何でもするよ。何だってする。できると思うんだ。


「荒北くん」
『アー?』
「大好き」
『…知ってる』
「ふふ、よかった」
『ん。じゃ、オヤスミ』
「はい。おやすみなさい荒北くん」


ふわふわとあったかくて満たされた心のまま、プチンと通話が切れた音を聞いてから閉じていた目を開ける。そこに現れたのは突然の現実。汚ったない私の部屋。
現在の時刻は午前0時を回ったところ。明日の私は5時半起き。飲み会終わりでお風呂もまだの私がとった選択。


「…と、とりあえず今日はこの郵便物とテーブルの上を綺麗にする!」


高校の終わりから社会人になった今まで、ずっと頑張ってきたんだから。
遠距離だって頑張った。荒北くんが進む道ならと、荒北くんの就職先が静岡になった時も高校時代と同じように荒北くんのことを信じると決めて私は私の道を進んできた。寂しくても、それでも荒北くんのためだと思えば大丈夫だったし、後悔なんて一つもない。

だから、この先は私が荒北くんと一緒にいるために、もっと頑張るよ。荒北くんと私の道が交わるように。荒北くんに必要としてもらえるように。

寂しさとか不安とか。そういうの全部見て見ぬふりをして。荒北くんとの未来のために、少しでも前進する道を選びます私。












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