及川徹は男子高校生

どうしたらいいのか分からず、バンザイしたままの手はあとどれくらい持つだろうか。胸の下らへんに回された男の子らしい太くて硬い腕が、ぎゅうっ力を込めるとそれはそれは苦しいし圧迫される骨がみしりと音を立てるくらいには痛いのだけれど、なんとなく「離して」とは言えなかった。ぐりぐりと自分の胸元埋まっている色素の薄い茶色い髪の毛をただジッと見つめて固まることしかできない私。バンザイしている手はもうそろそろ限界で、二の腕がぷるぷると震えてきてしまっている。


「…及川ぁ」


名前を呼んだところで返事はなく、たださっきよりも力を込めてさらに強い力でぎゅうっと抱き着いてくる及川は一体何がしたいのかさっぱり分からない。
例えば、これがどちらかの家だったのなら私は及川の頭を抱き締めてサラサラの髪の毛を指でといてあげたのかもしれない。でもここは家ではなくて、誰が来るかも分からない放課後の保健室のベッドなのだから困っている。こんなところで、男女が隠れて会っているなんて誰かにバレたらどうなっちゃうんだろう。いやでも別に、待ち合わせとかして会ったわけじゃないし。頭が痛くてベッドを借りて横になっていた私が起きたらなぜか及川がいただけだし。私は悪くない、はず。
でももしも、万が一今この状態が誰かにバレて有る事無い事噂になって及川が悪いことにでもなったなら、私は自分が及川をここに呼び出したことにしてしまうのだろう。及川は悪くないから、許してくださいと頭を下げることだってできる。及川が部活停止なんて食らったら死んじゃいそうだもん。バレーが出来なくて死ぬなんて、バカみたいだけど多分この人はバカだから本当に死んじゃうんじゃないかって思う。そんなこと言ったら、及川は冷ややかな目をして怒りそうだから絶対に言わないけれど。
というかなんで及川はここにいるの?部活は?って思ったけど、今日は月曜日だっけ。男子バレー部はオフの日だ。だとしても一体何しにここに来たの?なんで私に抱きついてるのこの人。


「及川?おーい…及川くーん」
「…」
「…徹くーん」
「……名前ちゃん」


あ、返事した。でもまだ顔は上がらずに、ぎゅうっと私の胸に顔を埋めたまま。


「徹くん、こんなところでダメですよ
「んー…だって、名前ちゃんのクラスに迎えに行ったのにいないんだもん」
「あぁ、ごめんね。一緒に帰ろうって約束してたのに」
「いいよ。見つけたし」


小さな甘ったるい声でそんな可愛らしいことを言われたら、もうどうしようもない。結局私は徹くんに弱いのだ。バンザイしていた手を下ろして、ふわふわと柔らかい髪の毛に触れて頭を撫でる。そうすると、徹くんはほんの少しだけ顔の向きを横にしたのが面白い。なんだか動物が、もっと撫でてって駄々をこねているみたいだ。


「徹くん、帰ろうか」
「もうちょっとこのままがいい」
「えー…なんか、私はちょっと恥ずかしいんだけど」
「だろうね。名前ちゃんさっきっから心臓めっちゃうるさいし」


あ、なんだバレてるのか。そりゃそうか。徹くんが今いるのは私の心臓のすぐ近くで、きっとドキドキうるさい鼓動が聞こえてしまっているのだろう。普通に会話をして恥ずかしさを隠しているつもりだったのに…なんだか余計に恥ずかしい。
そしてそんなこと言ってくるってことは徹くんもちょっとは余裕があるらしい。それなら良かった。
基本的に及川徹は優しい。誰にだって優しくて広い心で接することができる。きっと私がどんなわがままを言ったって笑顔で受け入れてくれるような人だろう。私に限らず、自分が関わる人に対しては優しくしてくれる。たとえ自分が我慢するようなことがあったとしても、綺麗な笑顔を作って心の内を隠して受け入れてしまうような人。
だけど、及川徹だってただの高校生なのだ。彼のキャパシティいっぱいに受け入れてしまえば、あとは零れ落ちて溢れてしまう。頭も心もいっぱいいっぱいになってしまうことがあるのは仕方ないことなのに、徹くんはそれを表に出すことを嫌う。
誰にも見せない徹くんのそんな心に触れるのが私は安心する。私だけが触れられる、私だけが知っている普通の男の子。


「徹くん、可愛い」
「やめてよ」
「えー、だって可愛いんだもん」
「お前の方が可愛いに決まってんじゃん」
「…」
「心臓うるさ」


照れ隠しにぐしゃぐしゃと頭を撫で回したって、こっちは心臓を掴まれているんだから隠せるはずもない。いつもだったらもう少し柔らかい言葉をくれるくせに、こういう時の徹くんが放つ遠慮ない言葉だって私にとっては嬉しいんだよ。
ねぇ徹くん。私にあたってくれてもいいよ。どんな酷い言葉をぶつけられたって、最後に徹くんが「ごめんね」と泣きそうな声と顔をして謝ってくれることを知っているから。徹くんだってただの男の子だってことを知っているから。私は全部まとめて受け入れてあげたい。
こういうのって、好きとはまたちょっと違う。


「徹くん」
「なに」
「愛しているよ」


私が徹くんのことを想う気持ちは、きっと好きって言葉じゃ足りない。
徹くんがどこにいたって何をしたって、徹くんが言うならそれが正しいと思うから。

私の言葉を聞いて、ガバリと顔を上げた徹くんとようやく目が合った。見開かれた目がじわりと滲んでいるのには気づかないふりをして、今度は私から抱き締める。


「いつもお疲れ様」


どんな時だって強くて凛々しくて、前だけを見て進んでいく徹くん。
疲れた時は休んでもいいよ。止まったっていいよ。子どもみたいに甘えてもいいよ。泣いたっていい。弱いとこ見せてくれても、絶対に嫌いになんてならないから安心してほしい。


「…ほんっと、お前のそういうとこたまらなく好き」


ぎゅうっと骨が軋む音がするくらい抱きしめ返されて、そんなことを言われたらまた心臓がうるさくなってしまう。でもまぁ、いいか。徹くんが元気になってくれるなら、何でもいいよ。

また明日。背筋を真っ直ぐに伸ばして、へらりと余裕そうに笑う及川徹に会えるなら。

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