侑は住む世界が違う

侑と付き合うこと。それはとっても普通のことだった。
休みの日には外へご飯を食べに行く。記念日や給料日なんかには少しだけ良いものを食べるけれど、会社員の私でも聞いたことがあるようなドレスコードのない普通のお店で普通のお肉を美味しいと言い合いながら食べる。
仕事終わりに会いたくなった日には連絡を取り合って、コーヒーショップで待ち合わせをする。私服姿の侑はまだ見慣れないけれど、高校時代よりも派手な金髪と大きな身体が目立つのですぐに見つけることが出来る。一杯300円くらいのカフェラテを飲みながら仕事の話や懐かしい友人たちの話をして、お店の閉店時間まで居座ってそのまま解散したり私の家に侑がやって来たり。


「…あつむ」


カーテンから漏れる陽の明かりで目が覚めてしまった。パチリと目を開けたらすぐそばにあった顔。すやすやと寝息を立てながら幸せそうな顔して寝ている侑は名前を呼んだくらいでは起きることがない。

侑とは、高校時代からの付き合いだ。
今思えば高校時代はバカみたいにはしゃいでいたし喧嘩もしたし、だけど楽しくて仕方なかった。バレーに夢中な侑の彼女になることはとても難しくて悩んだこともあったけれど、それでもこの立場を手放すことが嫌で、その度にお互いぶつかり合って今もこうして付き合えているのだから諦めなくてよかったと思うと同時に、やっぱり。侑はどうしていまだに私と付き合っているんだろうとくだらない悩みに襲われることもある。
高校を卒業してそのままプロの世界へと足を踏み入れた侑と、普通に大学へ進学した私。生活リズムも違うし、社会人と学生では金銭感覚も変わっていくだろう。
もしかしたら、今度こそ別れることになるかもしれない。
侑のプロ入りを「おめでとう」と笑顔で祝いつつもそんなことを考えていたなんて、きっと侑は知らないと思う。「ありがとお」と、とびっきりの笑顔を見せる侑のことが私はどうしたってやっぱり好きで仕方なくて、その場では別れを考えることをやめた。今はそんなこと考えなくていいや。もしかしたらやってくるいつかは、その時になったら受け入れよう。今はただ侑のことを好きでいたい。私が支えられる限りは、侑のことを精一杯支えていけたらいい。

けれど、あの時私が考えたいつかは社会人として落ち着いた今になってもやってくる気配はない。今、目の前にいる侑はあの頃と何も変わってなんかいなかった。幸せそうな寝顔も、私の名前を呼ぶ声も、優しい手つきで私に触れるところも。何ひとつ、変わったことなんてない。
思わず手を伸ばして、寝ている侑の頬っぺたにぺたりと触れてみる。「ん、」だなんて声を出した侑は私の手に擦り寄るようにして寝返りを打った。目を閉じているけれど、私には分かってしまうのだ。一瞬だけ、ピクリと動いた口元。


「侑。起きてるでしょ」
「…寝てますー」
「寝てる人は喋れません」
「俺くらいのレベルになったら寝言でも会話できんねん」
「なにそれ」


無茶苦茶な言いようにふふふと笑えば目を開けた侑も同じようにフッフッフと口角を上げて笑う。それから頬っぺたにあった私の手に自分の手を絡めて、きゅっと優しく握られた。
私はいまだに、侑の大きな手に触れるのが少しだけ怖いけれど侑はそんなの気にせずに私に手を伸ばしてくれる。指と指を絡めるように手を繋いだり、頭を撫でたり頬に触れたり。バレーをするために、綺麗に整った指先で触れられると許されたような気分になる。侑の手は私だけの手ではないけれど、侑は私に触れてくれる。侑の世界の中に招き入れてもらえているような、そんな不思議な感覚。
侑の言う「俺くらいのレベル」は冗談なんかじゃない。私だって思うよ。侑のレベルは、きっと私が思っているよりも、もしかしたら侑自身が思っているよりもずっとずっと上なのかもしれない。


「名前、眉間に皺よってんで」
「え、うそ」
「ほんま。小難しい顔しとる。何考えてるん?」
「んー…侑はすごいなって話」
「今更なんなん?知らんかったか?俺は前からすごいで」
「そうだねぇ」


知ってるよ。侑が凄い人だってこと。
きっと私がいないところでは私の知らないような高級店でご飯を食べているのだろう。私がこの先絶対に関わることのないような凄い人たちと私が分からないような会話をして、私と食べるのよりもずっと美味しいお肉を食べている。
私の住む狭くて駅からもそこそこ距離のあるアパートにいる侑はどこか浮いて見えるしいつまで経っても馴染まない。きっといつか侑は寮を出たら、駅からも近くセキュリティーのしっかりした高層マンションに住むのだろう。


「名前」


手を握っているのと反対の侑の手が、私の頬っぺたを撫でる。驚くほどの優しい手つきで、優しい声で名前を呼ぶ侑を見つめ返せば、侑はやっぱり口角を上げて笑う。高校時代から変わらない、口を大きく開けて歯を見せて目を細めて笑うこの笑顔が、私はやっぱり好きだ。


「そんなすごい俺を惚れさすなんて、名前はすごい女やな」


そう言って、侑は私の頬を流れる涙を優しく拭った。自分でも気付かぬうちに、ほろりと溢れていく涙を侑はひとつひとつ丁寧に拭っていく。


「つまらんこと考えんと、俺だけ見てたらええねん」


高校時代の侑だったら、きっとボロクソに今の私を罵倒しただろう。怒鳴り散らかして私もそれに反論して、ぶつかり合って喧嘩をしたに違いない。
変わらないことばかりじゃない。私も侑も、いい意味でも変わっていったこともある。


「…やっぱり、侑変わった」
「さらに男前になったやろ?」


ニッと笑う侑に「そうだね」と素直に言うのは癪だったので、広い胸に顔を押し付けるようにしてくっついてやった。一瞬だけピクリと肩を跳ねさせた侑だったけれど、次の瞬間にはぎゅうぎゅうと苦しいくらいに抱き締めてくる。腕の中に閉じ込められるようにして包まれると、耳元で聞こえてくる侑のうるさい心臓の音。


「今も昔も、俺は名前のことが好きなまんまやで」
「…ふふふ」
「…何笑てんねん」
「だって、侑の心臓うるっさい」
「っ、アホか!そういうんは分かってても言うたらあかんねん!知らんふりせぇ!」
「あっは!やっぱり侑は侑だ!」
「あったり前やろ」


当たり前に、侑は侑だ。どんなに遠くへ行ったって、有名になったって、何も変わることはない。無邪気で、バカで、私が好きになった侑のまま。何があってもきっと侑は私の隣に帰ってくる。私が恐れていたいつかが来る日はきっとないのかもしれない。

この先も、ずっと侑の隣には私がいる。

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