角名の誕生日を祝いたい

「ごめん」


聞こえてきた声に、息が止まる。きゅっと苦しくなって、強張る肩。息を止めて、身動き一つせずに壁の向こうのやり取りに耳を澄ませる。
ひんやりと水をかぶったように冷たい声は、普段とさして変わらないように思えた。けれど言葉を紡ぐまでにあったほんの少しの間が、彼の優しさなのだと知っている。冷めた目をしていても、我関せずと周りと距離を保っていても、それでもいざという時は声をかけてしまうような優しい人。きっと今だって、冷たい声とは裏腹にきっと困ったように眉を顰めてフッと視線を彷徨わせているのだろう。
目にしなくても、声だけで姿を容易に想像出来るのは私が彼に好意を抱いているからに違いない。あぁ、やっぱり。私は彼のことが好きだったんだと自覚する。
何を今更。自分の手の中にあるラッピングされた袋をぎゅっと抱きしめた。
消え物なら、邪魔にならないだろうとズルいことを考えて用意したプレゼント。本当はいろんなショップを回ったし、ネットだって色々見た。届くのに日がかかったらと思い探し出したのは1ヶ月も前のことなのに。いざ注文をしようとしたら、怖くなってしまって結局駅前のみんながよく知っているチェーン店のケーキ屋で買ったクッキーは、果たしてプレゼントと言ってもいいものなのだろうか。こんなもの、小学生のバレンタインくらいの品物だ。高校生の、好きな男の子にあげる誕生日プレゼントとして相応しいわけない。


「時間取らせて、ごめんね」
「ううん。こちらこそ…ありがと」


やっぱり優しい。最後はありがとうを添えられたその痛いくらいの優しさに、女の子は何を思ったのだろう。言葉を聞いて一度鼻を啜った女の子がパタパタと駆けていく後ろ姿を見届けたところで、ようやくほっと息を吐く。
短いスカートから伸びる細い脚。顔は見えなかったけれど、走ると揺れるポニーテールが可愛い女の子だった。私と違って、勇気があるあの子はどんなプレゼントを用意したんだろうか。どんな言葉を彼に届けたんだろうか。どれだけの気持ちを込めて、今日を迎えたんだろう。
そんなこと考えたって、どうにもならないことなんか分かっている。私の方が彼のことが好きなんだと、声を大きくして言えるのであれば私は今こんな所にひっそりと隠れてはいないのだ。
好きな気持ちなんて誰にも見えない。人と比べることなんて出来ない。私よりも先に勇気を出して伝えたあの子の方が、彼のことを好きな気持ちが大きいと言う人もいるかもしれなし、私もそうかもしれないと思ってしまったけれど、そんなんじゃない。私だって彼のことが好きだ。その気持ちに嘘なんかない。どれだけ好きなんだと言われたら、上手く説明できないし、あの子より好きなのか?と聞かれたらなんと答えるべきか迷ってしまうけれど。
ぐるぐると、そんなくだらないことを考えて立ち尽くすだけの私の元へ近づいてくる足音がする。ぺたりと、足を引き摺るようにして歩くこの音が誰のものかを分かるのは私だけならいいのになぁ、なんて。


「のぞき?」
「…ちがうよ」
「ふーん」


ひょっこりと壁から顔だけ覗かせた角名くんは、私の答えに納得しているのかいないのか。ジッとこっちを見つめてくる視線が恥ずかしくて、目を逸らす。
お昼休みもあと少しで終わるようなこの時間に人が少ない校舎の影に1人でいる私は、角名くんからしたらのぞき以外のなんでもない。でも、違う。のぞくつもりなんかなくて、ただ角名くんが1人で教室を出ていくのが見えたから慌てて追いかけて行っただけ。まさかそれが女の子からの呼び出しだったなんて、本当に知らなかったんだ。もし知ってたら、わざわざ傷つきにのこのこやって来たりしない。


「のぞきじゃないって、無理がある思うけど」
「ほ、ほんとに!違うから!そんなつもりなくて、ただ」
「ただ?」
「っ…ただ…その…」


ただ、角名くんに誕生日おめでとうと伝えて、プレゼントを渡したいだけだったの。

そう言えないのは、それを言ったらきっと聡い彼には私の気持ちなんかすぐにバレてしまうだろう。
おめでとうだけじゃない。それに加えて、私の角名くんが好きだと言う気持ちも伝える気だった。
ちょっと前、あの女の子は角名くんに気持ちを伝えていた。私と同じ気持ちを真っ直ぐに角名くんにぶつけたけれど、角名くんはその気持ちを受け取らなかった。そんな現場を聞いてしまった。角名くんの冷たい「ごめん」の一言が、今でも私の頭の中をぐるぐると回っている。


「のぞきじゃないなら、何してたの?」


ぺたりと、また角名くんのサンダルの音がする。顔を上げれば、思ったよりもすぐ近くにいる角名くん。身長差のせいで、角名くんの顔を見ようとすると首が痛い。少し動いたら、触れてしまいそうなほどの距離にドキリと心臓が跳ねる音がする。ふわりと香るこれは、きっと角名くんの匂いだろう。くらくら脳が揺れる。そのまま動けずに、ただ腕の中にある角名くんへのプレゼントを抱き締めて立ち尽くすしかない私を角名くんは簡単に追い詰めてくる。角名くんに覆われるように、気づけば壁際に追いやられていて逃げ場を失ってしまっていた。ハッと気づいた時にはもう遅い。角名くんが、壁に肘をつく。逃げ道なんか、ない。
言ってしまおうか。あなたのことが好きなのだと。そう気持ちを伝えて腕の中のプレゼントを渡せばいい。そうすれば全て終わる。終わらせることができる。こんなふうにドキドキすることも、振りまわされることも、悩むこともない。


「…角名くんに、」
「うん」


角名くんにおめでとうって言いたい。プレゼントを渡したい。
振られるのは怖い。傷つくのが怖い。あの子と違って、こんなプレゼントしか用意できなかった私だけれど。
それでも、角名くんを前にしたら心が揺れる。はっきりと自分の気持ちを自覚する。やっぱり私は角名くんに気持ちを伝えたい。
あの子より大きい気持ちなのかだとか、プレゼントがただのクッキーだとか、そんなのは関係なくて。シンプルな気持ちを大切にしたい。


「角名くん」
「なぁに」
「好きです」


口にすれば、なんてことないたったの4文字。小さな声に、大きな気持ちをのせて伝える言葉。
私が角名くんを好きと思う気持ち。これだけで全部伝えられたとは思わないけれどそれでも、伝えなきなきゃ意味がない。
身体中が熱くて、手も足も震える。恥ずかしさと怖さで、角名くんの顔が見れなくて俯く私の頭上から聞こえてきた笑い声。


「うん。知ってる」
「……」
「…」
「は?」
「オッホホ。間抜けな顔」


楽しそうに目を細めて笑いながらそんなこと言う角名くんに、ヘナヘナと体の力が抜けていく。その場に尻餅つきそうになる私の体は角名くんの右手によってがっしりと支えられてしまった。
さらに近くなる距離と濃くなる匂い。さっきまでの緊迫した空気とは違い、柔らかい空気を纏って笑う角名くんはかっこいい。好きだという贔屓目があるから、余計に。


「そりゃ、あんだけ見つめられたら流石にね」
「…知ってたの?」
「うん。早く言ってくんねぇかなって思ってた」
「えっ」
「それ、プレゼント?くれんの?」


混乱する私なんて気にもせず、私を支えたまま私の腕の中の袋を指差す角名くんは顔色ひとつ変わらない。ただ、さっきまでとは違う穏やかな雰囲気に私だけが取り残されたような変な気持ち。指差されたそれは確かに角名くんへのプレゼントだ。プレゼントといっても、ただのクッキーなんだけど。渡していいものか、悩んでしまってなんと返していいか分からず黙り込む私を角名くんは腰を曲げて顔を覗き込んでくる。


「ちがった?」
「ちがく、ないんだけど…その…」
「え、なに?」
「本当にこれは!ただのクッキーで!プレゼントと呼べるようなものじゃないんだけど…」
「…なんかよく分かんないけど、とにかく俺へのプレゼントってことでいいんだよね?」
「それは…まぁ、そう…です」
「よかった。ありがとう」


角名くんから聞こえた「ありがとう」に心が震える。さっき聞いた「ごめん」とは違う。優しくて、ふわふわとした甘い声。
差し出された手に誘われるがまま、クッキーの入った袋を乗せれば角名くんは嬉しそうに目を細めて笑う。
角名くんの笑った顔が好きだ。人をおちょくるような笑い声も好き。細くて大きな手も好きだなぁって思う。さっきはどれだけ好きか分からないなんて弱気なことを言ったけど、そんなことなかった。私はきっと、すごく角名くんのことが好きだ。


「好きな子にもらえたら、なんだって嬉しいよ」


そう言って笑う角名くんにまた、心臓が跳ねる。もっと好きになってしまう。


「好きだよ、俺も」


ふっと笑ってそう言う角名くんが見れるなんて、私は世界一の幸せ者だ。

角名くん、生まれてきてくれてありがとう。


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