角名と遠距離恋愛

「遠距離になるけど、それでも俺と付き合ってくれる気ある?」


まだ桜も咲いてない頃。卒業式まで後何日かの、まだ春にもなっていない寒い日に、屋上へと続く階段の踊り場で角名くんはそう言った。
身長差だけじゃなく、角名くんの方が私よりも上の段に立っていたせいで私は首が痛くなるほど角名くんを見上げていて、屋上へ続くドアの窓から差し込んだ日差しが逆光になって角名くんの顔はよく見えなかったけれど、言っている言葉を理解することはできた。
あの、角名くんが。私のことを呼び出して告白をしてくれた。背が高くてバレーが上手くて(私は実際見たことがないしバレーの上手い下手なんて見ても分からないから知らないけれど)、普段は教室の隅でみんなのことをひっそりと見つめているくせに友達は多くて、気づけば男の子たちの中心にいる。周りの男の子たちよりもちょっとだけどこか大人びて見える角名くんのことを、私はずっと見つめていた。
普通のクラスメイトよりもほんのちょっとだけ近い距離にいて、毎日メールをしていた。くだらないこと。担任の愚痴とか、クラスの揉め事がめんどくさいねとか。私も、きっと角名くんもこんなメール他の異性の友達ともしていたけれど、それでも角名くんだけは特別だった。教室で目と目が合えばドキドキしたし、フッと口元だけで笑いかけられれば胸がキュッとなって、周りにバレないように緩む口元を両手で隠した。
仲良くなったきっかけなんて忘れたけれど、確かに私は角名くんのことが好きだったから、突然の呼び出しにもダッシュで駆けつけたし、角名くんが言った条件だってよく考えずにその場で「はい」と返事をして角名くんから伸ばされた手を取った。
よく、考えれば良かったのだと今になれば思う。もっと、ちゃんと考えるべきだった。なぜ角名くんは「好き」という言葉とは別にそんな条件をわざわざ私に伝えたのか。大人ではない私たちにとって遠距離になるというのが、どういう意味だったのか。あの時、角名くんはどんな顔をしていたのか。
当時中学3年生だった私はそんなことを何も気にせず、考えもせず、ただ目の前にいる好きな人からの愛を伝える言葉を受け止めることしか出来なかったのだ。

それからあっという間に中学校の卒業式を迎え、私は地元の高校へ。角名くんは地元を離れて兵庫県にあるバレーの強豪校へと進学することになった。


「高校生で一人暮らしなんて…角名くんすごいね」
「そう?寮だし、苗字もできると思うよ」
「いや無理だよ!私掃除とか苦手だし」
「へぇ。苗字、部屋汚いんだ」
「汚いとは言ってない!」


必死に弁解する私を見てフッと笑った角名くんの表情に、心臓がまたキュウっと苦しくなる。
コートを着てマフラーをぐるぐる巻きにするほど寒いのに、私はただ角名くんの顔を見て話したいって理由だけで家を飛び出して公園のベンチに座っている。
オシャレに見せたくてせっかく気合を入れてきた私服は全てコートに隠れてしまっているけれど、角名くんはどうなんだろうか。きっちりと決まったロングコートの下の私服を想像して、にやける顔を両手で覆って隠す。角名くんも私に会うために服を選んだり髪型を気にしたり、少しはしてくれてるのかな。そんなことを考えるとちょっとくすぐったくなる。
角名くんのこと好きだなって思って、告白してもらえて、こうして家を飛び出して2人っきりで逢瀬をして。それだけのことなのにどうしようもなく幸せだなぁって思ってしまう。角名くんの目が私を見てくれること。私だけを見て笑ってくれること。2人しか分からない話をすること。付き合うってこういうことなんだっていうことを知って、こんなに幸せなんだからこの先何があってもきっとずっと、私と角名くんなら大丈夫なんだろうなって。


「苗字」


名前を呼ばれて顔を上げれば、すぐ近くに角名くんの綺麗な顔がある。切れ長の目と目が合って、鼻先が触れて、唇に少しだけ温かい息がかかって、それを合図にして目を閉じる。少しカサついた角名くんの唇と一生懸命リップを塗った私の唇が重なる。ただそれだけの行為でこんなにも、心が満たされて私たち2人が世界の中心にいるみたいな。

そんな子供みたいな小さな小さな幸せで、私はこれから先も角名くんと一緒にいられると思っていた。
私は角名くんが言った「遠距離になるけど、それでも俺と付き合ってくれる?」という言葉の意味と角名くんの気持ちを、きっと1ミリくらいしか分かっていなかったのだ。


目を覚ますといつも同じ夢を見る。
お母さんが買ってきた中で1番私がイケてると思っていた何故か青色のコートに、死ぬほど寒いのに無理をして履いていたミニスカートとニーハイ。ぐるぐる首元に巻いたマフラーだって毛玉だらけで今思えばオシャレでも何でもなくて思い出すだけで恥ずかしい中学時代の私と、その隣に座っている紺のロングコートを着て黒いスキニーパンツが妙に似合うくらい大人びていた角名くん。
夢の中の私はそんな2人をどこか上の方から見つめていて、どうしようもなく恥ずかしい気持ちになって目が覚める。浮かれていたあの時の自分をぶん殴ってやりたい。ダサいくせに、一丁前に角名くんの隣に並んで座りやがって。彼女という立場に浮かれて、誰もいないからってキスまでして。なんて恥ずかしい奴なんだと、思い出してはため息を吐いて、枕元にあるスマホをチェックする。画面にはなんの通知もなくて、またため息。朝からこんなにため息をついている女子高生は私くらいなんじゃないだろうか。
地元の高校へと進んで、もうすぐ1年が経つ。友達も出来たし部活だって充実している。初めての高校のイベントなんかも色々経験して、すっかり馴染んだ制服姿だけれど、いまだに夢の中の私はダサくてセンスのかけらもない私服を着ている。それもこれも全部、私の1番楽しくて幸せな記憶がその時代にあるせいだ。
角名くんとは、今もまだお付き合いが続いている。別れるという話が2人の間で出たことはないし、私もそんなことを言ったことはない。だから私たちはまだ付き合っていて彼氏と彼女だけれど、果たして本当にそうなのだろうか?と思ってしまうことがある。
例えば、高校生になってから一度も角名くんに会えていないこと。これは仕方ないこと。兵庫に行った角名くんに会うなんてこと、ただの高校生である私には到底難しい。兵庫まで会いに行く時間も、お金も作れないし角名くんも同じ。
けれどそれだけじゃなくて、他にも色々と思うところはある。例えば電話の回数が減ったこと。おはようの挨拶がなくなったこと。おやすみの挨拶がなくなったこと。前は電話をした時にビデオ通話を楽しんでいたのに、最近は声だけの通話ばかりなこと。私への連絡はないのに、SNSの更新はされていること。
重たいと言われるかもしれないけれど、それでもそんな些細なことが気になったり、胸にチクチク刺さって何とも言えないような気持ちになることがどんどん増えていく。その度に私は角名くんが言った言葉を思い出す。
角名くんが言った遠距離ということは、きっとこういうことだったんだなぁと思い知る。そうして私は何も言えずに言葉を飲み込んで、角名くんが見たことない制服に着替えて家を飛び出して、角名くんがいない学校へと向かう。そんなに不満なら自分から連絡すれば良いのにと色んな友達に言われたけれど、もう自分から連絡するのはやめた。1週間前に送ったメッセージの返信はまだ来ない。たくさん考えて、震える指で送ったメッセージ。「角名くん、元気にしてますか?」って、ただそれだけ。これならきっと一言くらい返事が来るだろうって思っていた私は大馬鹿者だ。



***



最後に私が送ったくだらないメッセージから2週間くらい経って、角名くんから返事が来た。
授業中にポケットで震えたスマホに驚いて机の下で確認すれば、久々に見た名前表示されていて思わず背筋が伸びる。それをそのままタップして開く勇気はなくて、スマホをポケットへとしまい直して授業を受けて、終業のチャイムと同時に教室を飛び出してトイレの個室でスマホと睨めっこをしている私。
タップすれば、角名くんからのメッセージが見れる。「元気にしてますか?」に対してどんな返事が返ってきているんだろう。考えただけで、心臓がヒュッと縮こまったように苦しくなって嫌なパターンばかりが頭の中をぐるぐる回る。今更「元気だよ」なんて返事が返ってくるわけもない。角名くんはそんなにアホな人じゃない。じゃあなんだろう。もしかして、いや、もうこれ8割くらいは「遅くなってごめん。話したいことがあるんだけど」とかじゃないだろうか。そして話したいことって何?って聞いたら、「別れよう」ってくるやつだ。絶対そうだ。だって、そうじゃなきゃおかしい。別れ話だったら、2週間も返ってこなかった理由も、最近電話がなくなってしまった理由も、SNSだけは更新されている理由も、全部全部辻褄が合う。
それなら、このメッセージを開きたくない。開かなければ私はまだ角名くんの彼女でいられるってことでしょ。別れ話をしなければいい。角名くんと同じように、今から開こうとしているこのメッセージも2週間くらい寝かせてみようか。


「…えっ、うわっ、え、電話…!」


なんて、そんな狡いことを考えていたのはどうやら角名くんにはお見通しだったようで、手の中のスマホがブルブルと震えて角名くんからの着信を伝えている。私は慌ててトイレから飛び出して、画面をタップして、ゆっくりと深呼吸をしてからスマホを耳へと当ててどこを目指すでもなく廊下を1人歩く。


「…もしもし」
「あ、もしもし。苗字?」


耳元から、角名くんの声がする。私の名前を呼んでくれる、あの冬の日と何も変わらない角名くんの声。


「あれ?もしもーし。苗字?」


急足で廊下の角を曲がって、その場でしゃがみ込んでスマホを持つのとは反対の手で頭を覆う。
角名くんの声は、何も変わらない。優しいままで目を閉じれば私を見つめるあの優しい顔が想像できる。優しく笑って、私の髪の毛を撫でてくれる角名くんが、すぐ目の前にいる。


「…角名くん」
「あ、いたいた。#苗#字久しぶり」
「うん、久しぶり…」
「メッセージ返事できなくてごめん。それから電話も」
「うん」
「言い訳になるんだけどさ、部活が忙しくて、余裕なかったんだよね。練習終わって、帰ってきて洗濯とかもしなきゃで。あぁ、そうそう。ちょっと前からレギュラー入りしたんだ、俺」
「…え!?」


そんなの前からじゃん。今更忙しいって何なのって、そう返そうと思った言葉は思わず飲み込んだ。
レギュラー入りって、まだ1年生なのに。わざわざバレーの強い学校に行ったのに。部員だってたくさんいるって愚痴ってたのに。そんな中で角名くんはレギュラー入りしたって、それってどれだけすごいことなんだろう。


「すごい。おめでとう角名くん」
「うん、ありがと。だから俺、元気だよ」
「え?」
「苗字が聞いてきたんでしょ?元気かって」
「あぁ、うん。そうだった」
「だから、元気だよ俺は。でも苗字は?」


別れ話をされるなんて思い込んでいた数分前の私は、なんて最低なんだろう。
角名くんは何も変わっていない。いや、きっと私の知らないところで変わってはいるけれど、こうして今私に話しかけてくれる角名くんはきっと何も変わってなんかいない。前と何一つ変わらない声色で話しかけてくれる。抑揚が少ないのに、どこか安心する角名くんの声。


「…元気だよ」
「嘘ばっかり。元気じゃないでしょ」
「元気だよぉ…」
「ハハ、嘘つくの下手だね苗字」
「元気だもん…元気、全然、ほんとに、平気だから」
「うん。俺のせいだね。ごめんね」


熱くなった目頭から、涙が溢れないように必死に耐える。そのせいで声が震えるし、鼻水は垂れてくるしで散々だし角名くんには私が今どんな顔をしているのか、どんな気持ちなのかもきっとバレバレなんだろう。電話なんだから、涙を堪える必要なんかなかった。むしろ涙を流して声を我慢した方が良かったのに、やっぱり私はバカだ。


「ねぇ、苗字」
「…ん、なぁに角名くん」


電話の向こうが、一瞬静かになって何の音も聞こえなくなる。不思議に思って涙が溢れる目を擦りながら、スマホを耳元から離して画面を確認するけれどそこには通話中とある。もう一度スマホを耳へと当てなおせば、角名くんが軽く息を吸ったような音が聞こえてきた。


「遠距離だけど、それでもまだ、俺と付き合ってくれる気ある?」


ここ暫く、ずっと考えていた。
遠距離ということ。会えない寂しさ。不安な気持ち。角名くんのことを好きだという気持ち。遠距離ってこういうことなんだ。角名くんがどうして、わざわざそんな確認をしたのか。
好きって気持ちだけじゃ足りなくて、だけどどうしても諦められなくて。どうにも出来なくて。会えなくても寂しくても、全部を我慢しても好きでいられるかってことを、角名くんは私に確認したかったのだ。会いに行くことは簡単にはできない。それは角名くんも私も悪くなくて、まだ高校生の私たちには当たり前のことだけど、それでも心のどこかで思ってしまう。部活がなければ。バイトをすれば。何か少しでも諦めて頑張れば、他の子達みたいに出かけたり会いたい時に会いに行けるのかもしれない。でもそれをしないのは好きの気持ちが足りないからじゃなくて、ただ、お互い無理なんてしたくなくて、してほしくなくて。それでも好きで手離したくなくて、誰かのものになるのを見てるだけじゃ悔しくて。
角名くんもきっと同じ。角名くんには、私に告白した時からその覚悟があったんだ。私にも同じように。同じくらい、好きでいて欲しくて、角名くんは私に確認したんだ。


「…うん。ある。角名くんと付き合いたい。遠距離でも、角名くんのことが好き」


今、目の前で涙を拭ってくれなくてもいい。ただ話を聞いてくれればいい。それだけでも私は十分で、耳元から聞こえる声で分かってしまう。きっと私は角名くんに大切にされている。自分が思ってたよりもずっと。


「俺も、苗字のこと好きだよ」
「うん」
「会いに行けなくてごめん」
「ううん。お互い様だから気にしないで」
「今度実家帰ったら会ってくれる?」
「うん。私も会いたい」
「俺ね、たまに思い出すよ。寝る前とか、疲れた時とか、苗字のこと思い出すんだけど、その時いっつも苗字がコート着てる。夏だろうとなんだろうと青いコート着ててさ」
「…それ、もう忘れて欲しい」
「嬉しかったけどね。私服見てちょっとテンション上がった」
「ふふ…私もだよ」


耳元がくすぐったい。角名くんの声が好き。声も好き。優しいところも、少し意地悪なところも。遠距離っていう理由だけじゃ諦めつかないくらいにはやっぱり私は角名くんのことが好き。
毎日メールをしなくてもいい。電話だって気が向いた時でいい。すぐ近くにいなくても、私の頭の中には角名くんがいて、角名くんの頭の中には私がいて。それを知ることができたから、きっと私たちこれからも一緒にいられると思う。


「ふふ、ねぇ」
「なに?」
「角名くんと付き合えるの、私だけかもね」
「…うわ、急にすごい自信だね」
「なんとなく、そう思った」
「それくらい自信持っていてくれていいよ。助かる」


ふふ、と笑った角名くんと同時にチャイムが鳴り響く。電話の向こうからも同じようにチャイムが聞こえてきたので、きっと向こうもそろそろ授業が始まってしまうのだろう。ゆっくりと、スカートを叩きながら立ち上がる。


「じゃあ、またね角名くん」
「うん。またね。名前」
「…えっ!?あ、え!角名く…うわ!切れた!」


突然呼ばれた名前にキュンとして、思わずまたその場にずるずると座り込んでしまった。
ずるい。角名くんはずるい。今度は私から電話してみようか。その時は、私も倫太郎って呼んでみたい。



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