荒北ととある夏の夜のこと


「チャリ部もくるらしいよ」


そんな噂を聞いたのは昨日の部活の帰り道。着替えている教室の隣で吹奏楽部の子達がそんな話をしているのが聞こえてきて、私はドキリと心臓が跳ねた。一緒に着替えていた友人もその話が聞こえたらしく、ピタリと動きを止めてから真剣な顔をして耳を澄ませている。
そうして隣の教室から小さな声でひそひそと聞こえてきたヒント。
チャリ部もくるらしい。
時間は部活終わり。明日の部活は午前だけでおしまいで、次の日に部内のレースもあるから自主練も主力メンバーは禁止されている、ということ。

友人と目と目だけで会話して、こくりと一度頷いてから着替えを済ませて教室を飛び出した。きゃあきゃあと2人で手を取り合って、明日の作戦会議をしながら歩いた帰り道。会えるかも分からないのに、嬉しいって感情でいっぱいになって胸が苦しくて浮かれてしまう。当日のヘアアレンジだとか、気合を入れて浴衣を着ようだとか、そんな話で盛り上がって2人で騒いで…それだけでも十分青春だなぁなんて思うけれど、今となってはそんなの青春のほんの一部分でしかなかったと思ってしまう。

通販で安く買った花柄の浴衣に、可愛らしい巾着を持って歩けばコロコロと下駄の音が鳴る。いつもはおろしているだけの髪の毛だってアップにしてまとめた。化粧だって頑張った。それだけじゃ足りず、足が痛くならないようにと可愛らしいレースの足袋まで買って履いてきた私のことを今隣に立っている彼はどう思っているんだろうか。

チラリと視線を斜め上へとあげれば、目に入るのはキラキラ眩しい照明と大好きな人の顔。屋台に目を向けている瞳がこっちを見てくれたらいいのになぁ、なんて。


神社で行われる夏祭り。友達と2人で行こうとしていたそれに、チャリ部も来るらしいという噂を聞いた私はその時からずっとドキドキが止まらなかった。
もしかしたら、会えるかもしれない。一緒に回るなんてそんなことは出来ないだろうけど、同じお祭りにいるならばすれ違うことくらいはあるかもしれない。
学校以外の場所で好きな人に会えるっていうのは高校生の私にとっては特別で、大切なことで。
ただ見るだけで良かった。遠くから見つけられればそれだけでも嬉しいだろうな。そして好きな人の目にも自分が映ることがあれば、それはとっても嬉しい。好きな人の視界に映って、その人が一瞬でも私の名前を思い浮かべてくれたら、それだけで良かったのに。

どうしてか、いま私の隣には私の好きな人が立っている。
2人きりで並んで、屋台を見て回る私たちは側から見たらもしかしたらカップルに見えるかもしれないけれどそんなんじゃなくて、ただの私の片想い。私たちはただのクラスメイトでしかない。


「江戸川、なんか食うか?」


突然声をかけられて顔を上げれば、真っ黒な瞳がジッと私を見つめている。
さっきはその目が私を見つめてくれたら、なんて思っていたけれど実際見つめられたら心臓がドキドキ動いて爆発しそうだからやめて欲しい。きっといま、私の顔は赤く染まってしまっているだろう。

こんなの、恥ずかしくて何も考えられない。
今、何聞かれてるんだっけ。何か食べるかって聞かれてもそんなの何も考えられない。かき氷はベタすぎだし、氷じゃきっと彼のお腹は膨れないだろう。彼は見た目に反してよく食べるということは、ずっと見てきたから知っている。
じゃあ焼きそば?でも女の子が焼きそばって言うのはどうなんだろう。青のりが怖いしやっぱり無理。お好み焼きも同じだし、りんご飴だって硬い飴に齧り付いてる顔なんて絶対見られたくない。
ぐるぐると頭を回転させた結果、私は何も食べないし今食べられそうなものはないと判断して
ふるふると首を横に振った。声を出したら緊張で震えてしまいそうだったし、何を言ってもダメな気がしたから。


「ハァ?」
「えっ?」


彼は目を大きく見開いて、大きな声を出したので私の肩がピクリと震えてしまう。


「祭り来たのに何も食わねぇとかねぇだろ!なんかねぇのかヨ!」
「え…えぇ…あっ、荒北くんは…?」
「ア?オレ?」
「うん。荒北くんが食べたいのは何かなぁって…思って…」
「…」
「…」
「じゃアかき氷」
「!私もかき氷食べたい!」
「ならちゃんと言えッつーの。行くぞ」


フッと笑ってから、そう言って前を歩いていく荒北くんの背中を追いかけるように、コロコロと下駄を鳴らして歩いて行く。すぐそばでゆらゆら揺れる手に触れる勇気はないけれど、後ろではなく隣を歩くのは私のほんの少しの勇気だ。

ずっと好きだった。同じクラスの荒北くんのことが、好きでずっと見つめていた。

どこが好きかなんて今はもう分からないけれど、何をするときも荒北くんのこと目で追ってしまうし荒北くんの話に聞き耳を立ててしまうし、荒北くんの声が聞こえるとドキリと心臓が高鳴るこれは恋なのだと私は知っている。
だけど何も出来なくて、ただ目で追いかけるだけ。いつかこの関係から一歩でも進みたいなぁなんて思ってはいたけれど、そのために行動する勇気なんてなくて私はただ荒北くんとクラスメイトとして過ごしていた。

チャリ部がお祭りに来ると聞いて、もしかしてって思ってソワソワしながら友人と待ち合わせをしていた神社へと向かったら、神社の入り口に荒北くんが立っていた。
白いTシャツにスキニーを履いた私服の荒北くん。
会えるかもとは思っていたけれどこんなにすぐに会えるなんて…!私はなんて運が良いんだろう!嬉しい!と思いつつ浴衣じゃないんだなぁなんて残念な気持ちと、修学旅行以来に見た私服にドキドキして呆然と立ち尽くしていれば、荒北くんがスマホから顔を上げてこっちを見た。目と目がパチリとあえばクラスメイトとして挨拶をするしかない。ぺこりとお辞儀をしたところ、なぜか荒北くんは長い足でずかずかとこちらへと近づいてきて私の目の前でぴたりと足を止めた。


「ヨォ」
「えっ、あ、はい」
「新開と来たンだけど、ついさっきオメーの友達と行っちまった」
「…え!?そうなの?困ったな…電話してみようか…」
「いーけどォ…時間もったいねェだろ。せっかく祭に来たのに」
「え、」
「オレらも歩きながら探そうぜ」
「え、あ、え?」
「オラ、行くぞ」
「え、え…あ、うん」


巾着からスマホを出そうとモタモタしてる私に痺れを切らしたのか、歩き出した荒北くんについて行き一緒にお祭りを歩くことになってしまった。そして今、2人でかき氷を手に持っているこの時間はいったい何なんだろうか。
考えても考えても何も分からなくて、あぁこれはきっと神様がくれたボーナスなんだろうなぁなんて訳のわからないことが頭に浮かんでしまう。
だって、お祭りを好きな人と一緒に歩けるなんてこんな幸せなことあると思わなかった。付き合ってるわけでもないのに、会えただけで、一目見れただけで良かったのに。
2人で並んで歩いてかき氷を買って…まるで付き合ってるみたいな体験をしている今は夢みたいだ。


「何味?」
「いちごにしたよ」
「フツーだな」
「荒北くんは…コーラ?」
「コーラとブルーハワイどっちもかけてやった。つーかなんでコーラなんだヨベプシにしとけヨ」
「ふふ、好きだねベプシ。よく飲んでるよね」
「…食う?」
「…え」


ん、と差し出されたスプーン。
これは、これを食べたら荒北くんと間接キスになっちゃうけど、差し出されたのを食べないのもどうなんだろうか。ていうか、荒北くんは気づいてるのかな。気づいてて、私なら許せると思ってくれてるんだろうか。それとも私だけが意識しすぎ?私じゃなくても…もし、ここにいるのが他の女の子だとしても、荒北くんはかき氷を分けてくれるんだろうか。
ぐるぐる、いいことも悪いことも頭に浮かぶ私は今どんな顔をしているんだろう。と、思ったところで。
きっと私はキャパオーバーしてしまったんだろう。ポロリと自分の目から涙が溢れた。


「…は?」
「…う、うぅ…」
「え?オイ、なんだヨ。どうした!?ナニ!?なんかしたァ?」


そうじゃない。そうじゃないよ。荒北くんは何もしてない。いや、むしろしすぎているだけ。私にとって幸せなこと、嬉しいことを何を思ってか一気にたくさんもらいすぎて、どうしようもなくなってしまっただけ。
もう私は今いっぱいいっぱいで、今目の前にある景色が全部幻なんじゃないかってくらいに思ってて、どうしたらいいか分からない。ギュウって心臓も苦しくて、嬉しいのか寂しいのか悲しいのかも分からないけど…一個だけハッキリしてる。


「…すきです…」


荒北くんと2人きりなのが嬉しい。
頑張って着た浴衣を見てもらえたことが嬉しい。
ちょっとでも荒北くんも私のことを見ていつもと違うとか、可愛いとか思ってくれたのかなって想像するだけで苦しい。
隣を歩くとドキドキする。声を聞いて、お喋りすると苦しくなる。
嬉しいと苦しいが同時に来て、同じように2人で歩く男女とすれ違うたびにほんの少しの寂しさと、自分の意気地なさと、もしかしたらって期待が溢れてしまう。


「荒北くんのことが、好きです」


ざわざわとうるさい喧騒の中で、ぽそりと呟かれた私の小さい声は荒北くんの耳に届いたかもわからない。
今言うつもりなんてなかったけれど、けどもうダメだった。この空気で言えないのなら、きっと私はこの先何があっても荒北くんに気持ちを伝えることなんてできないだろうなって、そう思ってしまったから。


「嘘だヨ」


その場のノリと思われたのかもしれない。けど、違う。本当に本当に、前からずっと私は荒北くんのことが好きだった。


「…嘘じゃない、です。ほんとに、好きです」
「そうじゃなくて」
「…え?」


顔を上げれば、そこにいたのは私の知らない顔した荒北くんだった。
かき氷を持つ手とは反対の手で顔を覆って隠すようにして俯いている荒北くんの耳は、夜の闇の中、提灯の灯りだけの薄暗い中でも分かるくらいに赤く染まっているのが見える。
あーとか、うーとか言葉を発した後、ガバッと手を離して顔を上げた荒北くんが口を開いてくれた。


「オメーの友達が新開ととか、それが嘘」
「…?」
「2人にしてくれって頼んでどっか行ってもらった」
「…え」
「つーか来るとは聞いてたけどォ…浴衣とは聞いてねぇ」
「…うん?」
「よろしくお願いしますってこと」
「…はぁ…」
「…意味分かる?」
「……えっ!?」
「鈍感」


ベッとブルーハワイシロップのせいでほんのり青く染まった舌を出してから、荒北くんは自分のスプーンで私が持っていたかき氷をプスリと刺して、山盛りのひと口を自分の口へと運んで行く。
ぽかんと固まる私に背を向けて、まるで何事もなかったかのようにまた歩き出す荒北くん。


「行くぞ江戸川」


振り返ってそう言った荒北くんは、お祭りの提灯の中でキラキラ光って見えてからジワリと滲んでいく。
ここで泣いてしまったらせっかくしたメイクが台無しになってしまうからとグッと我慢した。

さっきまでとは違って、目の前に差し出された大きな手。見てるだけだったそれに自分の手を重ねれば、きゅっと優しい力で包まれる。
すれ違う男女と同じように、今度はお互いの肩が触れてしまうほどの近さで歩き出す。


「金魚掬いやろうぜ」
「うん!金魚持ち帰って名前つける!」
「なんて?」
「…やすとも?」
「死んだら祟るぞ」
「…やめとく」


ふふふと笑ってから、私も繋いだ手に力を込めて握り返す。

今日、お祭りに来て良かった。









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