めんどくさい手嶋が可愛い


指先に緑色を塗った。キラキラとラメが入った薄い緑。乾かして天井へと手を伸ばせば明かりに反射して光るその色を見る度に、私は高校時代を思い出す。

黒いフレームに緑のラインのロードレーサーが一瞬で目の前を通り過ぎていく。青くて遠い空に大きな白い雲。新緑の匂いと、道路を走るタイヤの音、カラカラと鳴るチェーンの音。大きな声援に歓声。身体中が熱くなって、指先が震えるあの瞬間。
全部、ぜんぶ、思い出すだけで私は一瞬であの夏の日に戻ってしまう。
これを言ったらきっと今泉くんや鳴子くんに怒られてしまうから私だけの秘密だけど、私にとって大切な青春の3年間のうちで1番心が震えたのも、泣いたのも苦しかったのも楽しかったのも、2年生の頃、ひとつ上の学年に好きな人がいたインターハイの3日間なのだ。


「おさきー」


背後からかけられた声に振り向けば、半袖短パンのパジャマ姿で頭にタオルを被った純太がいる。きちんと拭ききらずにお風呂場から出てきたせいで純太の髪の毛からぽたぽたと水滴が床のフローリングに落としながら歩いてきて、私の後ろにぴっとりとくっついて座る。まるで包み込むようにして私を抱き抱えて座った純太。私の肩にもぽたりと水滴が落ちてきてちょっと冷たいし、それになんだか純太からいい匂いがする。この人、絶対私のちょっと高いシャンプーとトリートメント使ってるじゃん。やめてって何度も言ってるのに。どれだけ私のシャンプーとトリートメント使ったって純太の髪の毛は真っ直ぐにはならないんだよ。無駄にツヤツヤにはなるけどね。


「純太、ちゃんと頭拭いてから出ておいでよ」
「だって洗面所あっちぃんだもん…あーあちー」
「暑いなら離れたらいいんじゃない?」
「沙夜の肌クーラーでひんやりしててきもちー」


確かに今日は部屋から出なかったから、クーラーの冷気で私の肌は冷え切っている。
くっつかれてるのは嫌じゃないけれど、このままじゃ私の服がびちょびちょになってしまうからどうにかしなければ。ネイルが乾いているのを今一度確認してから純太の腕の中で身体を捻って抜け出し、今度は私が純太の背後へと回る。頭にかかっているバスタオルでごしごしと濡れた頭を拭けば聞こえてくる鼻歌。どうやら今日の純太はだいぶご機嫌みたいだ。そりゃあそっか。
さっきまで2人で囲んでいた食卓はいつもよりもずっと豪華な夕飯が並んでいた。私はレタスをちぎっただけの生ハムのサラダに、純太が自分で作ったカルボナーラ。本当ならこういう時くらい私が料理してあげられたら良いんだろうけれど…私が作るよりも純太が作った方が美味しいことなんて今までの経験から明らかだったことをお互いわかっている。それに純太は料理をすることは嫌いじゃないし、私が食べるものを作るのは楽しいと言ってくれていたのでお言葉に甘えることにしている。その代わり、食べ終わった後の食器洗いやお片付けは私の仕事。これに得意不得意があるかは分からないけれど、マネージャーをやっていたからほんの少し自信はある。
髪の毛を拭き終わり、純太の髪の毛がふわふわになったところでとんっと肩を叩けば「サンキュー」という声が飛んでくる。拭いていたタオルを洗濯機へ入れるために立ち上がればなぜか目の前に座っていた純太も同じように立ち上がった。


「純太?」
「んー?」
「座ってていいよ。私これ置いてくるだけだから」
「えー、一緒に行く」
「一緒にって…この距離を…」


今私たちがいるのは純太が一人暮らしをしているアパートで、言ったら悪いけれどこのアパートの一室は決して広くはない。リビングから洗濯機なんて何歩か歩けばすぐ辿り着いてしまうような距離なのに、純太は立ち上がると私の後ろにピッタリとくっついて後をついてくる。私の腰をきゅっと掴んで、私が右足を出せば純太も右足を出し、左足を出せば左足を出す。歩きづらいし重たいし…これを言っていいのか分からないけれど…


「純太」
「ん?なに?」
「…めんどくさい…」
「えーそんなこと言うなよ沙夜ー」


うりうりと首筋に顔を埋めてくる純太はやっぱりめんどくさい。普段から優しいし、私だってくっつかれるのが嫌ってわけじゃないけれど、いくらなんでも今の純太の甘えた加減と喋り方はめんどくさい。
まぁ、今日は仕方ないか。純太にとって大切な日だし、浮かれているのだとしたらそれはそれで私も嬉しい。友達もいるし家族もいるし、純太のことを祝いたい人がいる中で私と2人で今日を過ごすことを選んでくれた純太が楽しそうなら、私も楽しい。
洗濯機にタオルを突っ込んでからも、純太は私の後ろをピッタリとくっついて離れない。2人で一緒に右足、左足と揃えて歩いて辿り着くのは狭いキッチン。冷蔵庫の前に立てば、純太も私が何をしに来たのか分かったらしくそわそわ、右から顔を出したり左から顔を出したりと忙しい。


「何かな何かなー」
「今年はねぇ…迷ったんだけどぉ」


冷蔵庫を開けて取り出すのはケーキが入った箱。今年は奮発して、なんとホールケーキを買ってしまったために純太の一人暮らし用の小さな冷蔵庫の中でかなり目立ってしまっている。純太もびっくりしたみたいで「おわっ!」なんて声がすぐ耳元で聞こえきた。


「でけー!ホール?食べきれるかぁ?」
「私も食べるし、それに明日きっとみんな来るでしょ?」
「あー、確か青八木とか鳴子が来るって言ってたっけ」
「今泉くんからも返信きてたよ。純太ちゃんと返信しなよ」
「いやー忘れるんだよなあれ。見たらいいやってなっちまってさ…」


純太はマメに見えてマメじゃない。トークの返信も遅いし、なんなら返信しないままの時もある。料理する時も意外と大さじや小さじを計らず目分量で料理をしたりする。それでも美味しく仕上がるから、器用なんだとは思うけれど、みんなが思うほど純太はちゃんとしていないところがある。それを知っている人もいれば知らない人もいて、私は自分自身が知っている側にいるのが幸せだなぁって思うのだ。
私しか知らないわけじゃないけれど、私に見せてくれる純太はきっと心を許してくれているんだろうなぁって知っている。
今こうして後ろにべったりと張り付いている純太も、めんどくさい純太も、どんな純太も好きだから、私はこれからもどんな純太のことも見ていたいし知りたいなぁと思ってしまう。


「はい、ケーキ私が持つから純太はお皿とフォーク持ってくださーい」
「あーい」
「ケーキ落としたら大変なので離れてくださーい」
「イヤでーす。落とさないでくださーい」
「ちょっと、純太!」
「えーいいじゃん今日くらいさぁ。誕生日だぜ?俺」
「…めんどくさい!」
「オイ沙夜ー?大好きな彼氏に向かって何だよその態度は!」
「酔ってる?」
「残念素面でーす」


後ろにご機嫌な純太をくっつけたまま、ローテーブルへとケーキを置いてその場に座ればようやく純太は私の後ろから離れて隣へと腰を下ろした。それを確認してからケーキの箱を開ければ、純太の目がキラキラと輝かしいものになっていく。
それを見たら、やっぱりホールケーキにしてよかったなぁって思ってしまうのだから私も単純だ。お財布の中身は寂しいものになってしまったけれど、誕生日当日に2人きりで純太の家で過ごすことができてかつ、その笑顔が見れれば安いものである。

ずっと見てきた。
純太の強いところも弱いところも。楽しそうなところも悲しそうなところも苦しそうなところも。近くで見てきて、今も隣に置いてもらえている。それがどれだけ幸せなことか改めて感じて、ふふふと笑い声を漏らしてから廊下の向こうの玄関へと目をやれば目に入ったのは、あの頃と変わらない黒のフレームに緑のラインが入ったロードレーサー。そこに自分の指先を伸ばせば、同じ色をしている。純太の緑色が、私の指先にのっている。


「何してんの?早く食べようぜ」
「うん。純太好き」
「俺も好き」


高校時代よりずっと大人になった純太がへらりと笑うから、私も笑う。
これからもずっと純太と一緒にいれますように。






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