正しく美しい東堂に愛される


綺麗に整頓された部屋の中で2人付き合って座っている。フローリングの上に正座をして俯いている私と、その向かいで同じように正座をしてこっちを真っ直ぐ見つめてくる尽八。
私のは尽八の視線が痛くて怖くて、顔を上げることができないので縮こまっていただけの正座だ。普段だったら足を崩して自分の好きなままに座っているし、そうやって座りたいがために尽八の部屋にクッションを持ち込んだくらいには正座をすることなんて滅多にない。それに比べて、尽八の正座はいつものことだ。旅館で育ったこともあり、尽八は色々なことがきちんとしている。姿勢、佇まい、言動。人から見られるであろう所作全てがきちんとしていて私はそんな尽八を垣間見るたびに自分のことがとても恥ずかしくなる。
例えば、朝は起きれなくて何度もアラームをかけてしまうこと。結局遅刻ギリギリになって走って大学へと向かうこと。明日からお弁当を作ろう!と決めたのに1日も実行できなかったこと。バイトのシフトを間違えて提出してしまい、月に一度の尽八とのデートがリスケになってしまったこと。尽八が「観にきて欲しい」と言ってくれたレースの日をすっかり忘れていて、彼氏とデートだと言う後輩のことバイトのシフトを変わってしまったこと。きっと尽八ならそんなこと一切しないんだと思う。アラームは一度できっかり目が覚めるし、大学の授業は始まる10分前に教室にいる。食事管理もしっかり出来ているし、私とデートをする日にはカレンダーに丸をつけている。私に「観にきて欲しい」と言ったレースでは、私がいなくても優勝をしたのだとついさっき、この部屋の中で笑って教えてくれた。
それを聞いた瞬間に、私の中のダメなスイッチがぽちりと押されてしまったのだ。


「沙夜」


ピリッとした声に名前を呼ばれて、ビクッと背筋が跳ねる。顔を上げることはやっぱり出来なかった。尽八の目を真っ直ぐに見つめ返す自信が今の私にはないのだ。目の前のこの男の周りを取り巻くオーラのようなものを肌で感じている。高校生の頃から付き合って来てもう3年くらい経つけれどこんな感情は尽八から与えられたことがない。背筋が凍るようなこれは、多分怒りだ。尽八は怒っている。


「沙夜」


名前を呼ばれているだけなのに、どうしてこうも恐ろしい思いをしているのか私には自覚がある。尽八が何を求めているのか、分かってはいる。ついさっき、この部屋の中で私がぽろりと溢してしまった言葉の真意と弁解を求められている。
尽八は優しい。尽八はちゃんとしている。尽八は正しい。正しくて綺麗で美しい。人として真っ直ぐで、私にとっては勿体無いくらいに出来た人だ。そんなところを好きになった。私もこうなりたかった。尽八のように正しく生きたい。けれど、私にはそれが難しいのだと薄々気づいてはいた。気づいていたけど知らないふりをしていて、ずっと心の奥底で私の心臓を羽先でこそこそとくすぐっていたのだ。このままでいいのか、と問いかけてくる。


「…別れたい」


ずっとずっと悩んでいた。私は尽八といてもいいのだろうか。尽八の隣にいるべきなのは、もっと尽八のように清く正しく美しい人であるべきなんじゃないか。結果、私の口から出たのは尽八との関係を終わらせるための言葉だった。
もう一度それを口にすれば、部屋の中に息を呑む音だけが響く。顔は、やっぱりあげられなかった。どんな顔をして尽八を見たらいいのか分からないから。


「沙夜」
「…別れたい、です。ごめんなさい」
「…理由を聞かせてくれ」
「……」
「理由を聞く権利くらいはあるだろう?沙夜が何を思っているのか。どうしてそうしたいのか、それくらいは聞かせてくれないか」


ほら、こんな時でも尽八は正しいことしか言わない。
私だったら理不尽に別れを切り出されたらどうするだろうか。叫び散らかして尽八に飛びかかるかもしれない。テレビを割ったりリモコンを投げ飛ばして窓を割るかもしれない。それくらい、理不尽なことを言っている自覚はある。それなのに尽八はいつものように冷静で、理性的で正しくあろうとする。
ダメな私と綺麗な尽八。並んでいると自分のダメな部分がどんどん浮き彫りになる。それが嫌で、耐えられなくて、別れたいだなんて。そんな贅沢なことを言えるわけがない。言ったところで、尽八は私のこの卑屈な思考を理解できないだろう。


「…私は、」
「あぁ」
「私は、私だったら、私は私のことが許せないんだよ」
「…は?」
「尽八と違ってちゃんと出来ない自分が嫌なの。尽八のように正しく生きたい。尽八のことを裏切りたくない。尽八みたいになって、尽八の隣で自信を持って笑えない自分が、情けなくて、つらい」


最後くらいきちんと伝えておいた方がいいのかもしれない。そう思って、心の中にあった想いを小さく口にしてみた。震えた声だったけれど、静かな部屋の中で尽八の耳にも届いただろう。
きっと1ミリも理解されないだろうけど、これが全てだ。ずっと私が思っていたこと。私は尽八のことが好きだ。好きで好きで仕方なくて、尽八の隣にいることが苦しい。尽八の隣にいる自分を認めてあげることも、自信を持つこともできない。尽八の隣は居心地が良すぎて、そして息苦しかった。尽八は何も悪くない。悪いのは私に応えられなかった私だから、ふざけるなと言って罵って呆れてくれればそれでいいよ。

突然、どこかで聞いた話を思い出した。1番好きな人とは付き合わない方がいいらしい。
本当にそうかもしれない。尽八のことが好きだ。誰よりも何よりも1番に尽八のことが好きなのに、尽八を傷つける自分を私が許せない。「観にきて欲しい」という言葉を裏切って守れなかった。それなのに尽八は笑ってくれた。「優勝したぞ」と言って花束を持ってバイト先まで迎えに来てくれる、そんな人をどうして私は大切に出来なかったんだろう。

ぐすりと鼻を啜る音が部屋に響いて、フローリングの木目を見つめていた目を見開いた。目線を少し先へと動かせば、フローリングに落ちている水滴。


「そんなこと、言わないでくれ」


聞こえて来た弱々しくて小さく震えた声に、思わず顔を上げた。目の前に飛び込んできたのは、正座をした膝の上でぎゅっと握り拳をつくり、俯いている尽八の姿。
じくりと、自分の心臓が痛む音がした。


「俺は、沙夜に裏切られたなんて思っていない。沙夜のことが好きなんだ。優しくて、いつも誰かのために頑張れる沙夜のことが好きだから、そんなことは思わない」


そう言って尽八が顔を上げると、パチリと目と目がかち合った。俯いていた時はきっと怒っているのだろうと思っていた目にはじわりと涙が滲んでいるように見える。
どうして、なんで、尽八がそんな顔をするんだろう。怒っていいんだよ。怒って欲しい。ダメだなと叱って欲しいのに、どうして。


「朝起きれないのは、俺が起こしてやる。授業がギリギリになってもいいさ。俺が席を取っといてやる。弁当だって無理しなくていい。一緒に学食で食べよう」
「…え、」
「バイトのシフトは一緒に出せばいいだろう。予定は、俺だって突然ダメになることもある。そんなことを気にして欲しくない。お互い様だろう。今回はたまたま沙夜がダメになったってだけだ」
「で、でも」
「レースは見に来て欲しかったが…まだ機会はある。また優勝すればいいだけだろう?」
「そんな簡単に…」
「沙夜は俺が負けると思うのか?」


膝の上で硬く握られていた尽八の拳が、ふわりと解けて私に向かって手を伸ばしてくる。私の手の上に尽八のあったかくて大きな手が重なって、じわりじわりと私の心を解いていく。
尽八の目からまたぽろりと、涙がこぼれ落ちるのを見たらもうダメだった。私の視界もじわりじわりと滲んでいって、ゆらゆらと尽八の姿が揺れる。尽八の手が、私の手首を握って自分の方へと引き寄せた。正座をしたまま上半身だけが尽八の胸の中へと倒れ込んでいく。ぎゅっとあたたかい尽八に苦しいほど、力強く抱き締められる。私は涙を溢さないように、きゅっと唇を噛み締めて耐えていた。泣きたくなるけど、泣きたくなかった。嬉しいから笑いたいのに、どうしてだろう。胸が苦しい。痛い。


「俺はそのままの、今のままの沙夜が好きだから。それでいいんだ。自信なんて必要ない。隣にいてくれれば、それでいい。沙夜じゃなきゃ嫌だ」


苦しい。尽八の言葉を聞くほどに、息苦しくて嬉しくてぼたぼたと涙が頬を伝って尽八の肩へと落ちていく。同時に尽八の顔が埋まっている私の肩もしっとりと湿っていくのが分かったけれど、顔を上げたり確認したりする気にはならなかった。きっと今、尽八のことを見たらもっともっと苦しくなってしまうだろうなって分かるから。
好きすぎて胸が苦しくなるなんて知らなかった。尽八のことを好きだと思う時はいつもあったかくてふわふわしていて、幸せだって気持ちが大きかったから。いつだって大切にされていた。尽八から注がれるたくさんの愛情に溺れて、幸せで満ちていた。
私も尽八の背中へと手を伸ばして、ぎゅうっと力を込めて抱き締める。今まで抱き締められてばかりだったから知らなかった。抱き締める方もこんなに幸せな気持ちでいっぱいになれるんだってこと。


「私、尽八のことが好きだよ」
「あぁ。熱烈な愛の告白を受けた気分だ」
「それは、私の方じゃないかな」
「あぁ。愛してるよ沙夜」
「…」
「沙夜が完璧だと、綺麗だと言う俺が沙夜のことを愛しているんだから。胸を張って歩いてくれ。俺の隣にいてくれ」
「私も…尽八のことを愛してるよ」


ドラマでしか聞いたことのないような甘ったるくて恥ずかしい言葉を言いたくなるくらいに、私も尽八のことを大切にしたい。正しくなれなくても、美しくなれなくても、私は尽八の隣に立っていたい。こんな私を好きだと言ってくれる尽八のことを好きでいたい。まだまだ自信なんてないけれど、いつか胸を張って尽八の隣を歩けるような人になりたい。
尽八と手を繋いで、世界で一番幸せだって叫んで人生を終わらせたいと思えるようになったよ。









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