新開と2人きりの小さな世界


どうして?と聞いたところで彼からの答えは変わらない。私が1番好きだった答えは、だんだんと少しずつずっしり重たく心に影を落とすようになってしまった。


「沙夜のことが好きだからさ」


そう言われるたびに、嬉しくて心臓が跳ねて隼人に飛びついていた。心が躍って、幸せってこういうことなんだなって思っていた。このまま死んでしまうんじゃないかってくらい天にも昇る気持ちになっていたあの頃に戻りたい。いや、戻ったところで何も解決はしないけれど。あの頃のバカな私なら、隼人だけがいればこの世界は成り立つと思っていたし、隼人に好きと言われることだけを生き甲斐にしていたんじゃないかなってくらいにキラキラ輝く恋する乙女だった。好きと言われれば言われるほど、私も隼人のことが好きになった。隼人に愛されている自分のことも好きになれた。
要するに、高校時代の私たちはお互い様だったのだ。隼人には私がいればいいと思っていたし、私が隼人の世界になりたいと思ってた。
隼人の目に映るのは私だけがいい。何よりも私を優先して欲しい。いつどんな時だって私を想っていて欲しい。私だけを隣に置いて欲しい。私にだけ愛を囁いて欲しい。他の子なんて見ないで欲しい。私だけで、生きて欲しい。
それはきっと、高校生の私たちにとっては最大限の愛情表現だったし、私と隼人の関係を知る人しかいない箱根学園という狭い世界を生きていく上では幸せなことだった。
けれど、私たちはもう小さな箱の中で生きる子供ではなくなってしまった。大人になってしまって、その気になればどこまでだっていける。社会の一部となって、隼人の知らない日常を過ごしていく。箱根学園を飛び出してそれぞれ新しい環境へと足を踏み入れれば、新しい出会いがあった。新しい友達。先輩。後輩。人と人の繋がりは広がっていく。出会うたくさんの人たちに支えられて、私たちはそれぞれの世界を創り上げてその中で生きていかなければならない。あっという間に広がっていった私の世界にはもう、隼人だけじゃなくなってしまったのだ。
それは仕方がないことだというのに、きっとみんな自然とそうして大人になっていくのだと、そう思っていたのに。

新開隼人は誰よりも真っ直ぐで純粋で、あの頃と何も変わらないまま大人になってしまった。


「なぁ、沙夜。どうしたら分かってくれるんだ?」


するりと隼人の大きな手が私の頬っぺたに伸びてくる。優しく触れる手はひどく冷たくて、ピクリと体を跳ねさせれば、私を見つめる隼人の目がスッと細められる。まるで睨みつけるかのようなその目が苦手だ。私が好きなのはまん丸で、垂れ目な隼人の目が好きだ。私の名前を呼ぶ優しい声と、優しい表情が好きだ。私のことが好きだと分かる顔が好きだ。

ついさっきまで、2人くっついて並んでソファーに座りながら録画していたメロドラマを「こんなのあり得ないよね!」なんてツッコミを入れながら笑って楽しく鑑賞していた。2人で手を繋いで行ったコンビニで買ったお菓子をつまみながら笑いあっていたのに、今はそのお菓子がお皿からひっくり返って床に溢れているし、テレビもリモコンが吹っ飛んだ拍子にチャンネルが変わってしまったようで、チャンネルが切り替わりバラエティの無駄に大きな笑い声が部屋に響いている。
シンと静まり返る部屋の中で響く笑い声。

多分、きっかけは私が隼人に明日のサークルの飲み会について話をしたこと。普通の人たちからしたらなんてことない会話。「明日飲み会なんだ」と、ただそう伝えただけ。むしろ伝えただけ良心的と思う人だっているだろう。別にいつどこで、誰と何をするかを全て彼氏に伝えなければならないなんてルールはこの世にない。けれど私は伝えたのだ。心配性で私のことをたくさん愛してくれる彼氏が不安にならないように、良かれと思って伝えたはずなのに。どうやら判断を間違えてしまったらしい。まぁ、言わなかったとしてもいつかはこうなっていたかもしれないけれど。


「沙夜、俺は心配なんだぜ」


心配するようなことは何一つないというのに、この人は何がそんなに心配なんだろう。
心配になるとテーブルをひっくり返して、彼女を床に組み敷くのだろうか。ぎりぎりと力いっぱい彼女の手首を握るのだろうか。
そんな人間はそうそういないし、そんなのは理由にならないでしょ。
黒く塗り潰された瞳が、私を真っ直ぐに見下ろしてくる。ゾッとするほどの黒に、ぞわりと背筋が震えて思わず視線を逸らした。それが気に食わなかったのか、私の手首を握る手に更に力が込められてみしりと骨が鳴る音が聞こえる。


「…隼人。何回も説明したと思うけど、なんにもないよ。ただの飲み会。隼人だってあるでしょ?」
「俺はそんなの行かないさ」


そうだ。この男は派手な見た目をしているくせに飲み会なんてものには参加をしない。所属しているのは高校時代から続けている自転車競技部で男だらけ。真面目で伝統ある部活なので、頻繁に飲み会が行われるサークルとはちょっと毛色が違う。
けれども、一般的に見たら分かるでしょ?私のだって本当にただの飲み会だ。みんなでくだらない話をして、親睦を深めようってだけ。別に何か前科があるわけでもない。それの何がいけないというのだろう。私には分からなくて、そのせいで何度も何度もこのやり取りを繰り返している。もう何回目かは分からない。隼人がどうして怒っているのか、何がそんなに不安なのかももう私には分からない。
高校時代は隼人のこと、何でも分かっていると思っていた。優しくてカッコよくて食いしん坊で、どこか儚いような危うさがある隼人のことを全部愛したいと思っていたし、実際に全部愛していたと思う。隼人のことが好きだった。隼人が世界の全てで、隼人のことを受け入れたい。受け入れられると思っていた。

だけど今の私には、隼人が思っていることが全然分からない。隼人の考えを、受け入れることも共感することも出来なくなってしまった。


「どうして…」
「何度も言わせないでくれよ。沙夜のことが好きだからさ」


どうしようもない愛の言葉なのに、呪いの言葉のように聞こえるのは私の耳がおかしくなってしまったのだろうか。「好き」と言われるたびに頭の奥がぐらぐらと揺れて、身体が重たくなりその場から動かなくなってしまう。
そんな私に気づいているのかいないのか、隼人は強い力で掴んでいた私の手首をそのままぐっと引き寄せると、ふわりと優しく抱き締められた。がっしりとした大きい身体に包まれて、あたたかいはずなのにどうしてか私の心は冷え切っていて思うように身体を動かすことができない。広くてたくましい背中に手を回せずに、されるがままに抱き締められている私はまるで人形のようだ。隼人の大事なお人形。綺麗に、誰にも傷つけられないように、汚れないように、大切に大切に仕舞われているお人形の私。


「好きなんだ沙夜。俺にはおめさんだけなんだ」
「…隼人」
「どこにも行かないでくれ」


耳元で響く、低い声。隼人はいつまでも変わらない。あの頃のままに私を愛してくれる。
隼人の世界には私しかいない。私の目に映るのは隼人しか許されていない。隼人以外の人が私を構築する世界になることが、隼人には許せない。

愛されてるねと、人は言うだろう。かっこいい彼氏にそんなに愛されて幸せだねと。羨ましい。私もそんな彼氏が欲しい。そんな言葉をたくさん聞いてきたけれど、私はあなたたちが羨ましい。
私は普通の恋がしたかった。隼人のことが好きで、隼人の周りの人たちのことを知って、愛して、感謝をして、隼人の全部を愛したかったし、隼人には私を構築する世界全てを愛して受け入れてほしかったのに。

隼人はそれを許さない。


「世界には俺と沙夜だけでいいのにな」


そんな優しい顔と声で、恐ろしいことを言う隼人がいることを知らなかったあの頃の馬鹿な私へ。早く、この人のところから逃げろと伝えてあげたい。手放せなくなる前に。この笑顔を可哀想だと、私がいてあげなくちゃダメなんだと想ってしまう前に、この人から逃げるべきだった。離してあげなきゃダメなのだ。手放してあげないと、誰も幸せになれない。私も隼人も。


「…好きよ、隼人」


その言葉を口に出すと、死んでしまうんじゃないかってくらいに苦しくて辛くて堪らなくなる。

昔とは正反対の感情を抱きながら、息が出来なくなるようなキスを繰り返す私たちを誰が助けてくれるのだろうか。

助けて欲しい。もう私は自分からは隼人を手放すことなんてできない。何があろうと、何をされようと、隼人を置いていくことなんて出来ない。だって、隼人をこうしてしまったのは私なのだ。私がいないと隼人はダメになる。私がダメになってもいいから。

だから、どうか。誰か隼人を助けてあげて欲しい。










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