大きな心で黒田を支えたい


手を繋いで歩くこと。下の名前を呼んでもらうこと。目と目を合わせて会話をすること。優しく、頭を撫でてもらうこと。
全部叶えて欲しかった。好きな人と付き合えて調子に乗って、自分は世界一幸せなんだと思っていた。


「わりィ」


「お昼一緒に食べれない?」なけなしの勇気を振り絞って伝えた私のおねだりは、こちらを見向きもせずに断られてしまった。休み時間の今も菓子パンを片手に部誌らしきものに何かを必死に書き込んでいく黒田に、私の心はぎゅっと誰かに握り締められたかのように苦しくなる。


「…えっと、ほんの少しだけでもダメ?ここで食べるだけ!黒田はそれやってていいからさ」
「いや、これ終わったら塔一郎のとこ行くしそんな時間ねぇよ。悪いな」


そう言って席から立ち上がった黒田は、書き込んでいたノートを小脇に抱えると私の横をするりとすり抜けて教室の外へと消えてしまった。きっと言葉の通り、泉田くんの元へと行ってしまったのだろう。お昼休みが始まってから、まだ10分も経っていない。
男の子は食べるのが早いなぁ、なんて思いながら私は自分の席へと戻り腕の中に抱えていたお弁当箱の蓋を開けることにした。卵焼きにほうれん草の和え物。メインのハンバーグが2つと、それとは別の入れ物に詰め込んできた食後のデザートのオレンジ。普通の女子高生である私1人では到底食べきれそうもない量を目の当たりにして、視界がじわりと滲んでいく。それでも、泣いたらダメだ。これは私が勝手にしたことだから。ただ私が勝手に黒田とお弁当が食べたくて、黒田に私が作った料理を食べてもらいたくて、黒田との時間が欲しくて私が勝手にしたことだから。そんなことを黒田は知らないんだから、黒田は悪くない。そう言い聞かせて、うっかり目から溢れそうになった涙を引っ込めて両手を合わせて小さく「いただきます」と呟いた。

黒田が忙しいのは知っている。そりゃ、そうだ。全国1位を目指している部活の副キャプテンを任されたばかりの黒田は、それなりに部活をこなしそれなりに楽しく毎日を送る私とは全然違う時間の中を生きている。
親元を離れて寮に入り、自分の身の回りのことは自分でこなしながらも部員たちの面倒まで見ているのだから、私は黒田に頭が上がらない。家に帰ったら両親がいて、勝手にご飯が出てきて洗濯は済んでいて綺麗な布団で眠る。そんな生活を当たり前に過ごしている私と黒田では何もかもが違うし、私は黒田の大変さなんて想像すらできない。
けれど、想像は出来なくても尊敬をしているから、そんな風に何かに一生懸命で真っ直ぐで真摯に取り組み努力をする黒田のことが好きになった。だから私は、私が好きになった黒田のことを応援したいし支えたい。
その気持ちに嘘も偽りも一つもないけれど、そんな黒田の慌ただしくて充実する日々の中に、私のことも入れて欲しいと思ってしまうのはいけないことだろうだろうか。

付き合ったら手を繋いで帰り道を歩いて今日あった楽しかったことや悲しかったことを聞いて欲しいし聞いてあげたい。下の名前を呼んでもらいたいし、私も黒田のことを雪成と呼んでみたい。大きな手で頭を撫でて「名前」と黒田が呼んでくれたら、きっと私はどんな辛いことがあっても苦しいことがあっても、その想い出があれば乗り越えられるんだろうなと、そう思っていた。
けれどさっきの黒田の態度を思い返せば、それらは何ひとつ叶いそうにない。どれだけ頑張っても、歩み寄ってみても私はなかなか黒田の一部にはなれないのだと気付かされてしまう。
ほんの少しだけ目線を向けてくれたら、それだけでよかった。名前じゃなくてもいいから、苗字を呼んでくれて、冗談みたいに軽くていいから「ごめんな」とその一言を目と目を合わせて伝えてくれたら。大きな手で頭を撫でてなだめてくれたら。きっと私はこんな風に惨めな気持ちにならなかったのだろう。けれど、あぁしてほしいとかこうしてほしいと思ってしまうのはやっぱり私の一方的な我儘な気がして、言葉にせずにぐっと飲み込んでしまった。こぼれ落ちそうだった涙も、寂しくて苦しい気持ちにも、全部蓋をして無かったことにしてしまう。それでもいい。黒田と付き合っている。私が、黒田の彼女なのだと自分に言い聞かせてハンバーグを口へと運んだ。
あ、これちょっと固い。美味しくない。あぁ良かった。もし黒田と食べてたら黒田に嫌な思いをさせたかもしれないし、料理が下手な女と思われてしまったかもしれない。
だから、良かった。1人で食べるべきだったんだ。最初からそう決まっていた。黒田と食べたいなんて、そんなこと思った自分が間違っていた。それでいい。それがいい。
そんなことを考えて、ゆっくりとお弁当箱の蓋を閉じた。案の定おかずもご飯も食べ切ることはできないまま。


黒田と私が付き合っている意味はあるのか?
次の日の朝、1人で通学路を歩きながら考えてみる。背負ったリュックサックには懲りずにまた1人で食べるには多すぎるお弁当を詰め込んで来てしまった私は大概諦めが悪い女だ。早起きが苦手なくせに、こんなにも一生懸命になれるなんて私は一体何がしたいんだろうか。
黒田にお弁当を食べてもらいたい?黒田と一緒に食べたい?黒田に振り向いて欲しい?黒田と話がしたい?
そのどれもしっくりこなくて、はてと首を傾げながら坂道を歩いて登っていく。下を向き自分のスニーカーをじっと見つめていれば、スニーカーと視線の間に大きな手が入り込んできた。ピタリと足を止めて、ひらひら揺らされるそれをじっと見つめていれば上から声が降ってくる。


「江戸川」


顔を上げれば、黒田が立っていた。驚いて周りを見渡せばもう坂は登りきって校門の前まで辿り着いていたらしい。


「何ボケっとしてんだよ。眠ぃのか?」
「…黒田?」
「おう。はよ」
「おはよう…」


くぁっと大きく口を開けて欠伸をした黒田は、どうしてここにいるのだろうか。寮に住んでいる黒田がこんな朝に校門の前にいることはおかしなことだと、少し考えれば分かる。しかもジャージ姿ではなく制服で立っているってことは、朝練というわけでもないのだろう。校舎の時計を見てみれば時刻は8:00。始業まではまだ40分も時間がある。


「どうしたの?」


私の言葉を聞いて、黒田は眉間に皺を寄せて何とも言えない顔をした。怒っているのか、悲しんでいるのかどっちとも言えない顔で私を見つめながら腰に手を当てて仁王立ちをしている。私はただ疑問を言葉にしただけなのだけれど、何か黒田の気に触ることを言ってしまったんだろうか。


「お前、怒ってんの?」
「…なんで?」
「なんでって…昨日、江戸川が誘ってくれたのに昼断ったろ」


バツが悪そうに視線をあちらこちらへと逸らしながら小さな声で黒田が言葉を紡ぐのを、私はマヌケにもぽかんと口を開けてじっと見つめるしかできずにその場に立ち尽くす。
黒田のその顔を見たのは2回目だ。1回目は、私が黒田のことを呼び出して黒田が好きだと告げたあの日。夕陽がさす放課後の校舎裏というなんともベタな場所に黒田のことを呼び出して、好きの気持ちを伝えた。私より上にある黒田の目を真っ直ぐに見つめて、ずっと好きでしたと言った私の言葉を黒田は受け止めてくれた。私は黒田の彼女になって、黒田は私の彼氏になった。嬉しくてほんの少し泣いた私を見て、黒田は「バァカ」と言って笑ってくれた。つんと釣り上がっている猫目が笑うと優しくなって目尻が下がる。その顔が、やっぱり好きだなぁと思ったことを今、どうしてか思い出した。


「怒ってないよ」


怒ってなんかないよ。何度も言うけど、黒田が忙しいことも部活に真剣なことも、本気で全国1位を目指していることを私はちゃんと知っている。朝から晩まで部活のことで頭がいっぱいで、お昼の時間も部活に費やして。私には分からないけれど、きっとそうでもしないと1位になんてなれやしないんだろう。だから、私は怒ることなんてできないししたくもない。
けど、まぁ、本音を言ってもいいのなら。


「怒ってないよ。寂しかっただけ」


無理をさせたいわけじゃない。重いと思われたいわけじゃない。ほんの少しでいいから、黒田の心の中に私を入れて欲しかった。


「…悪い」


謝って欲しいわけじゃないよ。そんな悲しそうな顔をして欲しいわけでもない。黒田が私のことを気にしてくれて、私のために時間を割いてくれて、私のことを思い出してくれた今が、私はすごく嬉しい。


「好き」


腰に置かれていた黒田の手に、自分の手を伸ばす。両手で、黒田の大きな手を引っ張ってじ分の方へと引き寄せた。ゴツゴツした男の子の手は思っていたよりもあたたかい。
ずっと触ってみたかった。黒田に触れてみたかった。何もなくてもいい。夢中になれるものがある黒田を尊敬しているから、私のことなんて忘れてしまっても全然いいよ。


「こうして触れ合えれば、それで充分なんだよ」


それだけで、私は黒田と付き合っている意味がある。

触れていた手に力が込められた。自分の意思で動き出した黒田の手は私の両手の拘束から逃げ出したかと思うと、私の左手に指と指を絡めてぎゅっと握られる。


「あー…今日はさ、昼時間あるから」
「え、」
「一緒に食おうぜ。昼」
「…いいの?」
「いいのも何も俺だって、江戸川のこと好きなんだよ」
「…ふふ、うん」
「分かれよ」


そう言って繋いだ手を引っ張って歩き出す黒田の後を慌ててついていく。私よりも足が長く一歩が大きい黒田について行くのは大変だけれど、大丈夫だよ。走れば追いつけるし、私はこうして黒田のこと追いかけるの得意だから。黒田の背中を見るのも好きだよ。ひたむきに一生懸命に前を進む黒田のことを、やっぱり応援したい。

そして真っ赤に染まっている黒田の耳には触れないでおく。だってきっとそれに触れたら、私の顔が真っ赤になっているのも見られてしまうだろうから。














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