キスがしたい青八木


すぐ目の前にある、小さな顔。俺の掌よりも小さいんじゃないかってくらいの顔の大きさに今になってビビってしまう。指と指を絡めて繋いでいる右手は微かに震えているんじゃないだろうか。沙夜にはバレたくない。
駅までの長い道のりをできるだけ、ゆっくりゆっくり歩いてきた。そして人通りも少ない駅からの少し手間の公園に立ち寄って、2人並んでベンチに座る。座っている時も手は繋いだまま、緊張してじんわりと汗が滲んでいるかもしれないけれど、離したくないと思ってしまうのはどうしてだろうか。


「でね、今日の授業中のことなんだけど」
「…」
「…はじめ、聞いてる?」


こてんと首を傾げて俺の顔を覗き込んでくる沙夜にギョッとしてしまい、思わず身体を後ろへと逸らした。ベンチの背もたれにぶつかった背中が痛むけれどそんなことよりも目の前に迫ってきた沙夜のことが気になる。
丸くて大きな瞳。長いまつ毛。ピンク色した頬っぺた。ツヤツヤの小さな唇。風が吹くたびに、靡く髪の毛から香る甘い匂い。女の子のシャンプーの匂いで、頭の中がくらくら揺れる。当たり前に、沙夜と俺は何もかもが違うのだと思い知る。


「はじめ?」


沙夜が呼んでくれる自分の名前が好きだ。鈴が転がるような綺麗な声が耳をくすぐると、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。
沙夜はいつだって口数が少ない俺の分もたくさんお喋りをしてくれる。毎日の学校での出来事とか、会えない間何をしていたとか、こんな音楽を聴いたんだとか。俺は沙夜がそうやってお喋りしてくれるところも好きだ。俺が知らない沙夜のことを知るのが楽しい。俺は上手く喋ることができないから、沙夜が喋っているのを聞くのが好きだ。ころころ変わる表情を見るのも、身振り手振りで一生懸命話してくれるところも、可愛いなぁと思っている。可愛いなぁ、と思っているだけじゃダメなんだと分かってはいるのだけれど。
あぁ、こういう時いつも思う。純太だったらもっと上手くこの気持ちを言葉にして人に伝えることが出来るんだろう。俺も純太になりたい。純太になったら沙夜の目を見て名前のことを可愛いと言えるだろうか。俺が思っていることを全部沙夜に伝えることができるんだろうか。


「はーじーめー!」
「っ、!あ、ど、どうした?」
「どうしたはこっちのセリフだよ。どしたの?」
「…いや、別に」
「そぉ?」


不思議そうに目を丸くした名前がすぐ近くにいる。顔と顔が近くて、2人の視線がぱちりとぶつかる。
純太なら、どうするだろう。そんなことをずっと考えていたけれどやっぱりやめた。
頭の中で沙夜が笑っている。沙夜は、いつだって俺を見て笑ってくれる。それを思い出せば、沙夜が好きなのは純太じゃなくて俺なのだと分かる。沙夜はどんなときも俺を見つめてくれて、俺の小さな声に耳を傾けてくれる。全然喋れない俺の分まで喋ってくれる。沙夜の優しさと、沙夜の愛を俺は知っている。


「…はじめ」


そう思えば自然と手が伸びる。少しだけ震えた声で沙夜を呼ばれたけれど目を見れば分かる。多分沙夜も俺と同じ気持ちでいてくれている。ここで引き下がれない。今しかない。ずっとずっと触れたかった。ふにゃりと柔らかい名前の頬に添えられる自分の手。目は逸らさずに、真っ直ぐに沙夜を見つめる。心の中でゆっくり5秒間数えて、見つめて、そして目を閉じた。


「はじめ」


沙夜の細い手が伸びてきて、俺の首の後ろに回る。弱い力だったけれど、確かに沙夜の方から引き寄せられて近づく距離。
いろんな考えが全部吹き飛んで、頭の中に残るのは単純な欲望だけになっていく。触れたい。
名前の全部が欲しい。手を繋ぐだけじゃ足りなくて、もっともっと触れ合いたい。そんな下心を自覚して今更、ああそうか。自分も男だったんだと実感する。


「ね、はじめ」


あと1センチもない時に、沙夜が口を開く。震える唇で、小さく囁くような声。


「私、はじめとキスがしたくて死にそう」


人を好きになること。女の子のことを可愛いって思うこと。どうしても触れたいって思うこと。キスがしたくて死にそうだって思うこと。俺が俺でいいんだって、思うこと。

全部、沙夜が教えてくれたこと。





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