悠人と倦怠期と思ったけどそうでもなかった


ぷちん、と音が聞こえたような気がした。ピンと張っていた糸が切れてしまったかのように、突然なにもかもやる気がなくなってしまって机の上にぺたりと上半身を乗っけて項垂れては重たいため息が口からこぼれていく。1人きりの部屋はシンと静まり返っていてそれも虚しい。そして何より、何の音沙汰もないスマホが虚しい。

恋人である悠人はいつだって飄々としていて掴みどころがない人だ。授業中に唇を尖らせながらどこか遠くを見つめる横顔は同い年にしては大人びてるなと思っていたけれど、少し勇気を振り絞って実際話しかけてみれば眉を顰めながら「あの先生ウザくない?話長いし」なんて案外子供みたいなことを考えているのが私のツボにハマって、この人いいなって思ったのがきっかけ。少しずつ話す機会が増えていって、当たり障りのない話だけでなく自分たちの話もするようになって…そうして自然と私は悠人に惹かれていき悠人も同じ気持ちを抱いてくれた。告白された時は夢かと思ったけれど、照れくさそうに頬を赤く染めて目を逸らした悠人が「好きなんだけど」とはっきり伝えてくれたことは今でも鮮明に思い出せる。

付き合ってから、だいたい3ヶ月ほどが経つけれど上手くやっていると思う。クラスでは今まで通り、よそよそしくなることもなければベタベタすることもない程よい距離で接しているし、ふとした瞬間に悠人からの甘ったるい視線を感じて振り返ればパチリと目が合って2人でクスリと笑い合うことは楽しい。悠人と話すとドキドキするし、先生に当てられて音読をする悠人の声を聞くだけでにやけそうになる顔を抑えるのに必死な私。分かっている。上手くいっているのだ、私たちは、きっと。

それなのに、それ以上を求めてしまうのは…私がわがままだからだろうか。

悠人の1番は部活だというのは知っている。付き合うことになった時にも「好きけど、俺には部活があるから。付き合うかどうかは沙夜が決めて」と言われて、それを承知で付き合うことを選択したのは私だ。
特別用事ななくても連絡を取り合っていたのに、いつからか途絶えてしまった。インターハイ間近で忙しいのは分かっている。きっとくたくたになって帰ってきている悠人に、連絡をする余裕がなくなってしまったのだろうなと思うけれど、やっぱり寂しい。だけど疲れているのだろうなと分かるから、こっちからも連絡が出来ずにいる。それなら直接話せばいいとも思うけれど、私の部活と悠人の部活の終わる時間は違うしそもそも悠人は寮に住んでいるので帰り道に2人で歩くことなんてない。
「俺には部活があるから」という悠人の言葉を飲み込んだのは私だったけれど、甘く見ていたのだ。そんなの簡単だと。付き合うという事実だけで幸せでいっぱいだなんて…そんな少女漫画みたいな恋は私には無理らしい。


「…何にも分かってなかったなぁ」


やりかけの宿題を終わらす気にはなれなくて、のそのそとベットへと移動して頭まで布団を被って無理やり目を閉じた。これ以上起きていても悪いことばかり考えてしまいそうなので、夢の中へと逃げ込むことにする。優しい悠人が夢に出てきますように。


*****


結論から言えば夢見は最悪だった。
夢でくらいいい思いをさせてくれればいいのに、夢の中に出てきた悠人は私に向かって「重い」と一言だけピシャリと浴びせて背を向けてどこかへ行ってしまった。しかもとびっきりの笑顔でそう言われたダメージはたとえ夢だとしてもずしんと私の心に重くのしかかっていて、どんなに化粧をしたところで酷い顔をする自分がなんとも惨めで朝からちょっとだけ泣いた。不細工を隠すように必死に塗りたくったファンデにチーク、それからアイシャドウはいつもより濃くなっていたようで学年主任に化粧がバレて普通に怒られた。うるさい呪文みたいな説教を右から左へ聞き流して、職員室を出たところで口から飛び出る重苦しいため息。


「…さいあくだ」


もうすでに授業が始まっていて、静かな廊下を1人で歩く。昨日、ぷちんと私の中での何かが切れてしまってから何ひとつとして良いことがない。
教室、戻りたくないな。1時間目の英語の宿題終わってないし。途中から教室入ってみんなから注目を浴びるのも嫌だし。それに、こんなダサいところを悠人に見られるのも嫌だ。ただでさえ夢の中で渾身の一撃を喰らったのだから、現実でも呆れたような顔をされたり何かマイナスな言葉を言われたら今の私はどうにかなってしまうと思う。普段なら受け流せるような冗談ですら、きっと今の私は受け止めることができないと思うから。


「何やってんの」


そんなことを考えてとぼとぼ歩いていれば、廊下にある自動販売機の影からひょっこりと出てきた影。驚いて顔を上げれば、昨日から私の頭の中を占領している悠人がいる。


「…悠人?」
「ハイ。俺ですけど」
「は?え?授業は?」
「沙夜いないし、気になって頭痛いってことにしてきた」


何でもない顔をしてサラリとそんなことを言う悠人は、私の目の前まで歩いて来たかと思うと両手を伸ばして私の頬っぺたをつまみぐにっと思いっきり引っ張ってきた。痛い、と声をあげそうになったけれど今は授業中だということと、ここが廊下だということを思い出して寸前のところで言葉を飲み込む。何も言わない私を、悠人は真顔でじぃっと見つめるだけ。


「…ゆ、悠人…?」
「目」
「は?め?」
「気合い入ってるけど、いつもの方がいいと思うよ」


どうやら悠人が言っているのは私のメイクのことらしい。学年主任に指摘された時は何とも思わなかったけれど、悠人に指摘されれば何だか恥ずかしくて顔に熱が集まったのが自分でも分かる。下を向こうとしても、頬っぺたをつままれているせいで出来ない私は何とも間抜けな顔をしているだろう。ただでさえ今日は不細工なんだから、そんな近くで見ないでほしい。でも、今のこの距離が嬉しい私もいて、見てほしくないけど見てほしい。
矛盾して、ぐちゃぐちゃになった感情と昨日から引きずっているセンチメンタルな気分。それから目の前にいる何を考えているか分からない悠人の真顔に、私の頭は完全にショートしてしまった。


「…うっ」
「…え?」
「うっ、ゆ、悠人が…っ、うぅ…」
「え、ちょ、何?え?ごめん、痛い?痛かった?そんなに強くした覚えないけど、ごめん」


ぼろぼろと涙を溢す理由を頬っぺたが痛いせいだと思ったらしい悠人が慌てて手を離すと、今度はそのまま大きな掌で包むようにして私の頬っぺたに優しく触れる。
あったかくて大きな手の優しさが嬉しい。私のせいで、焦る悠人が愛しい。泣きたいわけじゃない。泣いて優しくしてほしかったわけじゃないけれど、だけど悠人の手つきがあまりにもあたたかくて、私を見つめる目が優しくて。
何であんな夢を見てしまったのだろう。何を怖がっていたんだろう。悠人はこんなにも私に優しくしてくれる。
連絡を取らなくたって、教室にいれば朝練を終えた悠人が1番に私の席にきて「おはよ」と挨拶をしてくれること。部活に行く前だって必ず私に「また明日」と声をかけてくれること。目と目が合えば、フッと目を細めて笑いかけてくれること。お昼休みに時間が余れば私の元へやってきて「次絶対寝るんだけど」なんてくだらない話をして笑わせてくれること。
いつだって、悠人は私に歩み寄ってくれた。部活があるなんて関係ないくらいに、不安にならないように寄り添ってくれていたのに。当たり前のことなんかじゃないのに、全部忘れて不貞腐れていた自分がバカみたいだ。


「…悠人」
「なに?」
「私、今日夢で悠人に重いって言われた」
「何それ。沙夜の夢の中の俺最低じゃない?」
「それで、私はちょっと悲しかった」
「何それ可愛い」
「…」
「別に、沙夜を重いって思ったことないし。むしろ寂しいくらいだし。ってか俺の方が重いし」
「…悠人が?」
「沙夜がいないってだけで授業抜け出してくるくらいだけど、どう?」
「…」


まぁ、そう言われると確かに。私だったら、悠人がいないって気付いたとしても授業を抜け出すことまで出来るだろうか。そんなことを考えていれば、私の頬っぺたを包んでいた悠人の手に少しだけ力が込められる。クイッと角度をつけるようにして上を向かされたかと思えば、すぐ目の前には綺麗な悠人の顔。


「3ヶ月。我慢したから」
「…へ?」
「俺さ、多分沙夜が思ってるよりずっと沙夜のこと好きだと思うよ」


私だって、と言い返そうとした言葉はそのまま近づいてきた悠人の唇に飲み込まれてしまった。ふわりと触れるだけの優しいキス。初めてだけれど、不思議となんだか悠人らしくて心地良い。


「沙夜も、俺で頭いっぱいになってよ」


首を傾げてあざとい顔して、そんなことをおねだりしてくるけれど私はとっくに悠人のことで頭がいっぱいになってしまっている。多分これからは、今以上に悠人のことしか考えられなくなってしまうんだろう。

昨日ぷつりと切れてしまった何かが、もう一度キュッと固く結ばれていく。もう切れないように、誰にも解けないように。










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