幼馴染の東堂に恋をしている


気づいたときには、そこにいた。私の手を握って真っ直ぐに立つその後ろ姿を鮮明に覚えている。まるで鳥の雛のように目の前にあるその背中を追いかけ回していたのをよく覚えている。
じんぱちくん、じんぱちくんと名前を繰り返し呼ぶたびに尽八くんは足を止めて「沙夜」と甘い声で私の名前を呼んで手を差し伸べてくれる。その手が私にはとても大きなものに見えたし、尽八くんの行くところには私も当たり前に行くものだと思っていた。

尽八くんと沙夜はいつでも一緒。何をするのもどこへ行くのも、2人手を繋いでいる。
周りの大人たちに「仲が良いのね」と言われることが嬉しかった。その度に私は言うのだ。「だって、わたしはじんぱちくんがだいすきだもん」と。尽八くんがそのときなんて応えていたかまでは思い出せないけれど、優しい尽八くんは私の手を離すことはしなかった。大人顔負けの綺麗な顔で笑ってくれるその笑顔が好きだった。

つまるところ、私の初恋は尽八くんである。幼稚園の頃も小学校の頃も、「好きな人は?」と聞かれれば「尽八くん!」と答えていればそれは大人たちにも同級生たちにも公然の事実として広まっていった。
尽八くんは小さな頃から目立っていた。綺麗で整った顔に艶やかな黒髪。歩くだけでも美しい所作はさすが旅館の息子。大人顔負けの美しさと周りの子供たちとは少し違う、年齢よりもいささか大人びた態度。そのおかげで、私が尽八くんのことを好きだという度にみんなからは「残念」とか「つり合わないよ」とか心無い言葉をかけられたけれど、それを気にしたことなんて一度もない。
だって誰がなんと言おうと私は尽八くんのことが好きだし、私ほど尽八くんのことが好きにな人はいないという自信がある。ずっとずっと一緒だったのだから。過ごした時間もこの想いも誰にも負けない。

だからきっと、尽八くんも私を選んでくれると思っていたのに。


「すまんな沙夜!オレは誰のものにもならんのだ」


中学3年生、卒業式もあと何日かに迫ったある日。私は尽八くんを裏庭へと呼び出して長年の気持ちを改めて伝えた。何度も何度も伝えてきた「好き」という気持ちだけではなく、「好きだから、私と付き合ってほしい」と。その返事がこれである。

綺麗な顔に抜群の運動神経。そして最近始めたロードレースでは負けなしの無敵状態。「登れる上にトークも切れる。さらにこの美形。天は俺に三物を与えた!」なーんてセリフを本気で言いながら女の子たちに笑顔を振り撒く尽八くんはノリにのっていた。ファンだという女の子も増え、つまるところ尽八くんは調子に乗っていたのだ。女の子から気持ちをもらうことに慣れきってしまった尽八くんは私の恋心もその他の女の子たちと同じようもののように扱った。ずっと一緒にいたのに。ずっとたくさんの愛情を伝えてきたのに。泣きたくなったときに会いたくなるのも、私を安心させるのも、私の心を癒すのも、尽八くんだけなのに。

私はこの時、人生で初めてお腹の中がぐつぐつと煮えたぎるような不思議な感覚を覚えたのである。

小さい頃からずっと一緒にいた。幼稚園も小学校も中学校も、当たり前のように尽八くんが私の隣にいて、周りも私と尽八くんのことをよーく知っていたから尽八くんが誰かのものになることはなかったし抜け駆けをする女の子もいなかった。けれど箱根学園という私とは違う高校へと進学する尽八くん。尽八くんと離れる、なんて想像したことがなかった。私は尽八くんが好きで、いつまでも一緒にいられるものだと思っていた。幼馴染というだけでは永遠は約束できない。尽八くんは私のもの。私は尽八くんのもの。そういう証が欲しくて、離れてしまってもずっと一緒だよという約束が欲しくて勇気を振り絞ったというのに。

例えば、断られる理由が沙夜の顔が好みじゃないとか、性格に難があるとか、そういうことならまだ良かった。諦めがついた…かどうかは分からないけれど納得はしたしこれからの努力次第でどうにでもなると思えた。だけど、誰のものにもならないってどういうことだ。納得がいかない。私はそんなことを聞いてるんじゃなくて、尽八くんが私のことをどう思っているかを聞きたかった。

腹の底にあるこの気持ちは、多分怒りというものだ。尽八くん相手に抱いたことはなかったけれども、この時ばかりは私は我慢ができなかった。


「……」
「ム?沙夜?どうした?」


俯いて肩を震わせる私を不思議そうに見つめたのち、尽八くんは私の顔を覗き込んできた。大きな瞳に口角が上がった口。
相変わらず綺麗な顔をしているなぁと思うと同時に、私の身体中から怒りが溢れてくる不思議な感覚。


「…ざけんな…」
「え?」
「私の…私の人生返せ!」


右手を振り上げて、その勢いのままに尽八くんの頬っぺたを叩けばパチーン!と乾いた音が響き渡る。目をまん丸にして口をぽかんと開けている尽八くんに背を向けて走って逃げ出した私の目から流れる涙は悔しさのせいか悲しさのせいか。このまま私の記憶や気持ちも綺麗に流れてしまえばいいのに、なんて。


それから尽八くんと一切話すことはないまま、高校に入学した私の生活は荒れた。尽八くんのことを忘れるために少しでも気になる人や良い感じの人がいればカフェに行ったり遊園地に行ったりとデートをしてみたけれど、私の心のどこかで尽八くんがひょっこりと潜んでいる。「尽八くんだったら私の好きなものを優先してくれるのに」「尽八くんだったら言わなくても分かってくれるのに」そんなことを考える度に自分が嫌になってしまい、相手にも申し訳ない気持ちになり結局誰とも一線は越えないまま。どこにもいけない私のこの気持ちはどうしたらいいのか分からないまま、ふらふらと遊び歩くだけの生活。


「誰彼構わず相手にするのは感心せんなぁ。沙夜」


そんな私の前に現れるのは、やっぱり尽八くんなのだから困る。
白い自転車を持ち、腰に手を当てて仁王立ちで人の家の前で待ち伏せをしている尽八くん。デート帰りに私を家まで送ってくれた彼は気まずそうな顔をして私と尽八くんをチラチラと見てから「じゃ、またね」なんて言ってそそくさと帰っていってしまった。そんな彼の背中をじっと見つめてから、私を真っ直ぐに見据えた尽八くん。
相変わらず、綺麗な目をしているなぁなんて。


「誰彼構わずって…尽八くんだけには言われたくない」
「そんなことはないぞ。オレはみんなにファンとして接しているのだから。特別なことをしたりはせんよ」
「私だって、別に」
「何もしてないと言いたいのか?何も減らなければ何をして良いわけでもないだろう。オレは、沙夜に自分を大切にしてほしい」


尽八くんの綺麗な目が好きだ。その目で見られると昔から、何も誤魔化しが効かなくなってしまう。


「尽八くん以外、どうでもいいもの」


尽八くんの元へと近づいて、サイクルジャージの襟元を掴んで引き寄せキスをした。誰にも許したことなんかない。何をするのも、尽八くんとが良かったから。今の今まで大切にとっておいた私のとっておきをあげる。

誰といたって、何をしたって、嫌いになんてなれそうになかった。ずっと昔から追いかけてきたのは尽八くんだけ。私を満たすのも、悲しませるのも尽八くんだけなのだ。この先何があってもきっとずっと変わらない。

例え尽八くんが誰のものにならなくても。誰かのものになる日が来たとしても。


「沙夜」
「…」
「好きだ」


聞こえた言葉に驚いて顔を上げれば、あの目で私を真っ直ぐに見つめている尽八くんがいる。きっと今の私は、間抜けな顔をしているだろう。その証拠に尽八くんは眉間に皺を寄せ、綺麗な顔を歪ませてため息を吐いた。


「何だよその顔」
「…だって…え?」
「欲しかったんじゃねぇのかよ。オレの言葉と気持ちが」
「そうだけど…いや、そんな…んん?」


何がどうしてそうなったのか、私にはさっぱり理解できていない。私の中の尽八くんは私がビンタしたあの時で止まってしまっている。今日こうして会ったのはあの日以来何ヶ月ぶりかだというのに。この何ヶ月かで尽八くんの身に一体何があったのか。
呆れたように肩を落とした尽八くんが、手を伸ばして私の頭をガシガシと撫で回す。何だか懐かしいな。昔よくこうして尽八くんに頭を撫でられた。頭を撫でてもらうのが嬉しくて尽八くんの手に擦り寄るようにすれば、大人たちに「まるで沙夜は尽八くんのペットみたいね」と笑われたこと。やっぱり、私は昔から尽八くんだけのものなのだ。尽八くんがいなくちゃダメなように育てられてしまったペット。放し飼いにしたところで、こうしてきちんと飼い主の元に戻ってきてしまう。


「沙夜はペットではない。意志のある人間だからそんなこと言われるのがオレは許せなくてな」
「…」
「オレの元にいる限り、沙夜はオレしか知らないまま。周りの環境のせいで、オレのことを好きになってしまったのではないか?なんて」
「…は?」
「ム、怒るなよ?沙夜のビンタはもう懲り懲りだ。アレ何日も跡が消えなくてな…姉にどれだけ笑われたと思ってるんだ」


これは夢ではないだろうか?私がずっとずっと思い描いていた都合のいい夢の中の世界の出来事。でも、そうじゃないと分かるのは尽八くんが撫でる頭に確かに重みを感じるからだ。それだけじゃ確証がなくて、自分の頬をつねろうと伸ばした手を尽八くんががっしりと掴んで私を引き寄せた。ドキドキと尽八くんの鼓動を感じるこれは、多分夢でも幻でもない。


「私の人生返せと、昔そう言ったな?」
「言ったけど…」
「悪いが返せそうにない。沙夜、お前の人生をオレにくれ」


滲む視界。顔を上げれば綺麗な瞳が真っ直ぐに私を見下ろしている。ずっと、その瞳に映りたかった。私だけを映して欲しかった。
必死に手を伸ばして抱き着けば、尽八くんが優しく頭を撫でてくれる。

ケラケラ上から聞こえる笑い声も、考えすぎなところも、誰よりも優しくて私のことを1番に考えてくれるところも、全部まとめて尽八くんのことが好きだよ。小さい頃からずっとずっと変わらない。私の最初で最後の好きな人。













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