金城とホワイトデー


特に理由なんてなく、突然悲しくなってしまうことがある。多分誰にでも良くあることで、季節的なものだったり人間関係が変わったことだったり、これといった原因なんてない。ふとした瞬間に辛いなぁ、悲しいなぁって気持ちが芽生えてしまって心をじくじくと蝕んでいく。少し時間をおけばいつも通りに戻れるのだけど、その瞬間だけはくだらないことを考えてしまうのだ。


「いつもありがとう」


そして、そんな弱っていた時にかけられた甘い言葉。

会話を交わしたことなんてほとんどなかった。3年間同じクラスなことは知っていたけど、仲が良いわけじゃない。お互いに程よい距離感で、目と目が合えば「おはよう」「またね」と挨拶をする程度。
周りの男の子たちよりもずっと大人びていて物静かな人。余裕があって頭も良い。実はこっそり隠れて女の子たちから人気のある人。
そんな彼が私にかけてくれたたったそれだけ。なんてことない一言。

恋に落ちる音がした、なんて。

お礼を言われることなんてした覚えがない。ただ私は彼が部活動で忙しいことも知っていた。そしてちょうど2年生になったばかりで、大好きだった3年生の先輩がいなくなった部活に行くのが憂鬱だったというのもある。突然厳しくなった一つ上の先輩が苦手で、そんな先輩よりも実力がない自分が情けなくて悔しくて。
部活に行くくらいなら教室に残って日誌を書いていた方がマジだから。そんな最低な理由で、彼の代わりに仕事を受けただけだったのに。

金城真護くんのその一言が、暗く澱んだ場所から私のことを引き上げてくれたのだ。

その日から、私は前を向けるようになった。こんな私でも見てくれる人がいる。私と同じように頑張っている人がいる。
私に優しく言葉をかけてくれた金城くんの背中が大きく見えて、いつかその背中の隣に立てるような私になりたいと、そう思わせてくれたから。
先輩に負けないよう部活に取り組んで、朝は早起きして朝練もした。そうすると、少しずつ私の周りの世界は変わっていった。部活は憂鬱じゃなくて楽しいものになったし、友達とも楽しく話せるようになった。変わってしまった環境を受け入れて、明るく楽しい日常を手に入れることが出来た。

だけど。


「…結局、自信なんてつかなかったなぁ」


いつかと同じように、放課後の教室に1人残って日誌を書き込んでいく。違うのは、この場に金城くんがいないことだけ。

金城くんに恋をしてから一年経った今、卒業式まで後何日もないというのにとうとう私は何もすることができなかった。
楽しい部活はあっという間に過ぎていってしまった。私は私が大好きだった先輩のようになれていただろうか。1年生が憧れるような先輩に。なれてたらいいなぁと思うけど、私には分からない。

私は私なりに頑張ったけど、夏のインターハイを制したという金城くんの隣に立てるかと言ったらそんなことはない。全国で1番になった金城くんの隣に並ぶ勇気なんて全くなかったし自信もなかった。
卒業前に気持ちだけでも。そう思って先月、イベントに乗じて用意した既製品のチョコレートさえ渡すことが出来なかった私。自分で食べる気にもならなくて、あれからずっとカバンの中に入れたままになっている。渡す勇気も、渡さない勇気もない。だらだら引きずって、進むことも戻ることもできないなんて情けない。そう思うけど、同時に仕方ないとも思う。どう頑張ったって、私が金城くんと釣り合うことがない。
そんなことを考えながら、日誌に今日の出来事を書き写していく。誰が見るわけでもないこんなもの適当に書けばいいのに、いざ書き始めると細かく凝ってしまうからなかなか書き終わらない。


「相変わらず丁寧だな」


1人きりだと思っていた教室に突然影が刺す。そうして聞こえたのは、あの時と同じ低い声。


「江戸川は字が綺麗だ」
「…金城くん」


日誌から顔を上げれば、すぐ隣に金城くんが立っていて私の手元を覗き込んでいる。金城くんがどうして教室にいるのだろうか。今日だって確か授業が終わってすぐ教室を出て行ったと思ったのに。家に帰らなかったのかな。もしかして先生や後輩に呼ばれていたとかだったのだろうか。
ずっと見てきたから、わかる。金城くんは先生や後輩たちからの信頼も厚いのだ。新しく部長になったのであろう2年生の子が何度も金城くんを訪ねて教室までやってきていたことを知っている。


「どうしたの?忘れ物?」
「いや、そういうわけではないんだが…」


珍しく歯切れの悪い金城くんに、話しかけてしまったことを少しだけ後悔する。ここで特に面白くもない普通の会話しかできない私で申し訳ない。
もっと私が明るければ。面白い話ができれば。金城くんは私のことを少しだけ意識してくれたかもしれないのに。やっぱり私は、少しも金城くんに近づけてる気なんてしないのだ。


「…江戸川は覚えてないかもしれないが、こうして2人で話すのは2度目なんだ」


驚いて顔を上げれば、見たことない顔をした金城くんと目が合う。

私が知っている金城くんはいつだって静かで、真面目な人だった。表情だってそうそう変わらない。教室では笑うことだってほとんどなかったと思う。表情豊かなタイプではないと思っていたのに、今私と目があっている金城くんは少しだけ照れ臭そうな顔をしているような…そんな気がするのは気のせいだろうか。


「覚えてるよ」


忘れるわけがない。1日だって忘れたことはない。私が金城くんのことを好きになった、あの日、あの瞬間。大切で、いつまでもキラキラ輝いている綺麗な思い出。


「あの日、金城くんが私にありがとうって言ってくれたこと。すごく嬉しかったから」


あの日芽生えた、好きという気持ちは口に出せないけれどこれくらいなら伝えてもいいだろうか。思ったより小さくなってしまったけれど、私の声はきちんと金城くんに届いたらしい。
こんなどうでもいいことを伝えるだけで、私の心臓はドキドキうるさく高鳴ってしまう。
あーあ。やっぱり金城くんと普通に会話をすることすら難しい。こんな調子なら、チョコレートなんて渡せるわけがなかった。渡さなくて良かった。渡されたところで金城くんだって困るだろう。いくらホワイトデーが卒業後だからって、最後の思い出が苦いことになるのは悲しい。なら、キラキラしたままで、金城くんのことが好きだったことは私の中にひっそりとあたたかい思い出として大切にしまっておいて、いつか大人になった時にあぁそんなこともあったよねって思い返せるような。そんな恋でよかった。


「あの日、俺は江戸川の笑顔を見て励まされたんだ」
「…へ?」


金城くんの緑色をした瞳が私を映す。


「あの時の俺は恥ずかしいことに色々と悩んでいたんだ。だが、江戸川の綺麗で丁寧な字を見たら自分が何をすべきなのかがハッキリ見えた」
「…え?」
「このまま何もなくてもいいと思っていたんだが、この先誰かのものになるのを黙って見ているのは性に合わないと思ってな…」


いつになく饒舌に喋る金城くんに着いていけず、私はただまっすぐな目を見つめ返すことしか出来ない。
肩に背負っていた大きなエナメルバックに手を突っ込んだ金城くんはごそごそと何かを探しているように見える。やっとバックから出てきた右手には、失礼だけど金城くんにはあまり似合わない可愛らしくピンク色でラッピングされた小さな袋。それが、なぜか私の目の前に差し出される。


「ホワイトデーとしてでいい。もらってくれないだろうか?」
「…私、金城くんにバレンタインデーあげてないよ?」
「あぁ。残念だがもらえなかったな」


寂しそうに眉を顰める金城くんに、私の胸がきしりと痛む。どうしてそんな顔をするんだろう。そんな顔をされると、自惚れてしまう。もし、私がバレンタインデーにチョコレートを渡していたらそんな悲しい顔をさせずに済んだんだろうか。

それは、どうして。


「ありがとう金城くん」
「あぁ」
「だけど、もらうだけじゃ申し訳ないから…」


シャーペンを握り締める右手に、ギュッと力を込める。
今度こそ、勇気を出したい。私のためだけじゃない。こんな私を真っ直ぐ見つめてくれる金城くんのためにも。胸の中にあるこの気持ちを思い出として終わらせるわけにはいかない。

机の脇にかけてあった鞄に手を突っ込んで、あの日渡せなかった箱を机の上にそっと置く。それを両手に取って、椅子から立ち上がり金城くんに差し出しながら向き合えば、金城くんは少しだけメガネの奥で目を見開いた。


「金城くんにももらってほしい。私のチョコレートも、気持ちも」


相変わらず自信なんかない。金城くんと釣り合うなんて思っていない。だけど、それでも伝えたいと思えたのはやっぱり金城くんのおかげだ。
金城くんがいつだって私の背中を押してくれる。金城くんがいると、私は少しだけ私自身を好きになれる。金城くんも同じだったら嬉しい。私が、金城くんに何かを与えることができたなら。


「…もらっていいのか」
「金城くんにもらってほしい…な」
「ありがとう、江戸川」
「うん」
「なら、俺の気持ちももらってくれ」
「…嬉しい」


右手でチョコレートを渡し、左手で金城くんからのプレゼントを受け取る。
泣きそうになる気持ちを必死に堪える私はきっと可愛い顔なんてしてないだろう。情けない顔をしているかもしれない。だけど、顔を上げれば同じような顔した金城くんと目が合うのだから、もしかしたら私たちはお似合いなんじゃないのかなぁなんて。



「金城くんのことが、好きです」
「俺も江戸川のことが好きだ」


そうして2人、ようやく笑い合うことができた。
やっぱり、いつだって私に勇気をくれるのは金城くん。釣り合わないだとか、そんなつまらないことを考えるのはやめよう。

金城くんが選んでくれた私なら、きっとこれが正解なのだから。





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