東堂にフラれる


目は口ほどに物を言うという言葉がある。
私はその言葉を聞くたびに、東堂くんのあの真っ直ぐで底が見えない瞳を思い出す。

優しく人当たりも良く人気者の東堂くん。女の子たちの黄色い声援にも笑顔で応えてくれるし、ファンサービスもきっちり対応。それだけではなく、東堂くんは女の子たちひとりひとりをしっかり認識してくれ、平等に優しさをくれる。目を見て名前を呼び、ありがとうと言葉をかけてくれるのだから女の子たちはさらに東堂くんに夢中になってしまうのだ。誰からも愛され、だからといって鼻につくような態度を取ることもない。誰に聞いても、東堂くんは完璧な人だ。
だけど、私は東堂くんのあの瞳を思い出すたびに心臓がギュッと締め付けられたような気持ちになる。

それを見たのは、なんてことない普通の日だった。放課後、教室に忘れ物をしたことに気づいた私は慌てて寮を飛び出して学校へと戻ることになった。時間は夕方18時過ぎ。薄暗い夕焼けの中後者の中を小走りで進んでいく。そうしてやってきた教室の前で、ドアを開ける前に覗き込んだ教室の中には東堂くんが1人だけぽつんと椅子に座っていた。
誰もいない教室で、何かを真っ直ぐに見つめる東堂くんの横顔はまるで絵画のように美しかったけれど、私はそれよりもその瞳の方に目を奪われてしまったのだ。紫色したその目には底がない。いつもニコニコ笑っているその顔には何の感情もなく、ただひたすらに静かだった。物音ひとつしない、時が止まったかのような錯覚さえして、私は多分息をすることもできていなかったと思う。苦しくて、心臓を握りつぶされているような感覚。


「江戸川さん」


名前を呼ばれて、私はようやく息をすることができた。
気づけば東堂くんのあの目が私を映している。いつから気づいていたのだろう。分からないけれど、東堂くんはジッと私をあの目で見つめた後、すぐにいつものように優しい顔に戻って言葉を続けた。


「どうしたんだ?こんな時間に」
「あ、えっと…忘れ物しちゃって」
「わざわざ取りに来たのか。偉いな」
「うん。明日英語当たるのに、教科書忘れちゃったから」


そう答えて私は自分の机へと足を進め机の中から英語の教科書を取り出した。
これで用はおしまい。この場に居続ける理由はない。今すぐ引き返して、東堂くんにさようならを伝えれば良い。そうしようと、東堂くんへと目を向ければまた、あの目をして私を見つめている。
ついさっきは、そんな目をしていなかったのに。そんな目で見ないでほしい。別に私は東堂くんのファンクラブの一員ではないけれど、東堂くんのような綺麗な人に見つめられるのは嬉しい。だけど、その目だけはどうしても苦手だ。何を考えているのか、嬉しいのか悲しいのかも分からない。何も映っていないその紫の中に私だけが反射している。


「…俺が怖いか?」
「へ、え、あ、いや…」
「そんな顔している。分かるよ、だいたい」


怖いわけではない、と思う。東堂くんを怖いと思う理由なんてない。だってこの人はとても優しく出来た人なのだ。気遣いや行動力もあり、いつもたくさんの人たちに囲まれている。みんなに元気や笑顔を与えてくれる側の人。頼られ、誰が見ても正しくある人。人間が出来ているとはまさに東堂くんのことだろう。


「…東堂くんは、」


英語の教科書を腕の中にきゅっと抱き締めながら、声を絞り出す。校庭から聞こえる部活動の声にかき消されてしまうくらいの小さな声だったけれど、東堂くんは相変わらず真っ直ぐに私を見つめているからきっと聞こえているんだと思う。この人は、聞こえなければ聞こえないとはっきり答える人だと思うから。


「いつも、優しくて」
「ふむ」
「笑顔で、頼られてて、誰からも愛されてて」
「…」
「東堂くんは、いつだって東堂くんだよね」


そうだ。東堂くんはいつだってみんなが求める東堂くんだ。だから人が集まる。いつだって東堂くんは日向を歩いていて正しく、そして綺麗でい続ける。


「私、東堂くんの笑顔が怖い」


貼り付けられたように綺麗な笑顔よりも、さっき見た静かで何も無い東堂くんの瞳の方が私は好きだ。


「…そうか、江戸川さんにはそう見えるのか」


スッと、東堂くんの視線が鋭くなる。


「よく、俺が言うのを知っているか?」
「…何だろう?」
「俺は神だ。山神だ。そう言うのを、江戸川さんも聞いたことはあるだろう」


確かに東堂くんは良く自分のことを山神だの神だのと呼んでいるのをよく聞く。それは自転車で山を登るのが速いかららしい。誰にも負けないくらい、まるで神様のように速く登るのだと東堂くん自身も、その周りにいる人たちも言っていた。


「しかし俺は、江戸川さんと同じだ。10代の高校生。未成年。ガキにすぎん」


私は東堂くんの抱えるものなんて知らない。この人がどれだけのものを抱えて、どうしてこんなに強くあるのか、綺麗にあるのかを知らない。いつ何時も綺麗で正しくい続けなきゃいけないなんて、どれほど大変なことだろう。誰からも愛され、頼られ、みんなを平等に愛する東堂くんはどこで休むことができるのだろう。誰の前でなら、ただの高校生、東堂尽八としていることができるのだろう。
きっと東堂くんの世界はずっとずっと息苦しい。私だったらすぐに溺れて這い上がれなくなってしまうだろう。


「…だけどな、江戸川さん」


ガタリと椅子から立ち上がった東堂くんがこちらへと足を進めてくる。一歩二歩、少しずつ近づく距離がもどかしい。ピタリと、東堂くんが止まったのは私との距離が後一歩になった場所。


「俺は俺を気に入っているのだよ。だから、良いんだこれで」


鋭い紫が私を射抜く。

あぁ、やっぱり東堂くんの近くは息苦しい。

その目が語る。
これ以上近づくなと。


「…さようなら東堂くん」
「あぁ、さようなら江戸川さん」


教科書を抱き締めたまま、教室を飛び出した。ぼろぼろ溢れる涙を擦って、廊下を駆けて行く。

私はただ、東堂くんの心に触れたかった。
私だけが気づいていると思っていたその仮面を剥ぎ取って、東堂くんのどろどろした気持ちとか汚い気持ちとか、そういうもの全部を私に預けてくれたら良いのにと。私だけが東堂くんにとって特別なんだよって、そんな馬鹿みたいな私の中に隠れていた下心を、多分東堂くんはずっと前から気づいていたのだ。

だけど東堂くんは私を選ばなかった。
東堂くんの拠り所は、私ではない。



次の日も東堂くんはニッコリと笑って何事もなかったかのように私に「おはよう」と声をかけてくれた。だから私も笑って「おはよう」と返すのだ。

きっと私はもう2度と、あの好きだった深い海の底のような瞳を見ることはできない。









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