鏑木と幸せを噛み締める


変わっていくものもあるし、変わらないものもある。彼と私も。2人の関係も。

ふんふんと鼻歌を歌いながらキッチンへとやってきた一差が鍋の中をくるくると回す私の後ろにぺったり張り付いて肩越しに覗き込んでくる。今日のお味噌汁は、お豆腐とわかめ。ありきたりな具材だけれど、いつだか一差が私の作る味噌汁を好きだと言ってくれたことが嬉しくて、ちょうどその時に作ったのもお豆腐とわかめのお味噌汁だった。そんな小さな出来事、一差は覚えてないだろうけど私はとっても嬉しかったから覚えている。だからちょっとだけ機嫌がいい日とか、反対に嫌なことがあって元気を出したい日にはこのお味噌汁を作ることにしてるだなんて、一差は知らないだろう。


「沙夜先輩、今日いいことあったんすか?」
「…え?なんで?」
「いや…なんとなくっす」


ギュッと一度力を込めて抱き締めてからするりと離れていくぬくもり。不思議に思って振り返ってもそこにいるのはいつもと変わらない、不思議そうに首を傾げる彼。

高校時代、後輩として入部してきた一差はまぁ生意気で今泉や鳴子にはイキリと呼ばれていじめられ…いや、特に可愛がられていた。人一倍うるさくていつでも騒ぎの中心にいる一差のことを最初はうるさくて手のかかる後輩としか思っていなかったけどいつからか、何がきっかけだったかも覚えてないけれど「沙夜先輩!沙夜先輩!」と懐かれるようになった。
実年齢よりも子供っぽい一差は幹の可愛らしいお弁当には恥ずかしくて手をつけないくせに私が作ったお弁当はバクバク平らげるので、あぁ私は女として見られてないんだなぁって分かってしまって、手嶋さんや青八木さんにはお前たちは兄弟みたいと呆れられたっけ。一差に「沙夜先輩!」と満面の笑みで呼ばれるのは嬉しかったし、弟がいるのってこんな感じなのかもって私も満更でもなかった。そうやっていつの間にかどんどん距離が縮まっていって、後ろからちょこちょこ着いてきていた一差が気づいたら隣にいて。部活だけじゃなく学校でも、部活終わりの帰り道も2人で過ごすのが当たり前になっていき…今思い返せばもうその時から私は一差のことを好きになっていたんだと思う。
こんな言い方をすると、まるでじわじわ罠を張られて落ちていったように思われるかもしれないけど一差のそれは多分計算なんかじゃない。素直で真っ直ぐな気持ちでぶつかってきてくれたから、私はそれに応えただけ。


「沙夜先輩、味噌汁煮えてる!」
「え、あ、うわぁ!」
「口の中べろべろになるっすよそんなアツアツ味噌汁!」
「ごめんごめん」


ぼんやりと高校時代へとタイムスリップしていた意識を戻し、慌ててお鍋の火を止めて蓋をした。メインのハンバーグはすでにフライパンの中でぐつぐつ煮えているから、あとはご飯をよそえば夕飯の準備は完了。お気に入りのクロスを2人掛けの小さなテーブルに引くと、後ろから付いてきた一差がその上に2人お揃いの箸を並べていく。
2人で住むと決めて、色々家具やら食器やらを買い集めていた時に何気なく一差が選んだ夫婦箸。最初はちょっと気恥ずかしかったけど、私が作った料理を一差が選んだお揃いの箸で2人一緒に食べるのは私が考えていたよりもずっとずっと幸せなことだった。当たり前のように2人分並ぶこの箸を見るだけで、私は思わず笑顔になってしまうくらいには幸せな気分になれる。一差と過ごす中で、こんなに嬉しい気持ちを初めて知った。
一差ももしかしたら同じように思ってくれているのか、橋を並べる手伝いは積極的に行ってくれるようになったし、自分で並べた箸を見てへらりと笑うのを知っている。その顔はまるで子どもみたいに無邪気で可愛くて、私は好きだ。


「沙夜先輩、ご飯大盛り?」
「そんなわけないでしょ」
「へへ、いつもの通りちょー少なめにしやす!」
「…これは普通なの。一差が大盛りなだけ」
「女子の普通なんて沙夜先輩のことしか分かんねーもん」


当たり前のような顔してそんな恥ずかしいこと言うからこっちが照れてしまう。ペシンと背中を叩くと「いてっ!なんすかー!」なんて言いながらご飯をテーブルに置いて空いた手で私をギュッと前から抱き締めてきた。男の子の中では小さい方かもしれないけれど私よりもずっと大きくて逞しい身体に抱き締められてしまえば身動き取ることもできず、仕方なく背中に手を回して抱き締め返してみた。
一緒に暮らすようになってからもう何年も経ったというのに、こうして不意に抱き締めてくれるところが好きだ。意外と真っ直ぐな一差の愛情表現は、全部受け止めたくなってしまう。脳内で今泉の「あんまり甘やかすなよ」と呆れたような声が聞こえるけど、そんなのどうでも良くなってしまうくらいには私は一差に弱い。甘やかしている自覚もある。


「沙夜先輩、俺知ってるんすよ」
「んー?」
「沙夜先輩が機嫌が良いとちょっと甘えたになること」
「え、なにそれ恥ずかしい。離れる」
「あと、なんか良いことあった日には味噌汁の具がいつも決まってること」
「…気づいてたの?」
「俺のことバカだと思ってます?」


少しだけお互いの身体が離れる。チラリと視線を上へと向ければ、ぱっちり目と目があった。いつものヘラヘラした顔とは違う、真面目な顔した一差の顔がどんどん近づいてきて私の鼻と一差の鼻がふにゃりと優しくぶつかる。


「沙夜先輩…予知能力あります?」
「…は?」
「はっ!もしかしてエスパー?」
「…はい?」


こんな至近距離で、キスでもされるんじゃないかと思ってた自分が恥ずかしいようなトンチンカンな質問をしてくる一差はやっぱり多分ちょっとアホなんだと思う。
質問の意味もタイミングもよく分からず、首を傾げることしかできない私。ある程度年月を一緒に過ごしてきたから一差のことなら何でも分かるような気がしたけど、やっぱりそうでもないのかも。段竹くんがいれば今の一差の気持ちを代弁してくれるだろうか。


「だってさ、俺今日プロポーズしようって決めてたんすよ!それ知ってるからご機嫌で味噌汁の具がワカメと豆腐なんすよね?」
「……ん?」
「せっかくサプライズでかっこよく決めようと思ったのに…なんでバレたんすか?あーあ!」


さっきまでひっつきあっていた身体をパッと離して、頭をガシガシと掻きむしりながら一差がその場にしゃがみ込んでしまう。
私はといえば、さっき一差が言ったことを頭の中で順番に整理していくので精いっぱいだ。
プロポーズ、とは。あの一差が。ムキになって青八木先輩と言い合いをしていた一差が。鳴子にキャンキャン噛み付いていた一差が。段竹くんに泣きついていた一差が。カブトムシを追いかけ回していた一差が。まさか、プロポーズという言葉を口にする日が来るなんて。
そりゃあ、一緒に暮らすことになってから私だって考えなかったわけじゃない。でもいつか、遠い未来の話だと思っていたからちょっと、いや、かなり驚いた。
思考がまとまらず静止したままの私のスカートを、ちょんちょんと下から引っ張られる。


「…だめっすか?俺、沙夜先輩のこと幸せにしたい」


あぁ、思い出した。告白された時も、一差は今と同じような顔をしていた。まるで捨てられた子犬のようにきゅるんとしたその顔も、全部が可愛くて仕方なくて、私は告白を受け入れたのだ。


「沙夜先輩、好き」


スカートを掴んでいた手が、今度は私の手をキュッと握る。手のひら全体を包んでから、ゆるゆると動いた手が私の薬指だけを握るようにするのが少しくすぐったい。


「ね、結婚しよう」


幸せな時って、人は笑うのだと思ってた。箸を見つめる一差のように、優しく笑えるあれが幸せってやつなんだろうなって思ってたのに。どうやら幸せはある程度容量を超えてしまうと涙となって溢れてきてしまうらしい。人間って不思議。


「私も、一差と結婚したいな」
「…え!?」
「だめ?」
「え!?まじすか!ホントっすか!俺の沙夜先輩になってくれる?ホントに?」
「もう今でも一差の沙夜だよぉ」
「いや!今はまだ安心できないんで!早く!紙を出しましょう!そうすればもう法的に沙夜先輩は俺のものです!」
「…なにそれ」
「いいから!ほら!行きますよ!気が変わらないうちに!紙をもらいに!」
「え、今!?」
「今!味噌汁もアツアツだし、冷ましてる時間がもったいないっすよ!」


気が変わることなんてあるわけないのに、何の心配をしてるんだか一差は私の手を引いて勢いよく玄関を出る。そのまま2人並んで夜道を歩くことになってしまった。
隣を歩く一差はぎゅっと私の手を握ったまま、まるで子どものようにぶんぶんと腕を振りながら歩くからすれ違う人たちが私たちをじろっと見てくるのが恥ずかしい。だけど、私も今の一差と同じくらいにはご機嫌な気分なのだ。そんな視線、だんだんとどうでもよくなってきて手を繋いだまま一差の腕にぎゅっと抱きついてみる。こっちに視線を向けた一差は少しだけ照れたように頬を赤くしたけど、どうしてかすぐにそっぽを向いてしまった。


「沙夜先輩、帰りコンビニ寄っていい?」
「ん?何買うの?」
「いや…多分もう…ない気がする」
「…?」
「ま、もうなくてもいいか!何でもないっす!」


いつまでも、変わらないと思っていたのに私たちは少しずつ変わっていく。
大人になって、いろんな経験をして、思い出を積み重ねていくけれど、だけどきっといつだって私の隣にいるのは一差だし、一差の隣にいるのも私であってほしい。








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