荒北の友達と気が合わない


狭い玄関に、まるで寄り添うように並んでいるくたびれたスニーカーとヒールの高い綺麗な白のパンプス。そしてその周りに散らばるようにして投げ出されたスニーカーやらサンダルやらを見下ろして、はぁっとため息をついた。いつ買ったかも思い出せない色違いのスニーカーを雑に脱ぎ捨てて無駄に電気がついたままの長くもない廊下をズンズンとまるで怪獣のように大きな足音を立てて進んでいく。
バカみたいだ。この部屋にいる全員下等生物。クソみたいな奴しかいないに違いない。
正直、元から好きじゃなかったのだ。大学の友達として紹介された時からなんとなく気に食わなかったあの女と周りの男ども。安い居酒屋のくせにふわふわ靡くシフォンのスカートに意味分からないところに穴が空いたトップスで緩く巻いた髪の毛をくるくるいじる仕草全てがわざとらしかったしまん丸の大きな瞳でこっちをあからさまに見下していた。その目がアンタなんか眼中にありませんって物語ってんだよクソ女と心の中で悪態つきつつニコニコ笑う私も、そんな空気に気づかず隣で余裕そうな顔してる靖友も、このクソ女と靖友をくっつけようとあらゆる手を回してくる周りのクソどもも大嫌いでいけすかなかった。
だけどどんなに嫌いだと訴えかけても靖友は話を聞きもしなかったし、私もまぁ、自分の嫌いをそこまで押し付けるのも悪いなぁと思って諦めたのだ。だってまるで、束縛してる女みたいで嫌だったし、これも全部あのクソ女の手の上かと思うとそれもそれで気分が悪かった。誰がお前の策に乗るかよなんて、ここで折れたら負けだと思っていたのだ。あいつが何をしても動じない、それくらい強い女でいることが勝ちだと思ってた。
付き合って何年経つか。もう記念日を祝うことはやめた。送り合うプレゼントもサプライズも尽きてしまい、欲しいものを相手に聞いて送り合って、そうして気づけば一緒に暮らしている。2人の名義でこの部屋を借りた時、正直に言えば私は嬉しい気持ちよりも安心のほうが強かった。

あぁ、これでやっと、ようやく、靖友は私のものになったのだと。

今思えば、そんなわけないのにね。靖友はものじゃない。意志のある人間だから、こんなもので縛り付けることはできない。
きちんと話をして向き合って、言葉にして繋ぎ止めるべきなのに。

ガチャリとリビングの扉を開ければ数人が床に落ちて雑魚寝をしている。無造作に転がっているビールや酎ハイの缶やら、何かわからない液体で染み付いたお気に入りのラグ。ポテトチップの油染みで色が変わっているお気に入りの空色をしたソファー。
強く言ったはずだ。部屋を貸すのはいいけど、私は飲み会には参加しない。友達の家に泊まってくる。そして絶対に朝の9時には全員出て行け。出したゴミは自分たちで片付けろ。私のお気に入りの家具を汚すな。私が帰ってくるまでに掃除機をかけてクイックルワイパーをかけてファブリーズを撒き散らしとけと。靖友は「へぇへぇ」と言って頷いた。約束したはずだったのに、結局この有様。だから嫌なんだよ。どっかの安いチェーン店で朝まで飲んでろクソどもが。
怒りを押し殺してキョロキョロとあたりを見渡すけれど、肝心の2人が見当たらない。ピタリと、視線が止まったのはきっちりと閉じられている寝室へと繋がる引き戸。
さっきまで怒りでいっぱいだった頭の中が一瞬で冷えていく。ドクドクうるさい心臓の音が自分にまで聞こえてきて、あ、やばいって思うのに自分の行動が止められない。
引き戸に右手をかける。
やめろ。いや、でも、そんなわけない。それだけはきっとない。そうでしょ。まさか。
だけど私はさっき何を見た?あの白いパンプスでカツカツと目障りな音を立てて歩くあの女が、この部屋に絶対にいるのは間違いない。「図々しく1人だけベッドで寝るなんて。流石ね性悪女」なんて、今日は直接言ってやってもいいんじゃないの。うん、そうだ。きっと1人で寝てるのだ。フカフカのベッドで。私と靖友のベッドで1人、寝るのはどんな気分だと尋ねてやればいい。
グッと歯を食いしばって、右手に力を込めて引き戸を開ける。目の前に飛び込んできたのは、玄関と同じように布団にくるまって仲良く寄り添う男女だなんて。


「死ね!」


左手に握っていたスマホをぶん投げる。ガッシャーンと激しい音がして、壁にぶち当たって砕けて散った。その瞬間布団の中の2人がビクリと飛び起きて、私を見つめてくる。
女はきっと勝ち誇ったように笑うのだろうと思っていたけど実際はそうではなかった。こっちを見て、まるで怯えるように肩を震わせて目に涙すら溜めている。なんだ、それ。ふざけんなよ。泣きたいのはこっちだ。ただもう、その女はどうでもいい。


「…ア?沙夜…?」
「気安く呼ぶなクソ」
「ハァ?んだよ……」
「うるさい!喋んな!こっち見んな!」
「朝からうるせ…オイ、何泣いて…」
「泣いてねーわ!喋んなっつってんだろ!」


足元に落ちていたチューハイの缶を拾っては投げ拾っては投げる。キーキーうるさい女の悲鳴と、後ろで起きたクソどもの慌てたような声が聞こえるけどそんなのどうでもいい。あんたたちは今、関係ないでしょ。出てってよ、ここから、私たちの中から、出てけ!被害者面すんな!


「っ、全員死ね!」
「…は、?おい、ンダこれ!」


出てけなんて心の中で怒鳴ったくせに、みっともなく逃げ出したのは私だった。ダンっと大きな音を立てて玄関のドアが閉まり、背負っていたリュックサックそのままに、スニーカーの踵を踏み潰して足を動かす。何度か躓きそうになったけど、とにかくもっと遠くに行きたかった。逃げ出したかった。
あの部屋が嫌いだ。この街も嫌いだ。あいつらも嫌い。あの女も嫌い。

そして何も知らず、馬鹿みたいにあんな奴らを信じている靖友も嫌い。大っ嫌い。


走って走って、息が切れて苦しくなって足を止めれば、アスファルトにぽたりと染みができる。
一度それを見てしまえばもう止まらない。ぼたぼたと堰を切ったように涙が溢れて止まらなくなる。ただでさえ走った後で息苦しいのに、うまく息ができなくてその場に蹲った。
朝9時すぎ、コンビニの前で蹲ってなく女。最悪だ。私が大嫌いなあいつらとそう変わらないじゃんか、この状況。側から見たら私もその一部みたい。めんどくさい酔っ払いだと思われてしまう。
泣きたくなんかない。だって、泣く理由がないでしょ。嫌いなんだから。別に、もうどうだっていいんだよ。泣いてるなんて、まるで私がまだ靖友を好きみたいじゃない。


「っ、ハァ、オイコラ」


息切れしている、聴き慣れた声がすぐ後ろから聞こえる。絶対、振り返ってなんかやらない。顔も上げない。


「…」
「シカトすんな」
「…」
「だいたい、ゴリラかテメー。スマホどうすんだヨ」
「…」
「手当たり次第物投げんな。ベッドにチューハイの染み付いただろーが」
「…」
「…悪かった」


後ろから、包まれるようにして抱き締められる。そうするとまた私の涙腺は狂ったようにぼろぼろと涙が溢れて止まらない。

なんでこんなあったかいんだろう。なんでこんなに、安心してしまうんだろう。さっきまで本気で嫌いで、このままどうか酷い死に方で死んでほしいと思ってたはずなのに、声を聞いて抱き締められるとどうしようもなく愛しくなってしまう。
なんで私が責められなきゃいけないんだよ約束破ったのはお前だろとか、スマホはお前の金で弁償しろよとか、チューハイの染みなんて今更だろとか、言いたいことはたくさんあるはずなのに私の口からはだらしない嗚咽しか出てこない。


好きだ。この男が、嘘がつけないこの人が。どうしようもなく好きで好きで堪らない。
ただ抱き締められるだけで、適当な「悪かった」って言葉だけで、さっきまでの出来事全てを塗りつぶしてなかったことにしてしまうくらいに、靖友のことが好きだ。


「っ、う、すき…っ」
「…泣くな」
「泣いてないし…」
「お前なぁ…この状況でそれは無理があんダロ」
「…ざけんな、バカ、クソ、最低」
「言っとくけど、なんもねーから。マジで。ハメられただけだかンな」
「っ、靖友がハメたんじゃないの…」
「ざけんな!俺は1人で寝たんだヨ!誰がテメーとヤったベッドで他の女抱くか!」
「…言い方きも」
「アァ?!」
「叫ばないで、酒臭い」
「ッ…オメーさっき好きって言ったよなァ?」


ホント、馬鹿みたい。朝のコンビニの前で座り込んで抱き合いながら喧嘩する男女とか、頭悪そうで嫌だ。嫌い。大っ嫌い。
なのに、相手が靖友ってだけでどうしてか嫌いになれなくて、正反対に好きな気持ちで埋まっていく。
腕の中でもぞもぞと動いて、向かい合う形になってから靖友の耳を思いっきり引っ張って唇を寄せる。「イッテェ!」なんて聞こえてきたけどそんなの知らない。ちょっとくらい我慢しろ。

ねぇ、こんなことになってもさ、悔しいけど。
素直に謝ることができるあんたが、泣くなと慰めてくれるあんたが、不器用にも抱き締めてくれる、靖友のことが、


「好きだバーーーーーーーーカ!」













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