ヒーローで居続けた葦木場


「葦木場くんなら大丈夫だよ」


その言葉は俺の原点でもあり、そして同時にひとつの呪いのようでもあった。


笑って俺を信じてくれる彼女が好きだ。彼女のまっすぐな目はとっても綺麗で、見つめられるたびに心臓がギュッと何かに締め付けられたかのように苦しくなる。だけど不思議とそれが嫌な感覚ではなかった。苦しいけど心地良いなんて言ったら気持ち悪いと思われるかもしれないけど、彼女が笑ってくれた時に高鳴る胸が俺にとっては心地が良くて、そうしてやっと、俺は彼女のことが好きなんだってことに気づいたんだ。

きっかけはふとしたこと。
1年生の時に選択授業で選んだ音楽の授業で、先生にちょっとした雑務を頼まれてしまった。まだ高校に入学したばかりで先生も馴染みの生徒がいるわけじゃないから、人より背が高く目立ってる俺に頼んだってだけ。人より目立つことは自分でも分かっていたし、こういったことはよくあったから特に気にすることもなく先生に言われた通り音楽室で1人作業をこなしていたのだけど、プリントをひたすらホチキス留めするそれはちょっとばかり退屈で、少しくらい、と軽い気持ちでグランドピアノに手を添えた。
初めはポロンポロンと音を鳴らしていただけだったけど、だんだん指が動いてきて懐かしいクラシックにのめり込んでいく。ユキちゃんに「お前はのめり込むと周りが見えなくなる」って言われるけど、この時の俺はまさにその状態だったんだと思う。
一曲演奏が終わったとき、やっと意識がこっちに戻ってきたようなそんな感じ。ふぅっと、息を吐いたらパチパチと手を叩く音が聞こえてきて、横を見れば思ったより近い距離に女の子がいた。
大きな瞳からぽろぽろ涙をこぼしてるのに、笑顔で手を叩いている女の子はちょっとだけ不気味で、「ヒッ!」と声を漏らしてしまったのを覚えている。だけどそんな俺に、彼女はずいっと顔を寄せてきてこう言ったのだ。


「ありがとう」


訳が分からなくて、女の子が泣いてるのを放っておくこともできなくて俺はオロオロしつつポケットから取り出したしわくちゃのハンカチを手渡す。


「えっと、なんで…そんな、お礼とか…ていうか、なんで泣いてるの?大丈夫?」
「あのね、今日すごく嫌なことがあったんだけど、今ピアノを聴いたらなんか元気になったの」
「…別に、君のために弾いたわけじゃないよ」


突然の彼女の言葉に驚きと恥ずかしさもあって、そんな突き放すような言葉が口から出てきてしまったのは今思い返すと我ながらひどい奴だなと思う。今の俺だったらもっと気の利いた言葉を言えたはずなのに。だけど、そんな俺の言葉にも彼女は嬉しそうに笑ってくれたんだ。


「そうかもしれないけど、今の私にとっては葦木場くんがヒーローだったんだ」


そう言った彼女、沙夜ちゃんの目にもう涙はなかった。眩しすぎるくらいの綺麗な笑顔を見せられて、俺は最も簡単に沙夜ちゃんに恋をしてしまったんだ。

俺は特に何かに秀でたわけでもない。1年生の時は部活も思ったように上手くいかなくて、自転車は好きなのに、好きなのか分からなくなって、毎日毎日たくさんの洗濯物を干すだけ。先輩たちからは身長のことで色々言われたし、"最強の洗濯係"だなんて不名誉なあだ名をつけられて、もうこのまま部活にいても意味ないのかなって思った。
そんな時に俺の前に現れたのは福富さんと新開さんだったけど、心の中にはいつだって沙夜ちゃんがいて「葦木場くんなら大丈夫だよ」って俺の背中をギリギリのところで支えてくれていたんだ。


「何を根拠に、そんな、大丈夫なんて言うの?」
「だって、そう思うんだよ。葦木場くんなら大丈夫」
「沙夜ちゃんが、俺の何を知ってるの?」
「うーん…知らないけど、でもさ、あの日から私にとっては葦木場くんがヒーローなんだもん」
「…なにそれ」
「ふふ。葦木場くんならきっと大丈夫だよ」


俺のささくれだった言葉にもニコニコ笑って真っ直ぐな言葉を返してくれる沙夜ちゃんの言葉にはどこか不思議なパワーがある。
俺はその沙夜ちゃんの言葉と笑顔があるから、自転車を続けられた。続けるしかなかった。俺がここで自転車を諦めてしまったら、沙夜ちゃんの中でヒーローが死んでしまうから。

そこから先も辛いことや苦しいこと、逃げ出したいこともたくさんあった。言葉の通り、レースから逃げ出したこともあったけど、それでも自転車をやめられなかった理由の一つは沙夜ちゃんの笑顔に応えたかったから。
沙夜ちゃんが笑ってくれる。
こんな俺をヒーローだと言ってくれた沙夜ちゃんを裏切りたくない。情けなくてカッコ悪い俺をヒーローだと信じてくれてる沙夜ちゃん。沙夜ちゃんの前だけでも良いから、俺はヒーローでありたかった。
沙夜ちゃんのおかげで俺はずっと前に進み続けることができたんだ。

俺が頑張れる理由は、沙夜ちゃんだ。
俺が頑張れば頑張るだけ沙夜ちゃんが笑ってくれる。喜んでくれる。まるで自分のことのようにはしゃいで笑って、俺の手を握ってくれるのが俺の原動力なんだよ。


インターハイ最終日。一生懸命ペダルを回した。もうこの先の人生、こんなに回すことなんかないんじゃないかってくらいに回して回して、もう意識飛ぶんじゃないかって時に頭の中に浮かんだのはユキちゃんや塔ちゃん。そして俺を信じてくれた福富さんや新開さん。みんなの期待に応えたくて、みんなに恩返ししたくて、みんなの顔が浮かんだ。
でも、全部の力を出し切った先で見えたのはやっぱり笑顔の沙夜ちゃんだった。
なんて、そんなこと言ったらユキちゃんや塔ちゃんに叱られちゃうかもしれないから内緒だけどね。


「葦木場くん」


表彰式が終わって、応援団への挨拶をした後テントに戻ろうとしたところでふと聞こえた声。
振り返れば、真っ白なワンピースを着た沙夜ちゃんが1番最初に出会った時のように、泣きながら笑っている。
俺と目が合うと、両手を広げて可愛らしく首を傾げる。


「ね?言ったでしょ。葦木場くんは、大丈夫だって」


ぶわりと、自分の目頭に熱が集まってそのまま目からこぼれ落ちる。勝手に足が動いて、沙夜ちゃんの元へと駆け寄って勢いそのままに抱き締めた。
そう言えば、まだ好きって伝えてないとかそんなの今更だ。今は、ただお互いに触れていたい。ぎゅっと苦しいくらいに抱き締めてて、腕の中に閉じ込めて、そして伝えたい言葉がある。


「ありがとう、沙夜ちゃん」


最初から最後まで、俺を信じてくれたこと。
こんな俺をずっと支えてくれたこと。
いろんな感謝を込めた言葉を伝えると、やっぱり沙夜ちゃんはキラキラ輝く笑顔で俺をまっすぐに見つめてくれる。


「葦木場くんは、ずっと私のヒーローだよ!」



ねぇ、沙夜ちゃん。
君は俺をヒーロだと言ってくれるけど、
俺にとっては、どんな時でも笑って待ってくれてる君がヒーローだったんだよ。







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