子どもでも大人でもいられない高校三年生の巻島


「お前の未来の話だろ。俺に聞かれても知らねぇっショ。ちゃんと自分で考えて自分で決めろ」


ちょっとなにそれ、冷たいなぁなんて笑って細身な背中をバシンと叩いてやりたいのに、今の私は瞳の奥から溢れそうな涙を必死に堪えるので精一杯だ。机の上に置かれた真っ白の紙切れを睨みつけるようにしている私と、その目の前に座って片膝を椅子の上に乗っけて机には片肘ついてそっぽ向いてる巻島。2人きりの教室はいやに静かで、それがまた私を苦しめる。鼻を啜りたいのに、啜ったら泣きそうになってることがバレてしまうのが嫌で我慢するけどきっと巻島は私が泣きそうになってることも、それを堪えてることも全部分かっているだろう。分かっているから、知らないふりをしている。それがまた優しくて、だけど今の私にとってはたまらなくつらくて悲しい。
こんな時、子どもでいられたらなぁと思う。何も考えずに、ただ一緒にいたいという気持ちだけで生きていけたら。好きだという気持ちだけをぶつけて泣き喚くことができたらどれだけ楽だろう。だけど、私たちにはそれができない。とっくに大人になってしまった私たちは現実を受け入れて、正しい選択をしていくしかないのだ。
例えば、目の前のこの男が私の手をがっつり握って「俺と一緒に来い」とひとこと言ってくれたなら、私だって…なんて馬鹿みたいだ。そんなこと言うわけないし、万が一そんなこと言われたとしても私はその手を振り払うだろう。
真っ白な進路希望調査表。第一志望のその横にイギリスだなんて書くことはしない。
私が学びたいこと、この先なりたいもの、どんな大人になりたいか。どんな人生を歩んでいきたいか。それを決められるのは私だけだ。
巻島裕介という人間が私の未来を形成するものになるのか、それとも長い人生の中でほんの一瞬の学生時代の思い出として置いていくのか。私が選ばなければならない。
巻島はすでに自分で選んだのだ。イギリスへ行くこと、兄の手伝いをして学ぶこと。私を日本へ置いて行くこと。


「…巻島はさぁ、ずるいよ」
「…なんショ急に」
「しらばっくれないでよ。あんた、わざと言ったでしょ私に」
「…」
「誰にもまだ言ってないくせに。私にだけ、そうやってチラつかせて、私を試してる」


目を合わせなくてもわかる。きっと今コイツはバツが悪そうに私から目を逸らしているに違いない。
自分で決めろなんて言っといて、そうやって私に選ばせてる。自分は自分で勝手に決めて、私に結論を委ねてるだけの大馬鹿野郎だ。
巻島裕介という男は、こういう小さいところがある。本当は熱くて、きっと私よりも夢見てるような人のくせにリアリスト気取って怖がってる馬鹿。


「私の未来だって、言ったよね」
「あぁ」
「私が自分で選べって」
「あぁ」
「私を…甘く見るな」


淡々と答えるくせにこっちを一切見ない巻島の態度にかっと頭に血が昇る。
涼しい顔して気取ってる巻島がムカつく。怖くて仕方ないくせに。頭下げてお願いしてみろよ。着いてきて欲しいって。そこまで言わなくてもいいから、俺のいる未来を選んでくれって、言葉にしてみろよ。伝わってるなんて思うなよ。ただでさえ口下手なあんたの本心なんて、私ぐらいにしか伝わんないんだよ。
机の上に放り出してあったシャーペンを握って、カツカツと第一志望の横に文字を書き進めていく。
ボロボロと頬を伝う涙は悲しいからなのか悔しいからなのか、それとも怒りからなのかはもう自分でも分からない。ただ、目の奥も胸の奥も熱くてたまらなくて、それが身体の中から溢れ出して涙になっているようなそんな感覚。


「っ…私は、別に、あんたがいないと生きていけないわけじゃないから」
「…あぁ。知ってる」


第一志望の横に書いた、明早大学の文字。
筑士波大だって考えなかったわけじゃない。でも、私が学びたいこととか、将来のこととか、いろいろ考えたら1番いいのは明早大に決まってる。
ぽたり。頬を滑り落ちた涙で文字が滲む。


「江戸川」


巻島が名前を呼ぶ。顔を上げれば、真剣な目をした巻島がまっすぐに私を見つめていた。


「お前の未来だ。俺がなんか言えたわけじゃねぇっショ」
「っ、だから!」
「つーのは建前だ。悪かった。これが1番俺のためにもお前のためにもなると思ったし、これが正解って思ったからそう言っただけだ」
「…はぁ?」
「何もかも全部捨てていいなら、言ってるっショ。俺と来いってな」


巻島の手が伸びてきて、私の頬にそっと触れる。細くて長い指がぽろぽろ溢れる涙をするりと優しく拾うようにして撫でてくれるのがくすぐったいような、もどかしいような。普通、こういう時は抱きしめてくれたりするんじゃないのかよ。なんて言うのも癪なので私から飛びつくように抱きついた。私たちを隔てていた机が、ガタンと音を立てて倒れるけどそんなの構わない。


「待ってろなんて、らしくないこと言わねぇよ」
「…言えよ、ばか」


私の背中に回った腕にぎゅっと抱きしめられる。
私は巻島がいないと生きていけないわけじゃない。巻島だって私がいないと生きていけないわけじゃない。悲しいかもしれないけど、きっと暫くすればお互い新しい生活にも慣れて、1人が当たり前のように感じるようになる。悲しくても辛くても、それでも生きていくことはできるのだ。
巻島は巻島のために生きて、私は私のために生きていく。それが正しい。頭の良い選択。
だけどね、私は私の道を歩んでいくけど、どこかこの道の先で巻島ともう一度出会えたら良いなって思ってる。何かの弾みでも良いし、うまく私と巻島の道が混ざり合う時が来たら、そしたらその時は。


「またどっかで出会ったら、そん時は俺が江戸川をもらってやるよ」


ひっ付き合っていた身体を離せば、真っ赤な目をして震えた声でそんなこと言う巻島がいた。それは今、私が言おうとしたセリフだ馬鹿野郎。あんたそんなキャラじゃないくせに、うける。


「…外国美女に襲われないでよ」
「ハッ。そりゃ約束できねぇな」
「忘れないで。私のこと」
「らしくねぇな。うるせーくらい連絡してくればいいショ」


するりと、大きな手のひらが私の頬を撫でる。そのまま引き寄せられるように目を閉じて近づいて、優しく触れる唇。


「元気でな、江戸川」


名残惜しそうに離れていく唇がやっぱり恋しくて、恋しくて。
今日だけは、やっぱり私って巻島がいないと生きていけないんじゃないかって、子どもみたいなことを本気で考えてしまうのを許してほしい。













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