あの夏から抜け出す荒北


「…沙夜」


名前を呼べば、あの頃と変わらないままの笑顔でへにゃりと笑う。
見たことのない制服。どこのものかも知らない。コイツがどこの高校に進学して、今何をしているかも何も知らない。


「何そんなとこ立ってるの」
「アー…お前に用があって…」
「…髪、切った」
「切ったけど…知ってたのかヨ」
「出てく日、窓から見てたから」
「あっそォ」


上がれば?と誘われるがままに沙夜の家へと上がり込んだ。久しぶりに会ったオバチャンは前よりも少しだけ歳をとったように感じだけどあの頃のまま。オレの母さんよりもオレの帰省を喜んでくれて、ありったけのお菓子を沙夜に持たせた。
そんなオバチャンを見て呆れた顔した沙夜だったがしっかりとお菓子は持ったまま2階へと進んで行くのでオレもそれに続く。
久しぶりに足を踏み入れた沙夜の部屋は、もうオレの知らない匂いでいっぱいだった。それが何となく居心地が悪くて、クッションを渡されたがそれは使わずに床にあぐらをかいて座る。


「…元気だったの?」
「まァ。それなりに」


目の前に座る沙夜を改めて見つめる。
髪の毛が伸びてる。コイツの目はこんなにまん丸だっただろうか。あの頃日に焼けてた肌が今は透き通るように白くて、制服のワイシャツから伸びる腕はオレよりもずっと細くてしなやかだ。
どうしてか見ていられなくなって視線を逸らせば、今度目に入ったのは棚に置かれた黒いグローブ。さっきまでオレが探していたもの。
オレの視線を辿ったのか、沙夜が慌てて立ち上がってグローブを腕の中に抱え込むようにして隠した。
俯いて顔は見えないが、どんな顔をしているのかはなんとなく想像がつく。

コイツの中ではやっぱり、オレもコイツもあの時のままだ。
進めずに、止まったまま。あの夏がずっと終わらずに沙夜を苦しめている。


「…沙夜」
「捨てないよ、これは。ダメだから」
「もういいヨ」
「っ、よくない!勝手に終わらせないでよ!」


あの日と同じように、沙夜の目からぼろぼろと溢れる涙を今度は一つずつ指で掬い上げる。
柔らかい肌は、触れてしまえばもう止まらなかった。そのまま手を伸ばして細い腕を掴んで抱き寄せる。抱えるように胸の中に閉じ込めてしまえば、沙夜は思っていたよりもずっと小さい。頭だってオレの手に収まってしまうくらいに小さい。指を通る髪の毛も柔らかくて、女だと感じさせるには十分だった。

オレがいない時間を沙夜はどうやって過ごしてきたんだろう。

オレは福チャンに会って変わることができた。前を向けた。


「沙夜、ありがとな」


オレは福チャンがオレにしてくれたことを、沙夜にしてやりたい。ワガママだと言われるかもしれないけど、それでもいい。

コイツをあの夏から連れ出すことができるなら。


「オレさ、新しいもん見つけたんだわ」
「…」
「ロードっつぅの?めちゃくちゃ速ェチャリなんだけどよ、ソレやるつもり」
「……なにそれ」


小さい頭を撫でつつ、細い肩に顔を埋めてみる。すぅっと吸い込めば甘い匂いで頭がクラクラするけど、嫌いじゃない。
だせぇことに沙夜の髪を撫でるオレの手は震えてるけど、コイツもぐすぐす鼻を啜りながら肩を震わせてるから気づかれることはないだろう。
オレの腕の中から顔を上げた沙夜。目が合えば思ったよりずっと近い距離。


「大会あるの?」
「…あるよォ。夏、インターハイ」
「…今から始めて出れるわけ?」
「出てやんヨ。知ってるだろオレの運動神経。ぜってぇ出るから」


コツンとおでことおでこを合わせる。
触れ合ったところが熱い。真っ直ぐに目を見て、ずっと言いたかったこと。


「見にきて。大阪じゃなくて箱根だけどォ」
「…近場じゃん」
「るっせ。いいだろ近い方が」
「…行っていいの?」
「…オレが、沙夜に来て欲しいんだヨ」


オレがオレであることを証明するために自転車に乗ると言った。だけどそれだけじゃない。
オレはオレのためだけじゃなくて、沙夜にもう一度背中を押して欲しかった。沙夜に誇れるオレでありたい。また沙夜が笑顔でオレのそばにいてくれるために、もう一度やり直したいと思ったんだ。


「…取り消してよ」
「あ?」
「…嫌いって、言ったでしょ。私のこと」


震える声でそう言って、さっきまであっていた目を逸らされた。
オレがこんだけしてやってるくせに、まだわかんねーのか。そんなわがままも嫌いじゃない。本当は嫌いになったことなんか一度もない。


「好きだ。昔からずっと、沙夜が好きだ」


オレはずっとずっと、沙夜のことが好きって、ただそれだけだったんだ。


「私の方が靖友のこと好き。大好き」


背中に手が回って、優しい力でぎゅっと抱きついてくる。暖かくて愛おしくて、目頭が熱くなる。


「連れてってよ、インターハイ」
「…わがままチャン」
「うるさい元ヤン」
「沙夜」


名前を呼べば顔が上がる。そのまま近づけて触れるだけのキスをする。目をあけたままの沙夜はマヌケヅラだが、嬉しそうに今度は自分からキスをしてきた。コイツのこういうところが好きだ。

会えなかった日の話をたくさんして、いつかこんな日もあったねと、笑える未来を一緒に過ごしていたい。なんてらしくないことを思って、大切に抱き締める。


これからどんな夏が来ても、君となら乗り越えられる。









Back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -