My sweet Home



デスクに頬杖をついてカチカチと意味もなくマウスを動かしてみる。デスクトップに映っているデータはさっきから何一つ変わっていない。エクセルの画面に羅列した名前と数字をただ睨みつけるだけの簡単なお仕事…なんてものがこの世にあるわけもなく、本来であればこのデータに対して諸々やりたいことがたくさんあるのだけれど、いかんせん集中力が切れてしまった。
デスクの上にあるもうぬるいコーヒーに口をつけつつ、オフィスの壁にかけてある時計を見れば定時を過ぎてからもう2時間も経っている。そりゃあ、集中力も切れるわけだ。仕方ない。私が悪いわけじゃない、と自分に言い聞かせてそっとエクセルを保存してパソコンの電源を落とした。今日はもう、諦めることにする。多分これ以上ここにいても何も進むことはないだろう。納期にも余裕があるし、明日やればいいや。

お気に入りのマグカップを洗うために席を立って辺りを見渡すと、オフィス内には人はまばらだった。それもそうか。今日は金曜日でみんな早く帰りたいに違いない。私だって、本当なら今日こそは早く帰るつもりだった。新入社員の仕事をフォローしたり、上から押し付けられた仕事を片付けたりと中途半端に上がってしまった年次を恨めしく思いつつようやく慣れてきたというのに、今週は月末ということもあり月曜日からずっと残業続きだったのだ。家に着くのは0時すぎ。

でもきっと、忙しいのは私だけじゃない。同居人である彼氏の靖友も恐らく私と同じような生活を送っている様子だった。だった、というのはここ1週間動いている靖友を見ていないせいである。帰りは私より早く帰ってきているようで、私が帰ってくるともう既にベットですやすやと眠っている。けれど朝は反対に私が起きるよりも早く家を出てしまうので、毎朝広いベットに1人残されるのが寂しいなんて、そんな可愛らしいこと口には出来ないけれど。
給湯室でマグカップを洗いながら、思わずため息をついてしまった。そういえばこのマグカップもいつだか靖友にもらったものだったなぁ。猫がモチーフになっている可愛らしいカップは私のお気に入り。じっと見つめていれば、疲れていた気持ちが少しだけ癒されていく。

やっぱり今日はもう帰ろう。今から帰ればまだ家で過ごす時間はある。そうだ、帰りにお酒とおつまみでも買って帰ろうか。駅前にオープンした唐揚げ屋さんに寄ろう。喜ぶ靖友を想像して、また疲れが少しだけ吹き飛んでいく。早く会いたい。めいいっぱい甘えたって、今日くらいは許してもらえるかもしれない。いや、許してもらおう。


「お先に失礼します」


鞄を肩にかけて、足早にオフィスを出る。誰にも邪魔されないようにカツカツとビールを鳴らしていれば私が急いでいることは明らかで誰からも声をかけられることはなかった。

早く家に帰って、靖友に会いたい。話したいことも伝えたいこともたくさんある。もちろん聞きたいこともたくさん。そう思えば思うほど、家に向かう足はどんどん速くなる。さっきまで疲れて疲れて、立ち上がるのさえ億劫だったのに不思議だなぁ。

唐揚げ買って、コンビニでレモンサワーを二本。またどんどん足が速くなる。靖友はこの1週間何を食べて、どんな生活をしてたんだろう。きっととてつもなく忙しかったんだろうな。私も同じ。今日はこの唐揚げで勘弁してもらいたいけれど、明日は私がキチンと料理を作ってあげよう。唐揚げ…と言いたいところだけれど唐揚げは今日買ってしまったから明日はハンバーグはどうだろうか。ちょっと手の込んだものを作ってあげてもいい。ハンバーグを前に子供のように笑う靖友が頭の中に浮かぶ。靖友が喜ぶ顔が見れれば、私の疲れも吹っ飛ぶんだよって、そう思っていたのに。


「おかえりィ」
「…は?」
「うわ、マヌケヅラ」


玄関のドアを開ければ、香ってきた良い匂い。今朝はごちゃごちゃといろんな靴が出っ放しだった玄関は、ピッシリと綺麗に靴が並んでいて必要のないものはなくなっている。驚いている間にもふわふわ香るいい匂いにつられて、パンプスを脱いで部屋の廊下を進んでいけば、キッチンでぐるぐると鍋をかき混ぜている靖友がいた。


「…カレー?」
「そー。つーかこれしか作れねェし俺」


これしか作れないなんていうけれど、靖友のカレーは正直私が作るカレーより美味しい。もともと靖友は私よりずっとマメなのだ。私がカレーを作るときは野菜の切り方も適当だし煮込む時間もだいたいで済ませてしまうけれど靖友はそうしない。1番美味しく感じる切り方を調べるし1番美味しくなる時間をきっちり計って煮込んでいる。

ていうか、そんな話じゃなくて。


「なんで!?なんでカレー作ってるの!?」
「なんでって…週末だしィ?最近残業続きでムカつくから今日くらいは早く帰ってやろうと思って頑張ったのにヨォ」


カチリと鍋の火を止めた靖友が怖い顔して近づいてくる。眉間に皺が寄っているし、歯茎も見えるし彼女の私から見てもおっそろしい顔になっている。
そのまま私の目の前で立ち止まると、大きな手が私の鼻をぎゅっと摘んでしまった。強い力で摘まれてしまって息ができなくて苦しいし、久し振りの近い距離に緊張して動けなくなってしまう。


「んん!」
「名前は相変わらず遅ェし、なんか死んだ顔してッし」
「し、死んだ顔…」
「早く帰ッてきて正解だったわ」


ピンっと弾くようにして離された手。痛む鼻を両手で押さえつつ顔を上げれば、ニヤリと笑った靖友がいる。さっきまで私が頭の中で思い描いていた靖友だ。
ずっと、ちゃんと向き合って話がしたかった。久しぶりのリアルな靖友に心が跳ねる。馬鹿だけど、本物だって分かった瞬間にどうしようもなくなって、薄っぺらい胸の中に飛び込んでみた。多分そんな私のこともお見通しだったんだろう。軽々と受け止めて、背中に手を回して不器用に頭を撫で回してくれる靖友にぎゅっと胸が苦しくなる。


「好きだろ、カレー」
「うん。靖友のカレーめっちゃ好き」
「そりゃ良かった」
「疲れた。めっちゃ疲れたし、正直結構寂しかった」
「…めっずらしいこと言うネ」
「まぁ、今日くらいは甘えたいかなって思って」


ぎゅうっとありったけの力を込めて抱き付けば、頭の上から聞こえてくる「グェ」だなんて情けない声。だけどそれでも頭を撫でる手を止めない靖友はやっぱり優しい。やっぱり好きだし、やっぱり私靖友がいないと頑張れないかもしれない。
逆を言えば、靖友がいるから私は頑張れるんだよ。靖友が頑張ってることを知っているから、私も頑張りたくなる。靖友の隣に立てるように、靖友に相応しい彼女でいられるように。仕事も頑張れるけれど、どうしても疲れた時は私を癒してほしい。


「…オラ、もう離れろ。早くカレー食いてェ腹減った」
「えぇ…もうちょっとだけ…」
「ハァ?腹減ったッつってんだろ!離せ!」
「唐揚げあるから!唐揚げ!あと5分延長!」
「なッげェヨ!つーか唐揚げあンなら早く言え!腹減ッた!」
「じゃあほら!チューしてあげるから!」
「ヤダヨバァカ!それより唐揚げ」
「なんで!ひっど!久しぶりなのに!」
「してェなら尚更早く食ッて風呂入れ!」


ベリっと音がしそうなくらい思いっきり引き剥がされてしまいしょんぼりする私には目もくれず、私の手にあった唐揚げの袋だけを奪った靖友は鬼だ。さっきまで大きな声で怒鳴っていたくせに、よっぽど唐揚げが嬉しいのかニコニコとご機嫌そうに笑っている。彼女からのチューよりも唐揚げを取るなんてどういうこと?酷いよ!癒して欲しかったのに…いや、もう良いけどね。ぎゅってしてもらえて十分癒されたしね、嬉しそうな靖友の顔も見れたし。
はぁっとため息をついてジャケットを脱ぐためにキッチンから部屋へと向かおうとしたら、


「名前」


名前を呼ばれてクルリと振り返る。唐揚げを手にして笑った靖友。


「おかえりィ」
「…ただいま!」


ちゃんとあいさつを大事にする。そんなところも好きだし、あぁやっぱり靖友だなぁなんて思ってしまう。もう一度抱き着きたくなる衝動をグッと抑えて、部屋へとダッシュすれば後ろでケタケタと笑う声が聞こえた。
靖友の言う通り、早くカレーを食べてお風呂に入って、あとはゆっくり2人だけの時間を過ごそう。いつもは言わない好きって言葉もたくさん伝えてあげても良いよ。


来週も私が頑張れるように、週末はたくさん癒して私を甘やかしてくださいね靖友くん。











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