隣の席の黒田くん



2年生になるといくつか授業を自分で選ばなくてはならなくなってしまう。受験なんてまだ先のことで、行きたい大学とか将来のことなんて何にも分からない。どこか適当な大学に行って適当に学んで適当な大人になれればそれでいいや、なんて無気力な女子高生は多分私だけではない…はずだ。だから特に理由もなく、なんとなーく1番簡単そうかなぁなんて思いながら古典を選んだ。受験でも使えそうだし、深く読み込めばなかなか面白い恋の歌や昔話の意味を自分でも分かるようになればなぁなんて。そんなことを思ってはいたけど実際に授業で習うのは古文単語や文法ばかり。物語そのものについて説明することなんてほとんどないせいで楽しいと思えることもなくつまらない授業だなぁなんて欠伸さえしていたのが懐かしい。

ある日席替えをしたことで、それどころではなくなってしまったのだ。


「よーしそこまで。隣と回答交換してくださーい」


やる気があるんだかないんだか、おじいちゃん先生の間延びした声が授業早々眠気を誘うけど私はそれどころではない。
自分が埋めた回答に間違いはないか、字は綺麗かどうかまでしっかり確認してから隣へと自分の答案用紙を渡す。ただ、それだけの動作なのに緊張して指が震えてしまうのは隣の彼があまりにも眩しすぎるからだ。


「ハイ、よろしく」
「こ、こちらこそ…」


しなやかな指先から受け取った彼の回答用紙には、意外と男の子らしい走り書きの文字が記入されている。バレないように彼の名前をそっと指でなぞってしまうのは私のクセになってしまった。なんか自分でもちょっと気持ち悪いなぁと思うけど…彼の名前を見るだけで私の心がふわふわと満たされていく。

この選択授業の時だけ隣の席になる黒田雪成は毎回古文単語のテストで満点を取る。

ただ丸をつけるだけなのに、先生みたいにカッコいい感じの丸がいいか、それとも女の子らしい可愛らしい丸の方がいいのか?どっちが黒田の好みだろう?なんてくだらないことで悩んでしまう私は本当にアホだ。恋は人をバカにしてしまう。ちなみにこの問題は毎回毎回、交互に違ったタイプの丸をつけることで落ち着いたけれども黒田はそんな私に絶対気づいていないだろう。今日は、可愛い丸の日なので気をつけながらゆっくりと答案に丸をつけていく。

チラリと、隣の黒田を盗み見る。
真っ直ぐに黒板を見つめる黒田は眠そうに欠伸をしている。サラサラの髪の毛がちょっぴり跳ねているのはいつものこと。意外と身なりを気にしないタイプなんだろうか。その割には制服をキッチリと着こなしているけれど…もしかしたら部活のせいもあるのかもしれない。黒田が所属している自転車競技部は全国優勝が当たり前の部活であって、その分先生たちからの期待や注目もある。他の生徒の見本になるようにと、厳しく指導されているのを見たことがある。大変そうだなぁと思うけれど、全国を目指して何かに夢中になれるものがあることはちょっとだけ羨ましいし、そんなところもかっこいいなぁって思ってしまう。

黒田は制服はきっちり着こなしているのに、授業を聞く姿勢はいつもなんだか気だるげだ。決して行儀が悪いわけではないんだけど、今も背中をちょこっと丸めて左肘をついて右手でクルクルと赤ペンを回している。

そんな姿をチラリと見て、かっこいいなぁと思ってしまうのだ。整った顔つきをしているけれど、変に気取った感じもしない。誰とでも仲良くできるコミュニケーション能力の高さがあるし…まぁ、若干人を見下すような言い方をすることもあるけれど。これに関しては黒田が割となんでも簡単にこなしてしまう人間なので仕方がないことだと思っている。そんな完璧人間なところも、私からすればカッコよく見えてしまうというか、憧れてしまう部分だ。こんなこと人に言ったらドMか!なんてバカにされそうだから私だけの秘密。
そんな高飛車な態度のせいもあって、黒田は女子からの人気はそこまで高くはないらしい。らしいというのは私が勝手に調べた結果だから、もしかしたら陰ながらモテてるとかそういうのがあるのかもしれないけれど…今のところそんな雰囲気は多分、ない。クラスの中心にいるから、誰からも好かれてはいるけれどそこに恋愛感情を持つ女の子はあまりいない、はず。いや、そうであってほしい。倍率が高い恋愛なんてしたくないし。黒田の良いところを知っているのは私だけでいいし。なんちゃって。あ、こんなこと考えてるのやっぱりちょっと気持ち悪いかも。

そんなこと考えてぼーっとしていれば、隣の黒田がジッとこっちを見ているのに気づいた。パチリと、かち合ってしまった視線。


「なぁ」
「へ、あ…え?」


ジッと見てたのがバレてしまったのだろうか?
ドキドキしつつ、なんでもない様に繕って黒田からの問いかけに返事をする。


「古典、好きなのか?」


まさか、そんな質問が来ると思わず私は口をぽかんと開けたまま、おそろくとんでもないアホヅラをしているだろう。

黒田と雑談なんて、初めてかもしれない。いつもは答案用紙を交換して、その時に声をかけてくれるだけ。もちろん、クラスも違うしそんな穏やかに話をする様な仲でもない。黒田が私の名前を知っているのか?そもそも私という人間を認識しているかどうかすら分からなかったのに。
黒田は私をじーっと見つめたまま回答を待ってくれているので、慌てて口を開く。


「ど、どうして?」
「いや、いつも満点だから」


やば、声が裏返ったしどもったしキモかったかも。
いつも満点なのは、黒田にバカな女だなぁと呆れられたくなくて前日必死に予習をしているからです!なんて、言えるはずもなく私は曖昧に微笑みを返すことしかできない。
だって、0点なんて取ったら恥ずかしすぎる。イメージ的に、黒田って頭がいい女の子が好きそうだし。バカは相手にしなさそう。これは決して悪口ではない。黒田の頭がいいから、私もそれに釣り合う女の子でいたいなってだけ。そんな意地があって、この授業がある日だけは前日にしっかり予習と復習をしてくると心に決めているのだ。


「好きってわけじゃ…ないんだけどね」
「へぇ…俺は好きだけどな」

古典ではなく黒田がのことが好きなんです。
なんて言えるわけがない。へらりと笑って誤魔化してしまえば、黒田からの返答にドキッと心臓が跳ねる。いや、分かってる!分かってるよ!今の好きは古典にかかってる好きだってことくらい当たり前に分かってるから!ドキドキを顔に出すな私!真顔をキープして私!


「いつも満点だもんね」
「あー…古典っつーよりこの授業が好きなんだよ」


そう言うと、なぜか少し気まずそうにガシガシと頭を掻きながら笑う黒田。
顔をくしゃっとさせてから、ちょっとだけ恥ずかしそうに視線を泳がせたかと思うと、私が口を開く前にまた黒板の方を向いてしまった。私の返しがあまりにもつまらなかったから…?もっと盛り上げた方がよかったかも…。せっかくのチャンスだったのに…何も出来なかった自分の無力さに悲しくなって固まっていれば隣の黒田からはシュルシュルと丸をつけていく音がして、慌てて私も目線を前に向けて丸をつけていく。

やっぱり、いつも通り黒田のテストは満点だった。名前の下に100と書いて、回答を手渡す。黒田の手から返ってきた私の問題用紙にもしっかり100があって、ホッと胸をなでおろした。よかった。勉強した甲斐があった。黒田はいつも勉強せずに100点をとり続けているのだろうか。古典が好きだって言ってたし…っていうか、黒田と喋っちゃった!いつもはこんなイベント発生しないのに!なぜ!今日はいい日だ!黒田の好きなもの知れちゃったし、笑ってる顔まで見れちゃった。何もしてないけど、ちょっとだけ前進したかも。別に、今のところこの気持ちを黒田に伝える気はないけど。黒田が私のこと好きになる理由がないし。見てるだけで満足だし。

そこからはいつも通り、おじいちゃん先生のゆったりした古文の解説を聞いてノートを取り、たまに黒田を盗み見るなんてしていればあっという間に授業は終わってしまった。他の授業はいつもいつも長くて退屈なのに、この古典の授業だけはあっという間に終わってしまう。
せっかくのチャンスだったのに、もっと私からも話題を提供すれば良かったな。この古典の授業でしか黒田との接点はない。次の授業はまた1週間後だし、その時に今日と同じようなチャンスが巡ってくるかは分からないのに…私のバカ!意気地なし!

机の腕の教科書とノートをサッと閉じて、筆箱と一緒に抱え込む。立ち去るのが名残惜しくて、チラリと隣を見ればぱっちり、またもや黒田と目があってしまった。
そんなことはやっぱり初めてのことで、私はビックリして固まってしまう。黒田もパチパチと何度か瞬きはしたものの、なかなかそこから動こうとせず…まるで黒田も私と同じ様に固まってしまっているみたいだ。


「…あの…さ」


先に口を開いたのは、黒田。


「あ、うん、なぁに?」
「…名前って呼んでもいいか?」
「えっ、!?」


ぽつり、黒田が紡いだ私の名前。知ってくれていたんだなと嬉しくなったのもつかの間、そう言えば回答用紙を見ればすぐに分かる事を思い出す。


「…ダメか?」
「いや!全然!呼んでください!」
「じゃあ、名前も俺のこと名前で呼んでくれよ」
「…えぇ!?」
「名前だよ。俺の名前、分かるか?」
「も、もちろん!」


雪成。

いつもいつも、心の中で呼んでいた名前を唇から紡いで音にする。
緊張して声が震えてしまったけれど、私の声を聞いた黒田は嬉しそうに笑ってくれた。


「名前ってさ、ずっときれいな名前だなって思ってたんだよ」
「…あ、ありがとう…」


ガタリと席を立った黒田が私の横を足速に通り過ぎていく。突然の出来事に、動くことができない私は置いてけぼりでただただ黒田の背中を見つめるだけ。
教室の出口まで行った黒田が、くるりと振り返って得意げに笑う。


「あ、誰にでもこんなこと言うわけじゃねぇからな。名前」


フフンと人を見下したような自信満々なその笑い方さえもかっこよく見えてしまうのだから、私はもう手遅れだ。

惚れたが負け、だなんてよく言うけれど…あーあ。
皆さまご存知かと思いますが、私は隣の席の黒田雪成に惚れてしまっているんです。







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