(※第一集巻末おまけマンガネタ学パロ)
(※深く考えてはいけない)


まったく身に覚えのない学ランを着て、まったく身に覚えのない学び舎にいた俺は、どうやら同じくまともに意識と記憶を持ったままのなまえさんと、やはり身に覚えのない廊下を歩いていた。
どうしてこうなった。
そもそもここはどこなんだ。

「思ったよりセーラー服が似合いますね、なまえさん……」
「……ありがとうって言うべきなのかしら。年齢的に大丈夫か心配していたんだけれど、レヴィやメイドさんを見ていたら……なんだかどうでも良くなってきちゃったわ……」

白いラインの入った紺色の襟をたなびかせ、セーラー服を着たなまえさんがそれはそれは遠い目をして笑った。
ひどく虚ろな黒い目は気のせいだろうとスルーするには少々無理がある。
確かめる手立てはないものの、恐らくこちらも似たような表情をしているに違いない。
彼女も不運だ。
いっそのことこのトンデモ時空に記憶ごと馴染めていたなら、ここまで疲弊せずに済んだだろうに――それは俺にも当てはまるけれども。

しかし意味のわからない不思議空間に突如として放り込まれたいま、同じ境遇の被害者がいるということがこれほど心強いものだとは思わなかった。
不遇な状況において、同情や解決策よりも、他人が自分と同じところへ落ちてきてくれる方をひとは望むというのは、あながち過言でもないらしい。
すみません、なまえさん、ありがとうとこっそり合掌しておいた。

「そりゃそうでしょう。俺もどうかと思いましたけど、ここはそういう設定なのかってさっさと受け入れたらなんかもう楽になりましたよ」
「あらあら、ロックったら。随分と達観していらっしゃること。発砲音ひとつで慌てふためいていた頃のあなたが懐かしい……」

さも嘆かわしいと言わんばかりになまえさんが溜め息をついた。
余計なお世話である。
ひとは「慣れる」ことができるのだ。
たとえこんな高熱のときに見る悪夢みたいな奇怪なシチュエーションに、なんの脈絡もなく叩き落されようとも。

それにしてもいつこの茶番は終わるんだろうか。
素っ気なく並んだ教室のドアを眺めていると、物珍しそうに胸元のタイを指先でいじっていたなまえさんが「そうそう、」と小首を傾げた。

「ミス・バラライカ……ああ、ここでは先生とお呼びした方が良いのかしら。彼女にはお会いになった? 一見の価値があってよ。ぴったりの配役だったわ」
「あー、妥当ですね。ものすごく」

「バラライカ先生」か、なにか問題を起こしたら銃を突きつけられそうだ。
絶対に葉巻を吸いながら出欠を取るタイプだな、とうんうん頷いていると、廊下の角からこれまた見慣れた顔とばったり出くわした。

「あら、旦那さま……いえ、先生?」
「ん? どうした二人とも。もうチャイムが鳴るぞ」

現れたのはなまえさんの飼い主もとい、張さんだった。
喪服じみた黒いスーツとネクタイに表情を隠すサングラス、咥えた煙草はいつも通りだったが、さすがにロングコートとマフラーは身に着けていなかった。
というかいつものことながら、バラライカさんといいあの格好は暑くないのだろうか。

教員らしさを強いて挙げるなら、手にした黒い日誌くらいものだ。
分厚い表紙のそれでのんびりと肩を叩いている仕草は、正直おっさん臭いのでやめた方が良いと思うが。
このひとも先生役なのか、と納得しかけたところで、ふとあることに気が付いた。

「……いや、そもそもこの時点で、原作にまだ張さんは登場してないだろ……」
「あら、だめよ、ロック。それを言ってしまったら、わたしの存在が危うくなるもの」
「メタ発言にも程がありますよなまえさん!!!!」
「チャイム鳴ったぞー、おふたりさん」

黒表紙の日誌を持ったまま、張さんがのんびりと煙を吐き出した。
というか火の点いた煙草を咥えながら廊下を歩くのはどうかと……いや、今更そんな常識的なことを言っても仕方がなかった。
なにしろメガネ、三つ編み、セーラー服、と揃った大人しめ系女子生徒が、仕込みナイフをガチャガチャさせながら歩いている世界である。

そのまま立ち去ろうとした張さんが、にわかに思い出したように「ああ、そういや、」と口を開いた。
振り返る動作ひとつとっても画になる伊達男っぷりは、どうやら世界線が異なろうとも健在のようだった。
隣のなまえさんがうっとりと目を細めているのが――所謂トロ顔というやつだ――視界の端に入ってしまい、セーラー服姿でやっていい表情じゃないなとぼんやり考えていた。

「なまえ、今朝、俺の寝室に化粧道具を忘れてっただろ。ついでに持ってきてやったから、後で取りに来い」
「え? ……ええ、かしこまりました。ありがとうございます。お手数おかけして申し訳ございません」

従順になまえさんが頷いた。
そのちいさな頭へ手を伸ばしたかと思えば、張さんは彼女の黒髪をさらりと撫でて去っていった。
手付きや仕草にはいやらしさなんて特に感じられない。
が、それは到底「教師と生徒」が醸し出して許されるとは思えないレベルの色っぽい雰囲気だった。
普段の彼らと寸分の違いもない空気感で、横で見ていた俺はなぜか一気に疲労に襲われた。
深々と溜め息が漏れた俺を誰が責められただろうか。

「……どうなってるんだ人物設定」
「本当にね。もしかしたら関係性はそのままなのかしら? ふふ、そうじゃないと困るもの」
「なんか楽しそうッスね、なまえさん……」
「だって、恋い焦がれる方と、教師と生徒なんて配役……うふふ、落ち込めという方が無理ではなくて? ロック」

先程までの虚無たっぷりの眼差しはどこへやら、頬を染めて笑っているなまえさんに、「ああ随分とこのひともこの世界に馴染んでいるなあ」と俺は諦めの度合いを濃くした。



(※第四集巻末おまけマンガネタ女体化男体化)
(※口調捏造)


「良かった、なまえさんはまともな性別だった……!」
「……ということは、あなた、また記憶があるの?」
「いやなまえさんもですよね」
「まあ、ツッコミ要員として、主人公に正気を保たせるのは基本よね」
「だからメタ発言!!!!」

ロックの叫びと共に立派な巨乳がたゆんっと揺れた。
おのれの胸部で肉の塊が効果音つきで揺れるさまが、まだ受け入れられていないらしい。
当のロック本人ががっくりと項垂れた。
突如として自らを襲った「変化」にどうやら未だ対応できていない様子に、なまえは苦笑した。

「ラグーンのみんなにはもうお会いしたけれど、それぞれ似合いすぎていてツッコミづらい具合だったわ」
「わかります。ダッチもベニーも……レヴィも」
「あなた含めてよ、ロック。上司のパワハラセクハラに悩むOLの感じ、ものすごく様になっていてよ」
「冗談でもやめてくださいよ……」

そこでロックははたと顔を上げ、真正面からなまえをまじまじと見つめた。
女性の体を不躾に凝視するなど普段の彼ならばすべくもなく、またなまえもそれを理解しているためだろう、特に咎め立てることはなかった。

「……なまえさんは、女性のままなんですね」

レヴィの前例があるため油断はできなかったが、しかしなまえが着用しているのはいつもの白いワンピースである。
胸部の膨らみも、彼に勝るとも劣らぬ肉感を備えている。
恐る恐るといった様相のロックに、なまえは膨れっ面で首肯してみせた。

「そうなの。まったくもう、面白みに欠けると思わない? 折角なら、旦那さまに下剋上でも仕掛けられたかもしれないのに」
「……アハハー」

肯定も否定もせずロックは虚ろな目で笑った。
時として「どちらの側にも付かない」という選択肢は立派な処世術のひとつだ。
後々なにが起こるか、どう転ぶか見当すら付かない緊急事態の場合は尚更である。
日本人らしいどっちつかずのアルカイック・スマイルを浮かべている彼に、それ以上のり言を諦めたらしいなまえが「それにしても、」と眉を下げた。

「本当にびっくりした……。目が覚めたら、裸の女性が隣で寝ているんだもの」
「は、」

今更、三合会の白紙扇バックジーシン金糸雀カナリアの関係性についてカマトトぶるつもりは毛頭ない。
しかしながら普段、彼らが言葉を交わす以上の接触を他人の目にさらすような真似をしないため、思わずロックは固まった。
平生ならばなまえも、容易にプライベートを吹鳴すいめいするような女ではない。
なんら問題なく平静を保っているように見えたものの、もしかしたら彼女自身の言葉通り、本当にびっくり・・・・しているのかもしれなかった。

「考えてもごらんなさい、ロック。目が覚めて……身に覚えのない同性が、服も着ずに隣に寝ていたら、どう?」
「ウッ……」

起床後、即、同衾する見知らぬ男を発見したなら。
自分の身で想像してロックは青ざめた。
昨夜の深酒による不調と倦怠感がぶり返して嘔吐しそうになった。
おおよそ想像も付かないが――付きたくもない――、すくなくともとんでもない修羅場の幕開けになるのは間違いなかった。

「本当に、どうしようかと思ったわ。とっても可愛らしいお顔立ちをしているのに、海に浮かんだらと思うと忍びなくて」
「あー……確かになまえさんは……」

塔の天辺に仕舞い込まれた金糸雀カナリアにふれられるのは飼い主ただひとりだけという、この街において絶望的なほど厄介なルールを、ロックも熟知していた。
これもまたロアナプラで平穏無事に過ごす不文律のひとつだ。

ついうっかり彼女たち・・・・ふたりが共寝しているのを想像しかけたロックは、ぶんぶんと首を振ってその妄想を振り払った。
絶対に深く追求しない方が良い。
好奇心は猫をも殺すのだ。
ろくなことにならないのがはっきりしている妄想からの逃亡に、ロックは専念することにした。
我関せず焉、頬に繊手せんしゅを沿わせたなまえが思案顔のまま呟いた。

「あの女性が旦那さまだって知っていたら外に出なかったのに。びっくりして飛び出してきちゃった……。どうしようかな、お仕置きが怖くって」
「……お仕置き?」
「わたし、あのひと・・・・の言いつけでひとりだけで出歩いては駄目なの。……ねえ、ロック?」
「嫌な予感しかしない」

顔をしかめて一歩後退ったロックに、なまえがずいっとその一歩を詰めた。

「そう言わないで……。ね、ロック。わたしがどこぞの勢力に拉致されたってことで、口裏を合わせてくださらない?」
「無理です。狂言誘拐には付き合えません」
「いじわる……ねえ、お願い。あなた、わたしに怖い思いをさせないで……」
「ッ、悲しそうな顔してもダメなもんはダメですからね! やめてください! なけなしの良心に訴えかけるの!」

ついうっかり無条件に手を差し伸べたくなってしまうほど愛らしい表情を浮かべて、頼れるのはあなたしかいないのと言わんばかりに蠱惑的な瞳を潤ませた。
陥落間近であわあわしているロックの窮状を救ったのは、微妙に聞き覚えのある凛々しい声だった。

「何やってるんだ? お前たち」
「っ、バラライカさん!」

はためく軍用コートが後光で眩しくすら感じられ、ロックはこれ幸いとなまえから距離を取った。
やにわに現れたホテル・モスクワの頭目は、豊かな金髪をばっさりと短くし、仕立ての良いスーツを身に纏っていた。
顔の右半分を覆う痛々しい火傷痕すらをも男っぷりを上げる要因にしうる美貌には感服するしかない。
なまえは慇懃に「こんにちは、ミスター」と微笑んだ。

「バラライカさん、そのお姿、とってもお似合いですね」
「どうした、なまえ。藪から棒に」

思わず見惚れてしまう偉丈夫っぷりになまえが素直に賛辞を送ると、驚いたようにブルーグレイの瞳がまたたいた。
咥えた葉巻を揺らしてバラライカが笑った。

「おやおや、飼い主以外に媚を売るとは。金糸雀カナリアに粉をかけられるのはやぶさかじゃあないが」
「とんでもない。ミスター、この世にどうして美術館や博物館があるのかご存知ですか? 見目良いものは、ただ眺めるだけで意義があります」
「ハ、言うじゃないか」

頬と頬がふれ合わんばかりに顔を近付けられ、肉の引き攣れた白皙の美貌が眼前に迫った。
葉巻の香りがなまえの鼻腔をくすぐった。
ほんのすこしバラライカが屈むか、あるいはなまえが爪先立てば唇がふれるというところで、男の薄い唇が剣呑な弧を描いた。

「眺めるだけと狭量なことは言わん、ふれても構わんぞ? 金糸雀カナリアの味を教えてくれるならな」

あーこれまた別のトラブルだ。
ロックは傍らでできる限り気配を消そうと全力を注いだ。
可能ならばいますぐにでも全力ダッシュで逃げ出したかったが、不用意に騒ぎ立てて矛先がこちらへ向かないとも限らない。
なによりなまえから「自分だけ逃げるな」という怨念じみたオーラがヒシヒシと飛んできていた。

滝のような汗を流しつつ誰か助けてくれと心の底から祈っていると、本当の救世主はジタンをくゆらしながら登場した。
色香たっぷりの「飼い主」の声に、なまえの細肩がびくっと跳ねた。

「――そこまでにしてよ、火傷顔フライフェイス
「おや、ミス・張。おはやいお着きで」
「ウチのが世話になったみたいね、バラライカ。小鳥は説教の時間なんで引き取らせてもらうよ」
「ッ、きゃ、」

ぐっと乱雑に引き寄せられたなまえが、真っ正面から張の胸元へダイブした。
ぶつかる肢体は抜群にやわらかく、まろやかだった。
ふれる体のやわらかさには違和感をぬぐえないものの、慣れ親しんだジタンの香りに包まれてなまえは薄く嘆息した。

たっぷりとした肉感に呼吸を止められそうになりつつ、随分と可愛らしくなってしまった顔立ちの主を見上げた。
垂れ気味の甘ったるい目元が容貌の愛らしさに拍車をかけていた。
当然かもしれないが、男性の姿のときよりもずっと目線が近い。

「ん? どうした、なまえ」
「わたしの“飼い主さま”はどんなお姿でも素敵だなあと、見惚れていたんです」
「なんのことかわかんないけど、そんなおべっかで抜け出した不行跡をチャラにできると思わないことね、なまえ」
「本当のことなのに……っ、んん」

抱きすくめた女のおとがいを掬い上げ、張がなまえの唇へ口付けた。
互いのたわわに実った豊乳がやわらかくぶつかった。
重なり合った互いの双乳がむにゅりと潰れ、慣れない感触になまえが違和感を覚える間もなく、ふれるだけの唇はすぐに離れた。
肉体だけではなく唇も男性のときのものよりも格段にやわらかかった。

うるわしい女性同士のキスシーンを特等席で見てしまったロックは、キャア! と両手で顔を覆った。
無論、指の隙間からばっちり見ていたが。

「それじゃあ、まあ帰ろうか、なまえ」
「っ、ん……仰せのままに、ご主人さま。それでは失礼します、バラライカさん、ロック」
「良いモノを見せてもらったよ、ご馳走さま、張、なまえ」

葉巻を口の端に添えたままバラライカが愉快げな笑みを投げた。
そんな余裕などないロックは顔を赤らめたまま、なまえを仰ぎ見た。

「なまえさん……」
「ね、ロック、あなたかわたしが目覚めたら、たぶん元に戻るわ。大丈夫、夢オチってそんなものよ」
「そんな無体な……」
「ふふ、それまでは“楽しまなくちゃ勿体ない”って方向にシフトしましょう。お互い、ね」

張に引き摺って連行されながらも、どこか楽しそうに「じゃあね、ロック〜」とひらひら手を振るなまえに、彼も力なく手を振り返した。
「片方の性別が変わっても、あのひとら特に代わり映えしねえな……」と遠い目をしながらふたりを見送った。
勿論、現実逃避だった。



(※第七集巻末おまけマンガネタ年齢操作)


「またこのパターンかって思うだろ?」
「ええ」
「なんと今回は全員記憶がありました!」
「わあ、なんの解決にもならないわね」

いままでと違う! と声高に主張するロックへ、なまえがにっこりと笑みを返した。
そう言う彼女は「ハタチ前後かしら」と首をひねっているものの、大した差異は見受けられなかった。
べてアジア系は顔立ちが変わりづらい傾向があるとはいえ、顔貌のあどけなさが増したくらいで、意外性や変貌っぷりのインパクトは他の面々に比べ微々たるものだった。
レヴィがハッと鼻で笑った。

「なまえも、バラライカの姐御ほど変わりゃあ手ェ叩いて笑ってやったンだけどよ」
「もしくはヨランダさんレベルとか」
「そりゃあロック、望み過ぎってもんだろ。受精卵からやり直させる気か、テメェ」
「逆に年齢が上がるのもアリなんじゃないかって思ったんだよ」
「それじゃタイトルが変わっちまうだろーがよ」

レヴィもレヴィであまり変化が大きくない勢の一員ではあった――いまよりも格段に目付きが悪いという注釈付きでだが。
彼女とあれこれ金糸雀カナリアについてひとしきり論じていたロックは、しかしはたと気が付いた。
俎上そじょうに載せられていた当のなまえが、まったくそれどころではなかった・・・・・・・・・・・ためだった。

「……で、そのなまえさんはなにを」
「えっ、あ、ロック……ええと、なんの話だったかしら?」
「いや別になんでもないッス……」

いつの間にやら会話から脱落して口をつぐんでいた小鳥へ、一応水を向けてみた。
呼びかけられてぱっと細顎を上げたなまえの顔には「まったく話を聞いていませんでした」と書いてあり、ロックは引き攣り笑いを浮かべた。
一事が万事、ずっと彼女はこんな調子なのだ。

日頃の様子をおもんみるに理解できなくはないが、それにしてもこんなに嬉しそうななまえを見るのは初めてかもしれないと、ロックは「彼ら」を眺めた。
平生、奥床しげに一歩引いている小鳥が他人の話も聞かず周囲に花まで飛ばして浮かれている理由、それは、いわく「だってわたし、この年頃の旦那さまにお会いしたことがないんだもの!」。
ふふふ、と甘ったるい陶酔の笑みを惜しげもなく振り撒きながら、飼い主に抱き着いたなまえが首を傾げた。

「ね、旦那さまっ、姐姐お姉ちゃんって呼んでくださいませんか!」
「意地が悪いなあ、なまえ……」
「ああ……お声も随分と若くなってしまわれて……」

うっかり薬物でもキメたのではないかと勘繰るレベルで恍惚トリップ状態の飼い鳥に、なすすべなしと判断したのか、張はされるがまま付き合ってやることにしたようだった。
唯一彼女を御せる彼がそう判断したということはまぎれもなく手の施しようがないのだろう。
万事休す。

爪先を包むスティレットヒールにより少々なまえの方が背が高く見え、ふたりが並んでいるとますます飼い主の若さ、幼さが際立って見えた。
いつもはきっちりと撫でつけられている黒髪が無造作なままであることすら愉悦とばかりに、なまえがうっとり頬をゆるめた。

「はあ……ジタンの香りも硝煙の香りもない旦那さまなんて、貴重……」
「落ちつけ、ショタコンめ。テメェの飛ばすハートがうざったくて仕方ねェんだよ」

とろけた笑みで青年を抱き締めるなまえに、ゲロでも吐きそうなほど歪んだ顔でレヴィが呻いた。
目付きの悪さと相まっていまにも銃を抜かんばかりの凶相である。
もしも相手が小鳥でさえなかったら、一発くらい頭を殴りつけていたかもしれなかった。

「もう、レヴィったら。恋する乙女になんてことを言うの。あとショタコンってもっと対象年齢が低くなかった?」
「ウルセェ、お前は国語の先生か」
「それにもし仮に旦那さまの年齢がプラス二〇歳になったとしても、きっと同じ反応よ、わたし」
「胸張って言うことじゃねえだろ……」

げんなりとした様相でレヴィが吐き捨てた。
処置なし、もうムリ、銃の反動が恋しい、と満面に書いてある。
ラッキーストライクが吸えないのも不機嫌の理由の一端らしく、気忙しげにオイルライターをガチガチと鳴らしていた。
そんな彼らを眺めつつ、ロックは「はー……」と肺の奥底から溜め息を吐いた。

「これ、またオチが行方不明ってパターンか」


(※おまけ)

「旦那さまは、十代後半から背が伸びたんですね……!」
「もうそろそろ飽きる頃じゃないか、なまえ」
「いいえ、ちっとも」

本心からそう言い切ると、旦那さまはもう何度目かわからない溜め息をついた。
溜め息をつくと幸せが逃げるなんて言説を聞いたことがあるけれど、一体、今日だけで幸せがどれだけ逃げてしまったのか、考えるだけでも恐ろしいくらいだ。
代わりに溢れんばかりのわたしの幸福を差し上げることができたらと思うけれど、詮無いことだろう。

「レヴィじゃねえが……なまえもバラライカくらいさかのぼれば可愛げがあったろうに」
「酷いわ、旦那さま。このなまえの姿はご不満ですか」
「まあ、面白みには欠けるわな。その年頃にはもう俺のところにいただろ。十代からこっち、ずっと見てりゃあな」
「それはそうですけれど……。面白みのために、ロリコン疑惑をかけられる可能性をご自分でお負いになります? 絵面がなかなか危ういものになりそうですね」
「お前、口が達者になったなー……」
「ありがとうございます、ご主人さま。あなたの躾が良かったのでしょう」

元のお姿を一等お慕いしているのはいうまでもないけれど、元来甘さの残るお顔立ちが更に愛らしく見えてしまうのだから仕方ない。
ヒールのせいでほんのすこしわたしの方が背が高くて、目線が同じくらいなのも新鮮だった。
いつもなら旦那さまのお顔を見上げなければならないのに。

うっとりと旦那さまを眺めていると、ご本人の方がとうとう飽きてしまったらしい。
見た目の純朴そうな好青年っぷりに見合わない、重々しい溜め息をひとつ吐いたかと思えば、どさりと押し倒された。

「……あれ?」

時系列や人物相関図をまるっきり無視した、背景真っ白不思議空間にいたはずなのに、気付けばわたしたちはふたりっきりで見慣れた私室にいた。
……どうしてここにいるのかしら。
それに他のみんなはどこへ行ったのだろう。
歳浅い旦那さまに夢中で、周りの話をそれはもう完全に聞いていなかった自覚はあるけれど。

だって旦那さまがいらっしゃるんだもの。
わたしなんかよりもずっと血と硝煙に満ちた鉄火場を踏み越えてきたわたしの「飼い主」が。
だから旦那さまのおそばにいるときは、周囲への注意を怠っていたかもしれないけれど、そうはいったって――

「……あの、ええと、旦那さま? どういう状況でしょう」
「どうやら若い頃の俺が随分とお気に召したみたいだからな。お前の期待に応えてやろうかと」
「いえ、わたし、そんなつもりでは……っ、だんなさま!」
「存分に若者の体力に付き合ってくれよ、なまえ」
「ちなみに拒否権は」

ニィ、と口の端を歪める仕草は、見慣れたいつもの旦那さまだ。
とはいえお顔もお声もとっても若々しい。

「あると思うか?」

答えるのも野暮というものだろう、わたしはただ笑って落とされた唇を甘受した。
ジタンの重く沈むような香りのない旦那さまなんて本当に珍しくて、すこしだけ緊張してしまう。
まるで知らないひととのキスみたいではしたなく心音が跳ねた。

いつもよりほんのすこし性急なキスを受けながら、ふとあることに気が付いた。
まさかそんなとは思うけれど、思い当る節がひとつふたつあり、わたしは思わず喉を鳴らしてしまった。
……もしそうならわたしの飼い主さまは、なんて。

「ん、ぅ……だんなさま、もしかして、
妬いていらっしゃるの・・・・・・・・・・? ……ご自分に・・・・?」
「……は、そんな情けない男に見えるんならな、なまえ、俺もいよいよ焼きが回ったってこった。お前の至極満悦なツラは確かに胸に迫るものがあるがね」
「ふふふ……ッ、ん、ぁっ」

口腔の熱さや我が物顔で這いまわる舌の動きは、当然よく知る旦那さまのものだ。
とはいえ煙草の苦い味がしないのがこれほど物足りないものだとは思わなかった。
ずっと、ずっと、わたしにとって「キス」とは苦いものだったから。
年下の旦那さまにふれる、ふれられる喜び、そして倒錯感は堪らないけれど……やっぱりいつもの旦那さまが一番だと思ったと――お伝えするのは、もうすこし後でにしようかしら。


(2019.04.09)
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