「――っは、」

水中に沈んでいるところをバッと引き上げられたかのように、目が覚めた。
ハァ、と大きく息を吐いて、頭に手を当てる。
先程気を失うまで続いていた、耐え難いくらいの頭痛は治まっていた。
心配するように僕の顔を覗き込んでくるハイエロファントグリーンに苦笑を返すと、その場に立ち上がる。

場所が変わっていた。
さっきまで、僕は承太郎の自宅前に居たはずだ。
それが今では、……ここはどこだろう。
整然と並んだ座席。
同じく等間隔に設けられた四角い窓。
その外に見えるのは、真っ青な空。
白い雲が下方に見える。
ゴーッと低いエンジン音が絶えずしていて、ここが空の上で、飛行機のなかにいるのだろうということを察した。
気流の影響か、時折ガタガタと揺れる。
何より異様だったのは、乗客も乗員も、人間が誰一人見当らないということだった。
無人の飛行機はまるで大きな鉄の棺桶のようで、言いようのない焦燥感に襲われる。

ふとある可能性に思い至り、何かが起こった場合すぐに迎撃できるようハイエロファントを出したまま、慌てて機体の進行方向、操縦室へと駆け込む。
音を立てて機内を走る僕のことを、注意や制止する者は誰もいない。
嫌な予感に、背中にじとりと汗が浮かぶのが分かった。
最前部の扉をバンッと大きく開けると、そこは、やはりというか――恐ろしいことに、無人のコックピットが広がっていた。
誰も握っていない操縦桿はピクリとも動かない。
しかし機体は時折気流の煽りを受けて少々揺れはするものの、問題なく飛行を続けている。

――どういうことだ、何が起こっている。
そもそも意識を失うまで、僕は承太郎の自宅の前にいたはずだ。
誰かがここまで僕を運んだ?
なんのために?
それともおかしいのは僕の方なのか?
思考がまとまらずイライラと歯噛みする。
意識が途切れる前に聞いたなまえの声が未だ耳にこびりついている。
彼女や、承太郎たちもこの奇妙な世界にいるのだろうか。
少なくとも、先程聞いたなまえの声は本物だった。
なまえの、彼女の、優しい声。
僕を心配し、悲痛な声を上げていたなまえ。

「……っ、」

――いや、今優先的に考えるべきことは、この無人の飛行機から無事に脱出するための方法だ。
冷静になれ。
なまえや承太郎たちのことを考えるのは大切だが、それが原因で事態が悪化するのだけは避けなければならない。
平常心を失って、彼らを探すことが出来なくなってしまうのは最悪だ。

どうにか脱出できないか、ハイエロファントでこの機体を破壊することは可能かと辺りを見回していると、ふいにコックピットの外で物音がした。
僕以外が立てた音に、勢いよくバッと振り向く。

……その瞬間、窓の外のよく晴れた青空が、ざわざわと夜空へと変貌した。
その変化していく情状は、先程意識を失う直前に見たものと全く同じ。
太陽の光は空に残ったまま、貼り付けたように夜へと変わっていった。
あっという間に星の輝く暗闇へと変わった夜空のなかを、無人の飛行機が不気味に進んでいく。
しかし今、そんなことに構っている暇はなかった。
僕は二度目ということもあってか、幾分か落ち着いてその異常事態を受け入れることが出来た。

深緑色の学ランを翻し、慌てて音が聞こえた方へ向かう。
果たして――客席後方に、ソイツはいた。

「お、お前はッ……!」

そこに立っていたのは、『灰の塔』、タワー・オブ・グレーを操るグレーフライという老人。
立っているといってもその体は血塗れで、今すぐにでも倒れてしまいそうなほどその顔には死相というものが浮かんでいた。
一見して手遅れと瞬時に分かる量の血をまき散らしながら、男は悲鳴や呻き声ひとつ発することなく、無言で床へと崩れ落ちる。
肉と血の立てる、べちゃ、というひどく不快な音が耳に纏わりつく。
広がった惨状は、あの旅で僕が奴を倒した直後の状態そのままだった。

……考えたくなかった、考えることを避けていた可能性を、改めて直視しなければならないことにそこで僕は気付く。
――これは、あの旅を反芻し、なぞっているのではないか。
初めは承太郎の自宅。
それは肉の芽を彼に摘出してもらい、共に旅立つことを決めた場所。
そこからはじまった、エジプトへと向かう旅。
これは、あの五十日をはじめようとしているのではないか。
誰が、なんのために。
僕にこんなことをさせているのか。

無人の飛行機、血だらけの老人の死体、そしてそこに立ち尽くす僕。
整然と並んだ無機質な窓の外では、相変わらずきれいな夜空が広がる。
度重なる異常な事態の連続で、僕の神経は摩耗していた。
異常へ眇める

(2015.07.30)
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