意識が戻って僕がまずはじめに感じたのは、全身を襲う鋭い痛みだった。
まるで身体中を外側から内側から、針で突かれているかのようだ。

「ぐっ……」

特に、頭痛が酷い。
頭の真ん中が破裂するのではないかと疑うような痛み。
呻き声が漏れた。

自然と浅くなる呼吸をなんとか落ち着けるように意識しつつ、周囲を見回す。
ここは、どこだ。
右手側には家屋の塀らしきものが続いていて、僕は今までその横の道に倒れ込んでいたらしい。
ハイエロファントグリーンを瞬時に出して、周りを探る。
今僕がすべきことはパニックに陥ることじゃあない、現状を冷静に把握して対策を立てることが一番の打開策のはずだ。
そう自分に言い聞かせる。
そうでもしないと致命的ななにか愚行を犯しかねないほどに、僕は混乱していた。
ハイエロファントの触脚を伸ばし、周囲に敵や危険を及ぼすものがないか確認して、――そして、愕然とした。

「……どうなってるんだ……」

辺りに敵はいなかった。
危険となるものも。
ただその代わり、生物という生物全ての気配すらもなかったのだ。
そういえば自分のせわしない呼吸のせいですぐに気付けなかったが、人の気配はおろか、鳥の鳴き声も自動車のエンジン音すらも、全く聞こえない。
聴覚がおかしくなったのかとも考えたが、靴底で足元を踏み締めれば、じゃり、ときちんと音を耳が捉えた。
頭上では、のどかに晴れた空が嫌味ったらしいくらいに青々としている。
太陽は頂点から少し外れ、だいたい時間は昼過ぎくらいだろうと予想した。
突然のことにらしくもなく思わずクソッと呟いて、とにかく歩を進める。
勿論ハイエロファントで周囲を警戒しながら。
しん、と静寂ばかりが広がる異様な空間のなか、とにかく他の人間や見知った場所に行き着かないかと、家屋の塀らしきものに沿って進んでいく。
数メートル歩いたところでようやく気付いた。
ここに、僕は見覚えがある。
だってここは、

「っ……!」

そこで薄れかけていた頭痛がまた襲ってきた。
堪らずその場で膝を着く。
奥歯を噛み締ながら、この場所が本当に見覚えのあるあの場所なのか確かめようとしていると、

「――花京院くん、」

声が降ってきた。
それは突然放り込まれた不可解な空間と、今まで耳が痛くなるほどの静寂のなかで、僕以外の発する初めての音だった。
彼女の、なまえの声だ!

「なまえ! 君はどこにいるんだ!」

その声は耳という器官で受け取った音というより、スタンド同士で会話しているときの聞こえ方をしていた。
つまり彼女はスタンドで意思疎通を取ることが出来る、比較的近い距離に現在いるということだ。
意識して抑え気味にしていた感情が、一気に溢れ出す。
なまえに会いたい、顔を見て、直接触れて、無事を確認したい。
その一心で、頭痛のなかなんとか一歩踏み出す。

「だめ、来ちゃだめ! 戻って、お願いだから、花京院くん……!」

もう少しで泣き出してしまいそうなほど、大きく水分を含んだ彼女の涙声。
焦りが募った。
僕を心配して必死に声を上げているなまえの姿が、目蓋の裏に浮かぶ。
なまえ、なまえはどこにいるんだ。

「なまえ!」
「だめ、お願い、」

手を付いて体を支えながら歩いていた塀が途切れ、その家屋の立派な門構えと表札が見えた。
予感が確信に変わる。
一度だけ訪れたことのある、ここは、

「承太郎の家……」

頭痛で滲む視界のなか見上げると、表札には空条という文字が刻まれていた。
家族旅行で訪れたエジプトの地でDIOに出会い、操られ、帰国した後に刺客の一人として、承太郎に戦いを挑み、敗れ、連れてこられた彼の自宅。
ここで僕は植え付けられていた肉の芽を承太郎に取り除いてもらい、彼らの仲間としてエジプトへと向かうことを決意した場所でもあった。

その場にはなまえもいた。
反対するジョースターさんたちに、わたしも同行すると彼女が声を荒げていたのが懐かしい。
結局説き伏せることが出来ず、なまえも共に出発することになったんだが……とその時の彼女の姿を思い出す。
確かに破壊力と射的距離の広さの両方を持つのは、僕のハイエロファントグリーンくらいのもので、そのメンバーにおいてなまえの能力が大きな戦力になるのは疑いようのない事実だった。

もしかしたら彼女や承太郎たちはこのなかにいるのではないか。
そう考え、家の内へ駆け寄ろうとした。

「だめ、花京院くん、戻って、――」
「なまえ!」

そこでなまえの声がぶつりと途切れた。
必死に彼女の名前を叫んだ、その時。

――瞬間、空の端から、夜が、やってきた。
僕が立っている場所の真上を中心として、視界に入る空の四方八方から、夕焼けもなく夜空へと変貌していく。
それは日が西に沈んで、東からゆっくりと暗くなっていくという、ごく当たり前の事象に反する異様な光景だった。
まだ太陽は青空の高いところに位置している。
だというのに、やがて這い上がるようにして面積を増してきた濃い闇夜は、その日射しすらも覆い隠してしまった。
暗い夜空がじわじわと、僕の真上に位置する青空へと侵食していく。
あまりのことに目を見張り、声も出せずにいると、僕の真上の青空は小さな円を残すだけになっていた。
そしてほんの数十秒あまりで、世界は完全な夜になった。
ご丁寧に夜空には星すらも輝いている。
夜特有のひんやりとした空気が、僕の肌を撫でる。
もし先程目覚めたときこの状態だったなら、僕はなんの違和感もなく現在が夜なのだろうと判断していたに違いないくらいに、見慣れた普通の夜だった。

唖然としてその変化を見上げていると、僕の注意を取り戻させるように、ハイエロファントが眼前で大きく動く。
ハッとして耳を澄ますものの、なまえの声はもう聞こえなくなっていた。
幻覚や幻聴を引き起こす類の能力を持った敵のスタンド使いかと、周囲を見回して警戒する。
けれど波のようにうねり悪化した頭痛のせいで視界が明滅し、真っ直ぐに立っていることもままならない。

なまえ、せめて君だけでも無事でいてくれたら。
夜になったものの、街灯もないせいで真っ暗になってしまった異常な空間で、そう願いながら僕の意識はまたも途切れた。
悪夢のはじまり

(2015.06.30)
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