(※「砂糖の花」「トレセ・コンフィズリー」*を踏まえてのおはなしです。先にそちらをご覧になってからお読みください)




吉良吉影は、自分の性質をよく理解している。
例えば、どんなものが嫌いでどんなものを好ましく思うか。
大抵、行動する前にまず筋道を立ててから実行するきらいがあり、平坦な日常を脅かすような想定外のこと、突発的なアクシデントなどは全く望んでいない。
そして、性的な情動を覚える対象は「手」のみであること。
いつのまにかどっぷりと慣れきってしまったとはいえ、この異常すぎる生活空間に居住し、周囲が色々な意味で規格外の人物だらけだったとしても、彼の根幹ともいえる価値観、認識は少しも揺らぐことはなかった。

そういった人間が、もし突然、思ってもみなかった出来事に直面し、酷く動揺した場合。
その混乱から逃避しようと衝動的に欲するのは、ごく自然なことといえた。
衝動的な行為、――そう、そのときの彼の行動は、「衝動」以外のなにものでもなかった。


・・・



「――あッ、んんっ……! ひあぁっ、あ、んぅっ、き、吉良さんっ、きもち、いいですっ」

楚々とした相貌をとろけた恍惚の笑みに染め、なまえが甘ったるい嬌声をあげる。
とろとろにこなれた膣奥を硬い肉竿で突かれるたび、陶酔の涙をぽろぽろ溢れさせた。
喜悦にゆるんだ頬はあえかに紅潮している。
瞳で、表情で、声で、その身全てを使って、どっぷりと快楽に溺れきっていることを訴えかける。
そしてなまえ自身は意識していなかったが、加えて、己れを抱く男を更に昂らせようと、雄を咥え込んだ膣襞は狂おしくきゅうきゅうと収斂していた。

「は、あ、なまえ……」

吉良は低くかすれた声で、彼女の名前を呼ぶ。
そのたびになまえは嬉しそうに、濡れた双眸に滲んだ欲深い色をますます濃くする。
そんな彼女を前にして、吉良はなまえを組み敷いている間中、強い既視感を抱いていた。
――これを既視感と言わずして、なんと表そうか。

物心ついてからというもの、彼にとってあくまで「手」こそが性愛の対象だった。
顔貌の美醜や性根の清濁に――もちろん優れているのに越したことはないものの、とりたてて固執してはいなかった。
手さえ整っていればそれだけで彼は惹かれたし、ここ最近はもっぱらなまえの手指を育て管理し、美しく保つことに無上の喜びを覚えてきた。
それはこうしてなまえの肢体を貪るようになってからも同じで、「美しい手」の付属品としてなまえを愛おしく思っているのか、あるいはなまえという人間に対して欲望を抱いているのか、よく分からなくなることがあった。

はあっ、と胸奥に溜まる澱んだものを捨てるように深く息を吐く。
既視感の正体、それは、どうやら自分は手指のみならず、なまえという女に興奮しているらしい片鱗を自覚した、あのとき。
他の男に抱かれ、淫らな欲望にとろけたなまえの「顔」のみを、偶然ちらりと目撃した際、ひどく昂ぶり、劣情を覚えてしまったあの出来事。
あのときに覚えた感覚のせいで、強い既視感に襲われているらしかった。

「っ、きらさん、はあっ、は、どうしたんですか……?」

荒い呼吸の合間、濡れた双眸を揺らしてなまえが不思議そうに見上げてきた。
行為の最中だというのに、どうやら自分は思いの外深く物思いに沈んでいたらしい。
吉良は、快楽で鈍くなった理性を意識の片隅でうっすら自覚しつつ、目を瞬かせた。

見下ろせば、この上なく淫蕩にとろけたなまえの表情。
薄く開いた唇はどちらのものか分からない唾液でぬらぬらと光り、その奥には赤い舌が覗く。
夜色の瞳は彼だけを一心に見つめ、甘く潤んでいる。
男を知る特有の悩ましさを備えた細腰が、ねだるようにゆるゆると揺れた。

――衝動的な、まるで、発作のようなものだった。
まともな思考は、手放しつつある理性のせいで働かないまま。
殆ど無意識の行動だった。
気付けば、彼の両手は、快楽によって反りこれみよがしにさらけ出されていた細い首に伸びていた。

「ッ、……ッ、きら、さ、んっ……! ぁ、ぐ……」

上気し汗の浮いた首に、ぎりぎりと音を立てて指が食い込む。
突然の暴挙に、涙を湛えていたなまえの双眸が大きく見開かれた。
虹彩がどろりとぬかるむように鈍く光る。
強い圧迫のためだろう、手足が痙攣するように大きく跳ねた。

それは衝動に他ならなかった。
吉良という男をかたちづくってきた根幹。
これまでの人生において「自分はこういう性質の人間だ」と、疑いようもなく認識してきた自らの存在、アイデンティティを酷く揺るがせるような想像の埒外に遭遇し、動揺する自我を保つのに必要な、いわば、自己防衛のための行為といっても過言ではなかった。
そう、これは自己防衛だ。

そうして自分の行動を正当化する言い訳めいた思考が脳裡に浮かんだのは、彼女の白い指先が抵抗するように手首に触れたときのことだった。
それまで自分は両手の力を緩めることなく、一心不乱に彼女の首を絞め続けていたらしい。
血の気を失った白い手に触れられ、一瞬、男の手が怯えるように痙攣した。
吉良の知るなまえのものよりもいくらか冷えた手に触れられると、まるで冷水を浴びせられたような心地がした。
しかし混乱の極みにある彼の手はそこから離れない。
神経質に指先が時折ふるえることはあっても、絞首の力が緩むことはなかった。

「ぐ、……ッ、ぅ」

そっと触れることすら躊躇われるような、なまえの愛らしい唇から、血の滲むようないたましい呻き声が途切れ途切れに漏れ出る。
鬱血した顔は苦悶に歪み、濡れた瞳は焦点を上手く結ぶことすら困難なようだった。

数十秒、もしかしたらほんの数秒たらずのことだったかもしれない。
とはいえ、時間が経つにつれ一層冷たさの増すなまえの手は、依然として彼の手首を掴んでいる。
――否、違う、これは掴んでいるというより、寧ろ、

「なまえ、」

吉良自身が念入りに手入れをしてきたなまえの爪が、彼の手首に突き立てられることはついぞなかった。
彼女の手からは、力ずくでも止めさせようとする気はおろか、そこから逃げたいという当然の意思すら微塵も感じられなかった。
冷えた手はまるで愛撫するかのように、血管が浮くほど緊張した吉良の手首に優しく添うだけの動きしか見せず、それが更に男の混乱を増幅させていた。
なぜ、彼女は抵抗しないのか。
なぜ、揺れる瞳には嫌悪や拒絶の色が、ちらとも浮かんでいないのか。

握り締めた吉良のてのひらには、どくり、どくり、と必死に酸素を巡らせようとする血流の感触が生々しく伝わる。
細い首に指が食い込む。
そしてまるで異常な息苦しさに連動するように、肉竿を咥え込んだままの濡れ襞は、ぎゅうぎゅうと収斂を強くした。

なまえの視界は明滅し、溶けるような思考はふわっとした浮遊感を引き起こしていた。
それでも、彼が体重をかけるように前傾姿勢を取ると、自然に、ぐ、と奥深いところを突かれ、強烈な喜悦が否応なしに彼女の肉体を襲う。
か細い肢体がびくびくと痙攣するのは、欠乏した酸素によるものか、快楽のためなのか、あるいはその両方によるものか。
絞首の間中、なまえは大きく滾った怒張で胎内をめいっぱい満たされる充足感に酔いしれていた。

――そして、なんの意図も前触れもなく突発的にその暴挙が始まったように、やはりなんの前触れもなく、突如終わった。
なにがきっかけだったか分からない。
はじまりに意味がなかったように、終わりにも明確な理由などなかった。

突然酸素を取り込めるようになったなまえがげほげほと苦しげに咳き込む。
必死に呼吸を繰り返していると、少女の顔には微かに赤みが戻ってきた。

そんな痛ましげな彼女を前にして、吉良は糸が切れたようにだらりと両腕を身体の横に垂らした。
一見して虚脱状態のようだったが、収斂を繰り返す媚粘膜に埋め込まれた陰茎は萎えるどころかますます熱く硬く質量を増していた。

「……っ、えぅ、ふ……きらさん、っ、はあっ、だいじょうぶ、ですか」

手加減なく絞められた咽喉が痛むのか、ひゅ、と僅かに耳障りな呼吸音が漏れる。
突然不可解な暴挙に襲われたにも関わらず、なまえはなんとか呼吸を落ち着かせようと胸を大きく上下させながら、小さく笑みすら浮かべて吉良を見上げた。

――なぜ、彼女は微笑んでいるのか。
理解できないことが矢継ぎ早に発生し、彼は考えるという行為を殆ど放棄しつつあった。
思考して何になるというのか。
彼女は全てを許すようにやわらかく微笑んでいる。

甘えるように両手で頭を引き寄せられ、吉良はしっとりと汗の浮くなまえの首筋へ顔をうずめた。
必死に酸素を全身に運ぼうと相変わらずなまえの心臓の音がどくどくと大きく鳴っていたが、もしかしたらそれは彼の心臓の音だったかもしれない。

「ね、きらさん」

微睡むようにとろりと潤んだ少女の瞳が笑みの形にたおみ、溺れている。
汗の浮いた瑞々しい柔肌が一層なまめかしく匂い立つ。
よく知るなまえの美しい手が、誘うようにゆるやかに彼の頬を撫でた。

なまえはその細い首にくっきりと手痕を刻んだまま、うっとりと微笑む。

「もっといっぱい、きもちいいの、ください」

きみのくびをしめたい
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