(※20000hit企画「秘する病みを花と呼べるか」の続きで、「もし夢主洗脳済み、闇堕ちしてしまったら」というifです。先に「花惑い」「花霞み」「花沈み」「花歪み」をご覧になってからお読みください)
(※ifです! 大事なことなので2回ry)

(※流血や欠損等の描写がありますのでご注意)




「なまえさん、ただいま」
「あ、おかえりなさい、ドッピオくん」

買い物から帰宅すると、ボスと一緒に迎えてくれたなまえさんが微笑んだ。
ボクたち三人以外に人影はなく、どうやら珍しく他のみんなは出かけているようだ。

「いい天気だね! 秋の空ってこんなにきれいだったっけって、驚くくらい」

窓から離れたところに座ったまま、外を伺うようになまえさんが首を傾げる。
このところ暑すぎず寒すぎず穏やかな気候が続いていて、雲もなく空は青く高く澄んでいる。
窓から吹き込む穏やかな風がなまえさんの夜色の髪を静かに揺らす。
なまえさんは目を細めて再度、いい天気、と小さく呟いた。
直射日光を浴びなければ大丈夫とはいえ、半分吸血鬼の体で外に出られないなまえさんにとって、「外」というものは部屋の窓から眺める程度のものでしかなくなっていた。

ボスを抱き締めているなまえさんの隣へ座る。

「ボスはどうですか?」
「もう大丈夫だと思うよ、たぶん時間的にももうすぐ目を覚ます頃じゃないかな」

血だらけのボスを抱き締めたまま、なまえさんが苦笑する。
そのやわらかそうな頬にも細い首にもべったりと血液がついていて、きれいだなと思った。

今日の死因はなんだろうか。
弛緩したボスの体を注視していると、長いブーゲンビリア色の髪に隠れていて気付きにくかったものの、どうやら首の骨が折れてそれが皮膚をつき破ってしまっているらしいことが見て取れた。
色の変わった骨が、細かい肉片をこびり付かせたまま髪の隙間から覗いている。
まるで内臓でもぶちまけたかのような血の海具合にもっと酷い傷を覚悟していたけれど、ぱっと見て外傷はそれだけのようだった。

「そう」なってしまってからそれほど時間は経っていないんだろう。
噎せ返るような血のにおいは充満しているとはいえ、まだ微生物によって蛋白質が分解されるにおい、腐敗臭は嗅ぎ取れなった。
そもそも腐敗がはじまる前にボスは生き返る(という表現が正しいかは分からないけれど)のが常で、なまえさんの言葉通りそろそろ目を覚ましても不思議ではなかった。

「それにしても困ったねえ、みんなが帰ってくる前に掃除しなきゃ……」

血溜まりのなか、なまえさんは苦笑しながらボスの体を抱き締める。
当然なまえさんの服も血と細かい肉でひどく汚れている。
骨が折れるのと同時に腱も断裂してしまったらしく、ぐらぐらと不安定なボスの頭を肩に乗せ、抱き締めているなまえさんの全身は殆ど血塗れだった。
ボクが外出する前までの彼女の服装を思い返す。
本来の服色が残っている部分は極めて少ないけれど、確か元は淡いレモンイエロー色のブラウスだったはずだ。
握るだけで簡単に滴るくらいに血に浸されたこの服は、きっともうどんなに洗濯しても元には戻らないだろう。
なまえさんの体にもおびただしい量の血液が付着していて、まるでふたりして血の沼に飛び込んだばかりみたいだと思った。

やわらかく丸い頬に血と一緒に髪がはり付いている。
手を伸ばしててのひらをすべらせるようにして髪をはらうと、ボクの手にもべったりと血液が付着した。
なまえさんは目を細めて気持ち良さそうにしている。
甘えるようにボクのてのひらに頬を擦り寄せた。
その仕草が胸が苦しくなるほどいとおしくて、自然と口角がゆるんでしまう。

「――……こうしてるとね、ディアボロさんの体がだんだん冷たくなっていくの。心臓の音も小さくなって、名前を呼んでも返事をしてくれなくて」

それが寂しくてこわくて死んでしまいそうだったんだけど、ドッピオくんが帰ってきてくれて良かった、となまえさんは微笑んだ。
肘の少し先から切断されて不自由な腕で、一層強くボスの体を抱きすくめる。
どうやらボスが死んでいくのを、こうして抱き締めてじっと見つめ続けていたらしい。
そのあいだなまえさんが何を考えていたのか分からないけれど、たぶん「こわくて死んでしまいそうだった」という言葉は比喩でも誇張でもなくただの事実だったんだろうなとははっきりと理解できた。

なまえさんは薄く微笑んだまま、聞こえるはずのないボスの心音に耳を澄ませるようにそのまま目を閉じた。
夜色の虹彩を隠した目蓋は白く、赤色とのコントラストが堪らなくきれいだと思う。

――そのとき、がくりとボスの体が揺れた。
なまえさんは嬉しそうに表情をゆるませて、首元にうずめられたボスの顔を覗き込もうとする。
ボクも同じく床へ膝を着いてボスに近寄り声を掛けた。
ぐちゃ、と音を立てて服が汚れたけれど、ボスの血なのだからまったく気にならないうえ、ボスやなまえさんと同じように汚れることに喜びすら覚えた。

「……っ、は、」
「おはようございます、ディアボロさん」
「大丈夫ですか、ボス」
「ん、……ああ、なんとかな」

なまえさんの腕のなかでボスが目を覚ました。
死人の色を濃く残した澱んだ瞳。
どろりと濁った目を二度三度またたかせた。
次いで、胸奥にわだかまった重たいものを吐き出すように大きく溜め息を吐く。
慈しむようになまえさんが首元へうずめられたボスの頭へ頬擦りすると、ボスは血だらけの手でなまえさんの後頭部を引き寄せて口付けた。
抵抗する理由も方法も持たないなまえさんは大人しくそれを受け入れた。
まるでいままで冷たかった体温を取り戻すかように、奪うかのような激しいそれに、なまえさんは肘から先のない華奢な腕をぐらぐらと揺らめかせる。
ボクはその間、以前なまえさんが「手がないのは別に不便じゃないけど、しっかり抱き締められないのは少しだけ寂しいですね」と言っていたのをぼんやりと思い出していた。

――ようやく、ボスの気が済んだらしい。
上体を離すと、解放されたなまえさんはぐったりと体を投げ出した。
ボスに抱き締められたまま、なまえさんは潤んだ瞳から涙を追い払うようにゆるやかにまばたきを繰り返す。
改めて周囲の惨状を見回して、もう、と頬を膨らませた。

「……これ、掃除するの大変ですよ……。ディアボロさん、どうせならあまり周りが汚れない死に方をしましょうよ」
「無理を言うな。そもそも好きで死んでいるんじゃあない」
「そりゃあそうでしょうけど……。あ、片付けるの、ドッピオくん任せじゃなくて、ディアボロさんも手伝わなきゃだめですからね」

それを聞いてボスは顔をしかめたけれど、なまえさんに、ね? と念を押されれば渋々頷いた。
ひとひとりの命なんて些細なものだし、自分の気に入らない存在があれば排除すれば良いとボスから教えられたとはいえ、ボス本人は(ボクも同じくだけど)とびきりなまえさんだけには甘い。

「うーん……掃除もですけど、血が乾いてぱりぱりするし、お風呂にも入らなきゃだめですよねえ……」

そんななまえさんは、自分の体を見下ろして残念そうに呟いていたけれど。

「……折角ディアボロさんのにおいでいっぱいだから、わたしはこのままがいいのに」

眉を下げて、口を尖らせて不満げに言う。
完全に血が主食という訳ではないなまえさんでも、やっぱり血液に対する執着はある程度存在しているようで、名残惜しいと言わんばかりの表情を浮かべていた。
突き出されてぷっくりとした唇が、血に濡れてぬらぬらと光っている。

まるで小さな子供のような仕草が堪らなく可愛らしい。
思わず切断されたなまえさんの腕を引き、衝動的に唇へ口付けていた。
当然だけれど、なまえさんの唇からはボスの血の味がした。
大好きななまえさんの口腔からボスの味がする。
そのことに対して頭の奥がどろどろに溶けてしまいそうなほどの多幸感を覚える。
夢中でそれを味わった。

――ふいに、そこになまえさんの味が混ざればもっと良いんじゃないか、と気付いてはっとする。
その思い付きは途方もなく素敵なことのように感じられた。
思い付きはすぐに明確な欲求となり、妄執と呼んでも差し支えないほどの強迫観念でもってボクの脳内、体中で暴れた。
なまえさんの腕をつかんでいる手がふるえる。
衝動のままに絡む舌へ歯を立て、ぐじ、と噛めば、なまえさんの肩がびくっと跳ねた。
口のなかに新しい血が溢れる。
なまえさんの口腔で温められたボスの血と、流れ出たばかりのなまえさんの血と。
それがボクの口のなかで混ざる。

「はっ、ふ、ぅあ、なまえさん、なまえさん……」

強烈な歓喜が肉体をはしり抜けた。
爛れるように熱い血液が体中を満たし尽くすような錯覚で、眩暈がする。
目を薄く開けば、なまえさんの顔は恍惚でとろりと潤んでいまた。

やっと満足して唇を離せば、血塗れのなまえさんは口角をゆるませて笑う。
駄々をこねる子供をあやすように困ったような顔で、でも限りなく優しく、底無しにいとおしそうな表情で。

「……気は済んだか、ドッピオ」

繰り返されたキスのせいでくたりとしているなまえさんを抱き、ボスが立ち上がる。
ボスも全身血だらけだしふたりで風呂に入るつもりなのだろう。
……戻ってくるまで時間がたっぷりかかるだろうな、ということはすぐに察することが出来た。
たぶんその推測は間違っていないだろう、未来を見るためのボクのスタンド、エピタフを使わなくてもそれははっきりと明らかだった。

「はい、ボス。……なまえさんに無理をさせちゃダメですよ」
「……え、無理ってどういう……、あっ! まさかとは思いますけどディアボロさん、お風呂でいやらしいことするの無しですからね! はやくここ掃除しなきゃいけないし!」
「……ドッピオ」
「後は任せてください、ボス」

にっこり笑顔で即答すれば、ボスは満足そうに笑みを深めた。
それとは対照的に、抱き上げられたなまえさんは呆れた表情で溜め息をついている。

「……あーもう……ちゃんとディアボロさんも片付け手伝わなきゃだめって言ったのに……」

ごめんね、と謝られる。
なまえさんが気にすることなんて何もないのに。
ボクが心からしたくてしていることで、ボクたちがいないと生きていけないなまえさんを見ているだけで、暴力的なまでの歓喜と充足感でずっと息が出来ないくらい幸福だというのに。
いっそいつかその細い首を握り締めてしまいたくなるんじゃあないかと静かに危惧しているくらいに。
微笑したまま、いいえ気にしないでください、と返した。

お前をきれいにする手伝いはこれからするだろう? とボスは笑って、なまえさんの目元へ口付ける。
口をへの字に曲げていたなまえさんも、ちゅ、ちゅ、と繰り返される軽いキスに、次第に怒った顔を保つのが難しくなってきたらしい。
もう、と嘆息しながらゆるゆると苦笑して、力を抜いてボスの首元へ顔をうずめた。

ボスとなまえさんが微笑んでいると、簡単にボクまで幸せになれてしまう。
胸の奥がじくじくと焼け爛れ膿んでいくような幸福感に、そっと息を吐いた。

なまえさんの淡い桃色だったはずの唇は相変わらず血だらけで、息を飲むほど赤くてきれいだった。

孰れ花は軋み
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