どうしてこんなことに、となまえは上手く回らない頭でぼんやりと考えた。
ここに来てからというもの、そう感じることが多くなったような気がする。
きっと気のせいではないだろう。
思考能力が著しく低下するような事態に陥ることなど、それまで普通に日常生活を送っていた彼女にとって当然めったにないことだったが、時間をかけて拓かれた身体は正常な思考よりも目先の快楽を優先するようになっていた。

潤んだ視界のなかぱちぱちとまばたきをする。
それをきっかけに、つ、と伝い落ちた涙を冷たい舌先で拭われ、なまえは腰辺りにぞくぞくっと痺れのような快感を覚えて微かにふるえた。

――どうしてこんなことになったんだっけ。
なまえは先程まで抱いていた疑問をまたおぼろげに反復した。
確かきっかけは、つい数十分前彼女が帰宅すると、住人の吸血鬼とその友人である神父がいつものように語り合っていたのが発端だったように記憶している。
カーテンはしっかり閉め切られており、だから部屋が暗かったのか、と、なまえは特に気にすることもなかった。
普段通り部屋着に着替えようとしたところで、それを中断させてDIOが彼女を手招いた。

「うん? どうしたんですか?」

なまえは特段興味もないうえ、仮に聞いたとしても理解できないことは重々承知していたので、いままで彼らふたりの会話に加わることはなかった。
そのためどうしたのかときょとんと首を傾げた。
そのとき深まった吸血鬼の微笑に、少しも猜疑心を抱かなかったなまえが悪いのだろうか。
なんの疑念もなく無垢にその手へ自分の手を重ねると、無遠慮にぐいっと腕を引かれた。
なまえは驚きの声を発する暇もなく、すぐに桃色の唇はDIOの冷たい唇によって塞がれてしまう。
なんの脈絡もない唐突な状況に彼女が目を白黒させていると、いつの間にか逞しく太い腕で息が出来なくなるほど力強く抱きすくめられていた。
思いがけない事態に、早くも酸欠気味になりつつある頭を必死に巡らせるものの、低い体温もなめらかな肌も、慣れ親しんだ香りも動きも、なまえの抵抗を鈍らせるには充分すぎるほどの威力を持っていた。
やけに自分の心音が騒々しく聞こえ、少女はそのやわらかな胸を大きく上下させて息を吐く。

「っ、ぷはっ……! っは、DIOさんっなんなんですか突然!」
「おかえり、なまえ」
「プッチさんただいまです……っじゃなくて! なにプッチさんも平気な顔してるん、――っんぐ、っ、ぅ、……んんっ!」

平然といつものように微笑した神父に食ってかかろうとしたところで、後ろから吸血鬼に抱き戻された。
後頭部に硬い胸板がぶつかる。
そして騒ぎ立てるなまえを黙らせるためか、DIOはあろうことか指を彼女の口内に突っ込んできた。
なまえは親指で頬を、薬指と小指で顎を固定され、人差し指と中指をその小さな口腔に否応がなしに含まされる。
舌を二本の指でゆるく挟まれ、言葉を紡ぐことすら困難になってしまう。
あまりのことに必死に両手で拘束を解こうとするものの、彼女のか細い腕でなにが出来るだろうか。
唾液を上手く飲み込むことが出来ず、だらだらと口の端からこぼれた。
それが嫌で仕方ないのに、口内の異物を感知して、なまえの意思とは裏腹にますます唾液は分泌されてしまう。
懸命に腕を振りほどこうとするものの突然の出来事に頭は追いついておらず、粘膜を掻き回され呼吸すらもままならない。

「っふ、……は、ンくっ、っ、やぁっ、でぃおさ、ん、んッ」

頭がふわふわする。
酸欠のせいだけではないだろう。
気付けばなまえは抵抗する力も意思も失せ、睫毛を伏せてただぐったりと四肢を投げ出していた。

――そしていまに至る。
回想を終了したものの、依然状況が変化することも、どうしてこうなってしまったのかという原因が判明することもなく。
なまえは時折ぴく、ぴく、と身体をふるわせる以上の動きも取ることが出来ずにいた。

「すまないね、なまえ。私がDIOに君のことを尋ねたばっかりに……」
「プッチ、君が謝ることはないさ」

いや何があったか知らないけど、とりあえずDIOさんは謝れよ。
まともな思考を殆ど放棄していたなまえだったが、それだけははっきりと胸の中で呟いた。
今や溢れた唾液は首筋まで垂れ、洋服まで汚している。
なまえがべたつく不快感に眉を顰めると、眼前のプッチは申し訳なさそうに苦笑して彼女の赤く染まった頬を撫でた。
そういえば彼には自分の顔がよく見えているのだと思い至ると、改めて羞恥が増す。
嫌々とゆるく頭を振るものの、後ろで彼女を抱き締める吸血鬼がその手を緩めてくれることはない。
普段よりも強い羞恥に駆られているらしい彼女に対して愉しげに笑ったかと思えば、DIOはなんの躊躇いもなくなまえの項の下、首の付け根辺りにがぶりと噛み付いた。

「――ひっ、ぅ、痛っ……!」

鋭利な歯を立てられ、ぶつ、と浅くとはいえ皮膚を破られた。
じゅ、と液体を吸う音と、そこを舐める舌の動きで、血液が滲んでいることを知る。
鋭い痛みになまえはとっさに口内の指を噛んでしまった。
それを咎めるように、彼女の唾液にまみれた指が喉奥を突く。
苦しい圧迫感に襲われ、なまえは更に涙を溢れさせた。
しかし彼女の口腔は開発され既に立派な性感帯のひとつと成り果てていたせいで、その苦痛にすら、少女は表情を淫蕩にとろけさせた。
そこに突っ込まれ続けていた吸血鬼の冷たい指は、いつの間にか彼女と同じ温度になっていた。

「ぅ、くっ、ふ……っ、んむ、」

じゅるじゅると下品な水音が耳元で響く。
痛みで霞む視界のなか、なまえは何かを探すように、縋るように、眼前の男に手を伸ばした。
それは殆ど無意識の行動だったが、寄る辺なくゆらゆらと揺れていた手をプッチが優しくぎゅっと握ってやれば、なまえは悦楽にとろけた顔に幼い子供のような安心した笑みをうっすら浮かべた。
それがどれだけ男を煽るとも知らず。

「ふふ、なまえ……」

プッチにとってとても大切な少女は、日頃の爛漫に笑う清楚さからは到底想像することの出来ないほどに、濃密な色香を纏っていた。
あどけない容貌は淫らに火照り、助けを求めるように必死に自分に縋りついている。
痛みや喜悦を覚えるたび、きゅ、と手を握る力が弱々しく増すのが、また途轍もなく愛らしい。
思わず声に出して喜色を表してしまった。

そんな彼に相対するなまえは、ゆるゆるに弛緩した思考のなか、目の前の男がひどく嗜虐的な笑みを浮かべていることに気が付いていた。
いつもは慈愛に満ちた穏やかな瞳が、熱くぬめるような激しい色を滲ませて自分を見ている。
ぞわりとなまえの背筋を何かがはしった。
至近距離でそんな目で見つめられたら。
自分を這いずる視線、それにすら面映ゆいくすぐったさと興奮で、しっとりと汗の浮かんだなまえの極上の柔肌がぞくぞくと総毛立つ。

「どうした。いつもより興奮しているようだが、プッチに見られるのがそれほど気に入ったか?」
「……んっ、ち、ちが……あっ、ふ、そこれ、しゃべら、ないれ、くらさいっ……!」

項に唇を触れ合わせたまま、どっしりと重く響く声で囁かれる。
声なんてただの音だというのに、まるで直接肌を淫猥に擽られているようで、反射的に脚がふるえた。
それを指摘するようにDIOが肉付きの良い太腿をなぞれば、彼女を襲う疼きは更に腹奥にも堆積していき、なまえは甘い吐息を悩ましく漏らした。

「……思った通り、本当に愛らしいね」
「君はこれで満足かい?」
「ああ、勿論。ありがとう。それにしても君がなまえの血を吸うところが観てみたいだなんて……ふふ、我ながらまったくどうしてそんなことを思ったんだか……」

――おいこの状況、プッチさんのせいか!
本日二度目、なまえははっきりと胸の中で呟いた。
どんな会話をしていたらそういう思い付きが生じてしまったのか問い詰めてやりたいが、声をあげて彼らふたりを非難したくとも、彼女の愛らしい唇には未だ男の太い指が挿入され言葉は封じられたまま。
長い時間好き勝手に弄ばれていた口腔は痺れ、顎はだるくなっていた。

諸悪の根源である神父は、敬愛する吸血鬼に乱されているなまえをうっとりと見つめている。
その顔を睨み付けてやりたいが、既に理性的な思考能力は遥か彼方に追いやられ、少女はとろとろと悦楽に溺れかけていた。
プッチは常から慈悲深い表情ばかり浮かべている顔に到底不釣り合いな嗜虐的な笑みを、一層深める。
吸血鬼に捕らわれている少女の頬に、褐色の手を添わせた。
なまえは上気した真っ赤な頬を、する、と愛おしむように撫でられた。
その行為は何もかも忘れてしまうほどにひどく優しく、身体を襲う直接的な痛苦に苛まれていたなまえの意識は瞬く間に搦め取られる。
少女が縋るように媚びを含んで彼に擦り寄れば、彼女の柔肌に喰らいつく吸血鬼が鬱蒼と微笑したのを、神父だけが視認していた。

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