午後3時をまわったあたり。

クーラーのきいた室内は驚くほど快適だ。
手にした雑誌をローテーブルにばんっと置き、徐倫が声を上げた。

「じゃあ海行くわよ!」
「……謹んでお断りさせていただきたいです」
「どうして!」

ずいっと徐倫の整った可愛いお顔が、目の前に迫ってきた。
分かりきっていることだけど、本当にきれいな顔をしているなあ。
改めてしげしげと眺める。
わ、まつげ長い。
こんなに可愛らしい容貌をしていて、これで中身は正義感あふれる男前なんだから、神さまは本当に不公平だと言わざるをえない。
非の打ちどころが1つや2つくらいあったって良いと思うんですけど、ねえ、神さま。
そんなことを大真面目に考えて黙ったままのわたしを前に、不思議そうに徐倫が首を傾げた。
あーもう、その表情もほんっとに可愛い。

「……ごめんね、徐倫があんまりにも可愛くて見惚れてた」

えへへ、と笑いながら事実を告げる。
不思議そうな顔から、一気に機嫌の良さそうな笑みへと表情を変えた徐倫は、「ひとの話はちゃんと聞いて、返事しなさいよね」とわたしの頬をつついた。
……神さま、不公平だなんて文句言ってごめんなさい、この子を存在させてくれてありがとう……!
なんてカワイイんだ、と感動しているわたしを余所に、クッションを手に取った徐倫は「それで?」と答えを促した。

「なんで海に行くのそんなに嫌がんのよ」
「うっ」

ジョースター家にお邪魔して、いつものように徐倫のお部屋でのんびりしていたら、手にした雑誌が事の発端だった。
夏だから当然といえばそれまでなんだけど、誌面を大きく割いていたのは水着の特集だった。
水着。
……うん。
見る分には全然構わないんだけど、と、口をもごもごと躊躇わせる。
……あ、この貝殻みたいなデザイン、スカラップシェルビキニ? 徐倫に似合うだろうなあ。

徐倫の趣味ではないだろう日本国内向けの雑誌が、この部屋に以前よりも増えた気がするのはわたしの自惚れだろうか。
そう思うとひとりでに頬がゆるんでしまう。
それなのに彼女の質問へ正直に答えられない自分に対して、少し歯痒さが募る。
たくさんの可愛らしい水着が誌上で踊るページを、指先でぺらりともてあそんだ。

「うーん……あの、わたし、水着持ってないし」

嘘じゃない。
こっちへ来てからプールにも海にも行く機会がなくて、水着を買う必要もなかった。
わたしの言葉に、徐倫が首を傾げる。

「そのぐらい買ったげるから」
「いや水着って結構高いし!」

なんで水着って布面積があんなに小さいのに値段は高いんだろう……じゃなくて、どうして徐倫は不思議がって首を捻っているんだ。
これだからお金持ちは!

「気持ちは嬉しいけど、さすがに買ってもらうことなんて出来ないよ」
「ンなこと気にしなくて良いのに……。あ、じゃ、代わりにあたしと一緒に海に行ってよ。そのワガママ聞いてくれるお礼にってことで」

それならまあ……って、いやいやいや、なにがお礼!?
むしろ徐倫と一緒に海に行けるなんて、どう考えてもご褒美だよね?
水着姿の徐倫まで拝むことが出来たら、それは間違いなく夏の素晴らしい思い出トップ3位以内にランクインする出来事だよね、うん、断言できる。

どうしよう、えっと、と、うろうろ目線をさまよわせる。
言葉少なに渋るわたしにとうとう痺れを切らしたのか。
徐倫が口を尖らせた。

「……それともなまえは、あたしとどっか行くのがそんなにイヤ?」
「そんな訳ない! 絶対にない!」

驚いて、飛び上がらんばかりに即答する。
わたしは徐倫と一緒にいるのがこんなに楽しいのに、彼女にそんなふうに思わせてしまったことが悔しい。
わたしの勢いに徐倫は目を丸くした。
そして次の瞬間、嬉しそうにぱっと笑顔になる。
うっ、可愛い……!
今日何度目か分からない感想を抱きつつ、上げかけていた腰を下ろした。

なんと説明したものかと指先で手元にある雑誌のページをなぞって、口を開きかける。
わたしだって徐倫と海に行きたい。
うだるような暑い日が続くこの季節、それはきっととっても楽しい。

それでも簡単にイエスと答えることが出来ないのは。

「……あのね、徐倫。ずっと言おうと思ってたんだけど、」

最初はタイミングがつかめなくて。
その後は言う必要もないだろうと先延ばしにしていて。
いつの間にかなんとなくずるずると黙ったままにしていたけれど、これが良い機会なのかもしれない。

ずっと言いそびれていた。
わたしが荒木荘に住んでいること。
ジョースター家の敵だったひとたちと一緒に暮らしていること。
――水着を着るのを躊躇うほど痕が付けられたわたしの身体と、……一般的に見れば、おかしいかもしれない、彼らとの関係。
それらを後悔も嫌悪もしていないけど、だけど。

……もしかしたら徐倫やジョースターのみんなに軽蔑されちゃうかもな、なんて。

そう考えると、喉の奥で何かがつっかえたような感じを覚えた。
言いよどんで小さく下唇を噛む。
でも、いい加減伝えなくちゃ。

ひと呼吸、ふた呼吸。
意を決して口を開くと、

「……悪いわね、なまえ、ちょっとストップ」
「っ、え?」

いつになく真剣な表情の徐倫が(後にして思えばあれはただ単に呆れていただけかもしれないけど)、立ち上がって静かに部屋のドアへ近寄っていく。
え? え? 外に出るの?
突然の行動に、どうしたの、と、声をかけようとしたところで、徐倫がガチャリとドアを開けた。

「……なにしてんのよ、アンタたち」
「あ〜……さっすが徐倫サン、バレちゃった?」
「バレバレよ、馬鹿」

ドアの向こうには、手前からジョセフとジョルノと、……ほとんどみんないるじゃないですか、なんでいるのことひとたち。
承太郎は学帽を目深に引き下げながら、「おれは止めようとしていただけだ」と目を逸らしていた。
覗く顔がうっすら赤いように見えるのは、わたしの気のせいですかね、承太郎さん。

ジョナサンを除いた全員が勢揃いしているせいで、廊下も徐倫の部屋も広いはずなのに、さすがに圧迫感は否めない。
ぱちくりとまばたきをすると、目が合ったジョルノが爽やかに微笑みながら部屋に入ってきた。

「なまえ、僕は白のワンピースが似合うと思います」
「……うん?」
「あっ、ジョルノずりぃ! なまえ、オレはチューブトップがイチオシ! 色はブルーな!」
「……ごめん、なんの話?」
「水着よ水着! なまえちゃんが着てくれるんなら、いくらでも買ってやるよン?」
「……いや……どこにも行かないんで結構です……」

食い気味に「なんで!」という声が複数上がる。
いや、あの、むしろこっちがなんでって言いたいんですけど……あー、どうしよう、今すぐここから逃げ出したい。
ジョルノやジョセフだけじゃなく、仗助やジョニィまでも好きな水着や色を挙げていく。
なんなの、着ろってことなの。

定助は首を傾けて、「康穂はなにが似合うかな〜」と呟いていた。
正直すごく癒される。
わたし、康穂ちゃんはモノキニタイプの水着が似合うと思うよ!
彼女ならなんでも着こなしちゃうだろうとは思うけれど。
単にわたしが見てみたいというだけかもしれない。

わあわあと収集の付かなくなってしまった喧騒のなか、とうとう徐倫さんがキレて男性陣を部屋から追い出した。
わあ、ストーンフリーを実際に見るの初めてだ。
便利な能力だよなあ、わたしもスタンドがあれば良いのにな。
遠い目をしてそんなことを考え現実逃避していると、徐倫がジョセフを足蹴にして部屋から閉め出したところだった。
ばん、と閉められたドアの向こうで悲鳴が上がる。
うわあ、痛そう。

「ったくアイツらは……。あーなんだったっけ、なまえ、何か言いかけてたわよね?」
「……ううん。なんでもないよ」

首を振って苦笑を浮かべる。
なんとなく、そう、なんとなく、言うのは憚られた。
伝えようと喉元まで上がってきていた言葉たちを、また飲み下す。
わいわい騒いでいた空間と昂揚した気分で、それを吐き出すのはなんとなく難しかった。

「……あっ、海はともかく、今度夏祭りがあるんだよね? わたし、徐倫と一緒に行きたいな」
「祭りもいいわね、あんた浴衣はある?」
「うん! わあ、楽しみだなあ」
「あたしと行くってことがバレたら、またアイツらがうるさいだろうから、内緒よ」
「ふふ、りょーかい」

……さて。
いまのところ水着イベントはなんとか回避したものの、自分から言い出したこととはいえ、夏祭りを徐倫と行くことになってしまった。
なにかとわたしに物を買い与えたがるスカーレットさんのおかげで、去年買ってもらった浴衣をわたしは持っている。
徐倫と夏祭りだなんて、それは素直にとても嬉しいし、心が浮き立ってわくわくしている。
ただ……壁がひとつ残っている。
どう説得したものか。
反対するだろう同居人たちの顔を思い描くと、浮かべた笑顔がひきつってしまう。

ねだったら新しい浴衣も買ってくれそうだし、アイツらを足にして買い物にでも行く? と笑う徐倫に苦笑を返し、胸のなかだけでこっそり溜め息をついた。

Ornithogalum hesitates
(2015.07.23)
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