仕事が立て込んでおり、ここ数日なまえの顔を見ることが出来なかった。
ヴァレンタインは浅く歎息すると、すぐ隣に現れた己れのスタンドをなんとはなしに眺めた。
必要だから最低限貼り付けたと言わんばかりの無表情なD4Cの顔面は、今日も静かに彼を見返す。
取って付けたような、常時平坦なそれが、あの空間に向かう際は僅かばかり嬉しそうに見えるのは、使役する自分自身の心の持ちようだろうかと苦笑する。
さて今日はどんな面倒事が勃発しているだろうか。
利便性の高い己れのスタンドへ尋ねるように首を傾げれば、彼は同じ仕草を返し、――すぐに視界が暗転した。

・・・


「――タイミングが悪かったと……いや、寧ろ良かったと言うべきか?」
「……少なくとも最中よりはマシだろうな。お互いに」

違いない、と、ヴァレンタインは苦笑した。
いつもの狭い部屋には、ディエゴとなまえのふたりがいた。
壁に背を預け、ディエゴは正面から彼女を抱きすくめている。
彼の腕のなか、ぐったりともたれかかっているなまえはディエゴの首元に顔を深くうずめているせいで、その表情を伺い知ることは出来なかった。
ぱっと見て明らかに事後と分かる空気と状態に、肩をすくめてヴァレンタインは腰を下ろした。

黙ったままのなまえは、波が引かないのか未だ小さく肩を上下させている。
脱ぎもせずただ乱雑に捲り上げられただけのTシャツはぐしゃぐしゃになり、彼女の日に焼けていない白い背が露わになっていた。
同じく着衣のまま捲り上げられた丈の長いスカートも波打って襞を刻み、いつもはきっちりと隠された白い太腿を惜しげもなくさらけ出す。
くたりと投げ出された四肢のせいで、まるで糸の切れた人形のようだ。
しかし手触りの良さそうな肌はなまめかしく桜色に上気し、むしゃぶりつきたくなるような生々しい色香を滲ませていた。

「……なまえ?」

自分の服は既に整え終えていたディエゴが、抱きすくめられたまま何も言わないなまえの顔を覗き込む。
ヴァレンタインからは彼女の後ろ姿しか見ることが出来なかったが、なまえの顔を見たディエゴの薄く苦笑したその表情で、彼女が意識を手放しているのを察した。

「ヤレヤレ、あまり無理をさせるものではないよ」
「大丈夫だろ、この様子ならすぐ目を覚ます」

力の入っていないなまえの頭を支え、その容態を伺っていたディエゴが呟く。
愛しげに少女の額に口付けをひとつ落とすと、また先程までのようにしっかりと抱き締めた。

ぐったりとされるがままのなまえは、未だ眠りの浅瀬を行ったり来たりしている。
いつもは丁寧に梳いてある夜色の髪は乱れ、汗に濡れた細い首筋にべったりと張り付いて、殊更彼女を悩ましく魅せつけていた。
瑞々しくハリのある肌、露出した背中をたらりと汗が伝い落ちるのすらなまめかしい。
いつもは淑やかに隠された下肢は無防備に投げ出され、白い太腿にはいくつもの鬱血痕、噛み痕が覗いていた。
時折ひく、と微かにふるえる背筋は、見知らぬ女のように艶めかしい。

そのさまはゾクゾクするほど被虐的で。
女の後ろ姿を静かに鑑賞しながら、ヴァレンタインは誰にも気取られることなく、密やかに笑んだ。
伏せられているなまえの顔には、一体どんな表情が、色が、浮かんでいるのか。
見えぬそれが知りたい。

なんてことないただの好奇心。
しかし同時に、彼は看過できない感情がひとつ確かに存在していることを自覚する。
同じタイミングで覚えたそれは、彼女の、なまえの、隠されたその姿態を見たい、加えて、出来ることなら――手に入れたい、独り占めしてみたいという子供染みた所有欲、独占欲。
そんな願望を抱くのは非常に久しいことで、自分のことでありながら不思議と客観的に判断を下すことが出来た。
ひとりそこまで考え、ふいに胸がざわりと波打つ。

「……ふむ」
「……一応、聞いてやる。突然どうした」

顎に手を添え、諒解したと言わんばかりに軽く頷く。
ディエゴは乱れたままだったなまえの衣服を簡単に直してやりながら、ヴァレンタインの突然の行動に、何を考えているのかと顔を顰めた。
その間にもなまえの白い背や太腿はあっという間に隠されてしまう。
彼のそんな辟易した様子を前に、ヴァレンタインは低く笑みをこぼしながら「いや、なに、」と言い訳するように口をゆっくりと開いた。

「……ん、」

混濁した意識の淵を揺蕩っていた彼女が、そこでようやく目を覚ました。
ヴァレンタインはうすらと笑みを浮かべたまま、口をつぐむ。
なまえは未だ淡く微睡んでいるようで、不明瞭な声を漏らして身じろいだ。

「大丈夫か?」
「……ん、だいじょうぶ……」

未だ気だるさが抜けないのか、声は掠れ、口調は舌足らずだ。
上手く動けないらしく、ゆるゆると頭を振る。
唇に降ってきた口付けを甘受し、擦り寄るように緩慢に、またディエゴの首元に頭をうずめようとして――、

「――あれ、ファニーさん?」

ゆっくりと振り向いたなまえは、きょとんと首を傾げた。
ここで生活するようになって以前より他人の気配に敏感になっていたはずだが、やはり倦怠感に苛まれた身で察することは難しいらしい。
ぱちぱちとまばたきを繰り返し、ぼんやりとしていた視界を振り払っている。

「やあ、なまえ」
「……お、おひさしぶりです……」

少女は目を伏せながら、小さく呟いた。
意識が飛んでいる間に衣服はあらかた直されていたとはいえ、居たたまれないと言外に露わにする。
羞恥で丸い頬が赤らんでいた。
その表情は情交後特有の疲労の色を濃く残していたが、ヴァレンタインのよく知る愛らしいなまえのものだった。
ぞくりと、背筋をなにかが駆け上がる。
あどけなく無垢な顔をして、事後のしどけない雰囲気を纏わせた、ひどくアンバランスな少女。

薄く笑んだまま手を伸ばして、彼女の首元に滲んだ汗を、つ、と拭う。
触れれば壊してしまいそうなほど脆そうに見えた肌は、どこまでもやわらかく瑞々しく、極上の肉の弾力で彼の指を受け止めた。
そうして、更なる感触、刺激を求めるように彼を誘っていた。

「ファニーさん、」

火照った細い首筋を、また汗が一筋伝う。
濡れた瞳がおそろしく悩ましく潤んでいた。
先程までの激しい情交の余韻なのか、彼の名前を呼んだ声色はどこまでも甘ったるく、耳の奥、いや、頭蓋にまで染み込みそうなやわらかさを含んでいた。

倦怠感の残る身体で気だるげに自分を見上げるなまえを前に、ヴァレンタインの口元にはひとりでに深い笑みが浮かんでいた。

ああ、これは。
間違いなく。

「ふふ、なまえ。……君に私は恋をしているらしい」

なんでもないようにこぼれ出た言葉は、やはりなんでもないようにあっけなく部屋に溶けた。
瞬間、目を見開いたのはなまえだけではなく、彼女を抱き締めているディエゴも同じだった。
彼が口を開く前に、ヴァレンタインはなまえの夜色の髪を一房手に取る。
やわらかな髪は彼女のように穏やかで、淑やかで、そして靄がかったように暗く淫靡だ。

「今まで、スカーレットのように君を可愛がっているだけで充分だと思っていたんだが、」

ふふ、と低く笑う。
飼い慣らした室内犬のように、愛らしい彼女を時折愛玩しているだけで良かったのに。
その目を、唇を、声を、肌を、髪を、匂いを、体温までをも、手に入れたくなってしまうとは。
ああ、こんなひどく愉快な気分は久しぶりだ。

「君からの愛情が欲しいと……そう願ってしまった愚かしい私のこの感情を、恋と呼ぶのは間違っているかね?」

笑み混じりにそう告げれば、驚きに見開かれた大きな夜色の瞳に、徐々にじんわりと喜びが滲み満ちていくのを彼は知る。
他の男の腕のなかにいながら、同時にそんな罪深い表情をする女。
なんて性悪な女だろうか。
人種の違いか、彼の知るその年齢よりもずっと年若く、いっそ幼くすら見えるというのに、なまえの浮かべる色はひどく欲深い。

そんな魔性に捕まってしまったヴァレンタインは、困ったことになったと苦笑した。
彼女を抱き締めたままこちらを鋭い目で睨みつけているディエゴを、なんと宥めてかわしたものかと。

それはまるで、
(2015.07.19)
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