「はあッ、あ、ナイン、」
「なまえ、そんなに締め付けないでください――」
「だって、ん、きもちいいっ……」

わたしに覆いかぶさったナインは、機体の熱を排出するように大きく胸を喘がせた。
酸素を必要としない体は、それでも呼吸を模した動作を荒く繰り返して、セックスによって快感を得ている――すくなくとも正常とは程遠い、イレギュラーな状況に陥っていると雄弁に示していた。
肉の薄い頬には赤味がさして、普段どこか冷たい印象を抱かせる端整な顔を見慣れているだけに、ひどく鮮明で、生々しく、そしていやらしかった。
皮膚を除去すれば白い素体が、そして更にその下にはひとの血潮とは似ても似つかないブルーブラッドが巡っているくせに、肌の下がうっすらと赤く透けているさまはまさしく興奮状態の男性のもので、彼をつくった技術者たちの徹底した完璧主義っぷりには感服を通り越して薄ら寒いものを覚えるくらいだった。

それとも彼がそう見えるようにあえて調整しているのだろうか――興奮の度合いを表すために?
そう考えると堪らない気持ちになった。
快楽による生理的な現象なのか、はたまた彼が意図してのものなのか、どちらでも一向にかまわなかった。
ナインがわたしに欲情している、ナインがわたしとの行為で高揚している。
その事実が、わたしのなによりの興奮材料だった。

「ね、ナイン、」

彼の名前の他には喘ぎ声と唾液しかこぼせなくなっただらしない口から、見せ付けるように舌をも垂らした。
一対のブルーグレイを間近でとらえたまま、熱く濡れた舌で自分の唇をぺろりと舐めた。
LEDリングを一際赤く明滅させ、一連の下品な舌なめずりを食い入るように凝視していたナインは、ぐっと眉根を寄せて荒々しく噛みついてきた。
目論見通り唇が重なったので、ちかちかと光るLEDはたちまち見えなくなった。




「……なまえは、恋愛関係の維持に性行為の有無が重要だと考えますか」

全身がだるい。
規格が合っていないパーツを無理やりはめ込んだかのように体の節々に違和感を覚える。
無理に立ち上がろうものならぎこちなくバランスを崩して転倒してしまうだろうとは、わざわざ試してみるまでもなく明らかだった。
なにかの映画で観た、大昔の鉄と油でできたロボットみたいだ。
体液で湿ったシーツを取り変える気力もなく、わたしはかろうじて濡れていない部分を探ってぐったりとベッドにうつぶせていた。
つくりものめいた静かな声による問いかけがなければ、片付けも入浴も放棄してそのまま眠ってしまっていたに違いない。

水分補給という名目の休憩を挟みつつ、だらだらぐずぐずと長時間に及んだセックスによって、熟れきった頭には返答はおろか質問の内容を理解することすら難しい。
だらりと寝そべったまま、鉄と油ではなくプラスチックとシリウムで構成された恋人を、視線だけで見上げた。
つい先程まで荒っぽくわたしの唇に噛み付いていたのがあたかも白昼夢だったみたいに、既にナインは平常の理知的な顔ばせを取り戻していた。
Throw enough mud at the wall, some of it will stick.――泥のように手当たり次第に送りつけられる、データ収集を目的とするアンケートじみた文言だったけれど、どうやらそれは彼によるピロートークの一種らしかった。
隣で均整の取れたうつくしい体をしどけなくさらしたナインが、ブルーグレイに光る目でじっとわたしを見下ろしていた。
明るい日の下ではアンドロイドであることを示すLEDや腕章に似た青色に程近い瞳は、光の加減のせいか、いまは灰褐色に染まっている。
そういえばいつの間にか日が傾いて暗くなっていた。

セラピーの問診じみたアンケートには答えず、ぼんやりと窓辺へ目を転じる。
窓際に置かれた陶器製の置き物がわずかな光を反射してぴかっと光った。
白い小鳥を模したオーナメントには細かい絵付けがしてある。
ライン生産ではなくひとの手によってつくり出されたものにありがちなミスとして、目の位置は微妙にずれていて、それがなんともいえない愛嬌を生んでいた。
しかしいまはなだらかなフォルムからかろうじて小鳥の形を判別できる程度で、施された模様はとうに視認できなかった。
プライベートを開示して楽しむ趣味は持ち合わせていないため、はやいところカーテンを閉めなければ向かいのアパートメントにこの不道徳なありさまを披露しかねなかったものの、何分、全身を支配する倦怠感に打ち勝つにはもうしばらく時間を要する具合だった。

行為後のじっとりと湿った空気が充満している寝室は、電灯をつけなければ手元すら覚束ないほど薄暗い。
明るさとぐちゃぐちゃになったベッドを除けば、部屋はナインを迎え入れた折となんら変わっていなかった。
自宅のブザーを彼が鳴らしたのはまだ午前の範疇だったはずだ。
ドアが閉まり切るまで待てないとばかりの性急さでキスを交わし、服を乱し合い、もつれ込むようにして行為に没頭していたので、つまりわたしたちは休日のほとんどをベッドで過ごしたことになる。
ただれている。

「……それ、いま聞かなきゃだめだった?」
「はい」

わたしのかすれた呻き声とは正反対に、ナインは平素といささかも変わらないよく通る声で素気なく肯定した。
自堕落なセックスのあとに挙げる話題として適当だとは思えなかったけれど、いま以上に相応しいタイミングもないだろうなとすぐさま考えを改めた。
すくなくとも夕食の最中に突然ぶち込まれるよりは遥かにマシなのは確かだ。

ナインは身を屈め、ようやく汗が引きはじめたわたしの背中の肩甲骨あたりにキスをした。
そこにはかつて怪我した傷痕が残っているはずだった。
うっすら皮膚が硬く盛り上がっているみにくい引き攣れは、平生ほとんど目立たず、痛みもまったくない。
しかしたとえば性行為のような激しい運動をして体温が上がると、色が濃くなるらしかった。
場所が場所だけに自分ではまじまじと確かめたことはないけれど、以前彼にそう指摘されたことがある。

「初めて」の際――取りも直さず彼の初体験でもある――、傷ひとつない完璧な肢体を前に、わたしは気恥ずかしくなってしまったものだった。
見惚れるほどの造形美を前にして、幼少期に転んでできた膝の傷跡だとか、不摂生がたたってすこし荒れた素肌だとか、ちっぽけな欠点をさらすのが唐突になんとなく耐えがたくなったのだ。
彼との共通点は、ひとらしさを付与するために施されたのだろうか、点々と散るほくろくらいしかなく、それすら彼の短所にはなりえず、ますますこちらの居た堪れなさを膨らませるばかりだった。
処女でもあるまいし無意味な恥じらいではあったけれど、傷跡を隠そうとするわたしに、ナインはいまみたいにキスを落として「あなたの生きてきた証です。私と違い、パーツの換装が不可である生身の肉体を持つあなたの」とこれ以上ないほどパーフェクトな返答を寄越してみせた。
あのときわたしはなんとか答えたのだったか。
確かへらへらと苦笑しながら「そんなにいいものでもないけどね」と、完璧な肌にキスを返したように記憶している。

感慨深く彼との「初めて」を思い返していると、背中から唇を離したナインは、答えを促すようにじっとわたしを見つめた。
もうしばらく甘い思い出に浸っていたかったけれど、どうやら問診じみたアンケートからは逃れられないようだった。

「性的な接触以外にも、恋人に愛情を示す行為は数多くあります」
「そうだね」
「恋愛関係において、なまえは他のモーションよりも性交渉に比重を置いている?」
「そんなことないよ。こうやって会話したり、手を繋いだりするだけでも十分嬉しいもの」

締め切った寝室でだらだらとセックスに明け暮れていた女の発言である。
説得力は皆無だろう。
案の定、ナインはわたしの回答に納得した様子はなく、無味乾燥なアンケートを実施するに至った経緯をつまびらかにしたいようだった。
かすかに目を伏せ、ためらいがちに呟いた。

「RK900――私のこの機体は、WRやHRシリーズのようなパートナーアンドロイドとは違い、性交渉を本来の用途として設計、製造されていません。そのためなまえになんらかの不満や不都合が生じてしまい、それを解消するために性的な接触の頻度が高くなっているのなら、」
「いやそれはない」

よどみなく流れる発言をさえぎってまではっきり否定すれば、ナインは一瞬口をつぐみ「そうですか」と大人しく頷いた。

「もしかして、わたしがナインに対して不満があるからセックスでまぎらわそうとしていた、なんて勘繰ったの?」
「人間の活動のなかでも、とりわけ性的な分野は個人差が大きいものと理解しています。その点を加味した上で、なおもってなまえとの行為は一般的なものから逸脱していると判断しました。実践経験が圧倒的に不足している私に原因があると考えるのは妥当でしょう。このままではあなたの体調に影響が及びかねない」
「体調? 元気だよ。いまはご覧の通り瀕死だけど」
「今日、私がここに伺ったのは一一時二〇分。以降、あなたが水以外のものを摂取しているところを見ていません。一般的に昼食を摂る時間を性行為に費やしていました。なまえ、食事は?」
「……食べていません……。あの、ほら、夢中で。ずっとセックスをしているとあんまりお腹が空かないんだよ……体力は使うのにね。それに、なんていうか下品だけど……ナインの、お腹一杯飲んでしまったというか」
「私の擬似精液は人体に有害な物質ではありませんが、必要な栄養素も含んでいません」
「そうですよねごめんなさい」
「栄養補給だけではありません。私は職務によりなまえにお会いできなかった間、話したいことやお見せしたいものなど、あなたと交わすための話題を複数想定していました。どれも他愛ないものだ。なまえには興味がないトピックもあるでしょう。その擦り合わせも含めて、対話するのを楽しみにしていました。しかし性的な接触を含まずあなたと会話を行うのは、今日これが初めてです」

濡れて冷えきったベッドの上で、一日中セックスに付き合わせた恋人に、年甲斐もなくこんこんと「食事を摂れ」「会話くらいまともにさせてくれ」と説教されるのがどんな気分か、知っているだろうか。
端的にいって最悪である。
なめらかな挙動が可能だったら、ベッドを下りて由緒正しいジャパニーズ土下座を披露していたかもしれない。

「それについては本当に申し訳ないとしか……。ごめん、久しぶりに会えて嬉しくて……ええと、舞い上がっちゃったの。ナインのことを考えていなかったよね」

途中、何度か切り上げようとしたナインを、甘ったれた仕草で「ねえ、もっと」と引き止めたのはわたしだ――そうすれば彼が断れないと知っていて。
寝そべったまま項垂れるわたしを、ナインは相変わらずなにを考えているのかよくわからない静かな眼差しで見下ろしていた。

DPDの優秀な捜査補佐官は、常に折り目正しく、毅然とした態度を崩さない。
いまだってそうだ。
日頃、感情の表現が巧みとはいいづらい彼が、しかし唯一わかりやすく顔をしかめたり、呼吸を荒げたり、切羽詰まった声音でわたしの名前を呼んでくれたり――普段のナインからは想像もつかないくらいに崩れ、乱れてくれる貴重な機会が、セックスの最中だった。
彫像めいた端整な顔立ちが余裕を欠くさま見たさに、殊更にねだったり煽ったりしている自覚はすくなからずあった。

変異体どころかアンドロイドと交際するのは初めてだったけれど、恋人のいろんな面を知りたい、他のひとは知らない表情を見たい、自分を見ていてほしい、ふれたい、ふれてほしいという欲求は、相手がなにものだろうと変わりはなかった。
セックスによる快感そのものも好んでいると認めるのにやぶさかでないけれど、一番はナインが本来は不要であるはずのものをわたしと感じてくれることが嬉しくて仕方がなかったのだ。
我を忘れて溺れるような視線をナインから向けられるのは、もはや感動といっても過言ではなかった。

しかしそれで彼に負担をかけているのなら本末転倒も良いところだ、そう最近の振る舞いを省みてわたしは申し訳なく思った。
一方の都合や欲求に付き合わせるのは、ひとりよがりな自慰と大差ない。
ただでさえわたしと違って、ナインはキスやセックスどころか恋人という存在すら初めてで、こう表現するのが正しいのかわからないもののいろんな意味で清らか・・・なところがある。
付き合いたての恋人みたいな交流をもっと大切にしたいのかもしれない。
外見デザインとして設定された年齢はともかく、稼働している歳月でいえばわたしの方がずっと年長なのだ。
思い返せば、手を繋いで出歩いたり、お互いの友人たちとの親睦を深めたりと、一般にいう健全なお付き合いというものから久しく遠ざかっていたように思う。
すくなくとも貴重なデイオフをセックス一択で潰させるのは、到底健全とはいいがたい。

「……ええと、それじゃあ試しに、するのはしばらくやめてみる……?」
「ええ。なまえ、あなたが同意してくださるなら」

セックスを控えるよう促されるなんて、これが人間相手ならすわ破局まで秒読みかと身構えるのに十分だったけれど、提案したのは他でもないナインだ。
変異しているとはいえ、遠回しに距離を置こうとほのめかす婉曲的な芸当は、すくなくともわたしが知る限りアンドロイドである彼の気質にそぐわなかった。

「わかった。いいよ。最近はセックス以外に恋人らしいことしていなかったしね。そうだ、デートしよう、ナイン。一緒にどこか出かけたいな」

おおよそ考えられる限り最良の返答を繰り出せた確信がわたしにはあった。
なんたって快諾どころか、デートのお誘いに笑顔のおまけ付きだ。
仮にナインが本当に離別を望んだ場合、単刀直入に「恋愛関係を解消してください」と申し込まれるのは想像にかたくない。
いまとまったく変わらない、とてもベッドでただれた一日を過ごしたとは思えないほど落ち着き払った表情と態度でだ。
容易く思い描ける光景に――なにしろ見惚れるくらい端正な「答え」が目の前にある――勝手にダメージを受けたわたしは、そんな未来を回避すべく「ナインがしようって言うまで待つからね」としおらしく笑ってみせた。
ナインは相も変わらず感情の起伏が窺えない面持ちで「ありがとうございます」と静かに頷いた。




そして三週間が経った。
ほぼ半月である。
その間、セックスどころか直接ナインの整った顔すら拝めていなかったのは、なにもあんな問答を繰り広げたせいでぎくしゃくしてしまったから――ということはまったくない。
単純にお互い非常に忙しかったせいだ。
職があるだけありがたいレベルのデトロイトで、わたしは専門職とはいえいくらでも替えがきくポジションで酷使されて日々くたくただったし、ナインはナインでなにか大きな事件にかかりっきりらしかった。

らしいというのは、あちらから連絡が来る気配がまるきりなく、わたしも用もないのにあれこれとメッセージを送るこまやかな性質に恵まれていなかったために、大方そうだろうと決め込んだだけのことで、つまり当て推量の域を出はしなかった。
他愛ない「いまなにしてる?」云々、つましくも愛らしいコミュニケーションは元来わたしの性に合わなかった。
それにパートナーを目的としたプログラムを持っていないナインにとっては、そういう趣意も益体もないやり取りは無駄以外のなにものでもないだろう。
万が一「いまなにしてる?」と軽い気持ちで尋ねて、四角四面に「現場検証中です。詳細は公式な発表までお伝えできませんが、腐乱死体が発見されまして」なんて返答が来たらどうする?
すくなくとも恋人に思いを馳せ抱いていた甘ったるい気分が跡形もなく霧散するのは間違いない。

結果、些細なメッセージのやり取りもなく、気付けば月すらまたいでいた。
以前ならこれで自然消滅かと肩を落として、相手が置いていった私物の片付けに取りかかっていた頃合いだ。
しかしながらそこらの凡俗と比べることすらおこがましい最新鋭アンドロイドさまもといいまのわたしの恋人ときたら、これまでお付き合いしたなかで飛び抜けて生真面目な性根をお持ちで、仮に自然消滅の語でも出そうものなら「没交渉がどれほど連続すれば“自然消滅”だと判断しますか? 基準を設けましょう」とでも真顔で言い出しかねない男だった。
それは自然とはいわない。

これほど長く会えないのだったら、偶然とはいえ前もってあの問答を経ていて良かったのかもしれない、そうわたしは自分に言い聞かせていた。
なにしろ声を聞けば直接会いたくなるし、顔を見ればあの大きな体に思いっきり抱き着きたくなる。
ハグしようものならキスをねだってしまうのは避けられないし、ふれたらセックスをしたくなるのも道理というものだ。
だからあらかじめきっぱりと「しばらくセックスはしない」と宣言していて良かったのだ。
おそらく。きっと。

いくらひとりで眠るベッドが広々として寝返りを打ち放題だとしても、普段、滅多に応じない同僚からの誘いに乗ったために「今回はどれくらい続いたの? ぱあっと騒いでフリーに戻ったお祝いでもする?」とピルスナーの瓶を傾けながらからかわれる憂き目を見ようとも、恋人との口約束を反故にすまいという慎み深さくらいは、酒の場で交際期間をからかわれる女だって持ち合わせていた。
人間もアンドロイドも自由に入り乱れて騒ぐナイトクラブを、沈鬱な葬式の場にすまいと殊更にはしゃぐ彼女の気遣いはありがたかったけれど、男漁りに繰り出そう、いまなら選り取り見取りよとの申し出には「安心して、別れていないから」と丁重にお断りを返した。
それに万が一絶縁状を突き付けられ傷心していたとしても、人間だろうがアンドロイドだろうが、ナイン以上に魅力的なひとがいるとは思えなかった。

忙しいとはいえさすがにDPDきってのエース補佐官ほどではないわたしは、それまで彼と過ごしていた、そしていまはぽっかりと空いてしまった時間を、さてどうしたものかと少々もてあまし気味だった。
ナインと出会うまではなにをしていたっけ? と頭を悩ませ、彼にどっぷりと浸かっていたのだと今更ながらに自覚した。
とはいえそれもはじめの一日かそこらのことだ。
ひとりでくよくよ思い悩むのは生来向いていないらしく、そのうちわたしは食事や睡眠、運動に励むといった、至って健全かつ真っ当な生活を送ることに注力しはじめた。

まあ、ひとつ想像してみてほしい。
仕事帰りに酒を飲んで、かろうじて帰宅は果たしたものの化粧も落とさず玄関で寝てしまう夜が珍しくない女が、まともな生活を営もうと一念発起するのが、どれだけ革新的な行いだったかを。

ナインの目というか訪れがないからといって暮らしぶりが荒んだ場合、もしも彼の優秀な論理回路が、あの宣言により自分との行為を拒んだせいだと一足飛びに結び付けてしまったなら?
さぞかし厄介なことになるだろうと、そう予感めいたものを感じていた。
ただでさえセックス以外にすることがないなんて思わせていたのは心が痛むし、もちろん次に会うときに呆れられたくなかったというのもある。

そういうわけでぐうたらしがちな自分に鞭打って、規則正しい生活を心がけ、ハウスキーピングに勤しんだ。
休日の早朝にはジョギングをして、犬の散歩をしている隣人と爽やかな挨拶を交わすという、絵に描いたような模範的な暮らしに努めるに至ったのだ。
それもこれも、滅多に怒りや憤りを露わにしないどころか、たまに感情そのものを持っているのかどうか疑わしくなる恋人が「私のこの機体は、パートナーアンドロイドとは違い、性交渉を本来の用途として設計、製造されていません」とそこはかとなく不安そうにこぼすさまを目の当たりにしたからだった。

男のために自分を変えるような殊勝な性質たちをしていないとよくご存知である歴代の恋人たちに、もしもこの健気っぷりが露呈しようものなら、ブーイングの嵐に見舞われるのは必至だった――「できるんだったら最初からしろ」だの「警察の堅物アンドロイドに躾けられるなんざおしまいだな」だの、エトセトラ。
容易に浮かぶ嫌味や罵倒の山でジェンガを組めそうだと思ったけれど、わたしだって最新技術の粋を集めたサイバーライフ最高傑作のアンドロイドさまを、貴重なオフを終日セックスで潰すという堕落しきった泥道へ引きずり込んだのだから、まあ、おあいこというやつだ。
頭のなかで高々と積んだジェンガを痛快にぶっ壊し、わたしは日課になりつつある部屋の清掃に取りかかった。




その日、仕事から帰宅し、億劫でもきちんと夕食を準備しようとしていたわたしの手を止めたのは、安価な電子雑誌のディスプレイだった。
馴染みのあるローカルニュースで繰り返し流れるのは、犯人たちが連行される煽情的な映像だ。
普段は目もくれないいわゆるゴシップ記事、そのなかでもヘッドラインを流し見する程度の電子雑誌のページをつい開いたのは、見覚えがある、ありすぎる人物がキッチュな見出しに彩られていたからだった。

イエローペーパーじみた記事のトップを飾るのは、ふたりの男女の姿だった。
今夜、オズボーン地区ではDPDによる大捕物が繰り広げられたらしい。
長期に渡る地道な捜査、そして分署の活躍もあり、潜伏していた犯人グループはひとり残らず拘束、人間の死者はなしとのことだった。
写真の女性は、運悪く巻き込まれ犯人から人質にされてしまった一般人だという。
幸い彼女はDPD所属のアンドロイドに救出されて無事だった。

女性の背中側から撮られた写真は、うつくしいブロンドと、そして彼女を横抱きにした捜査補佐官を写したものだった。
男性型アンドロイドのたくましい首に彼女はぴったりと額をつけてうつむいていて、顔立ちまで窺い知ることはできなかった。
しかし危機を救ったヒーローの、お姫さまを救う騎士よろしく背に腕を回し、前を見据えた凛々しい横顔はしっかりととらえられていた。

ディスプレイには、DPD所属の捜査補佐官――RK900の、どれだけ解像度が荒かろうがこれっぽっちも精悍さを損ねない、端整な顔面がばっちりくっきり写っていた。
敏捷性というプラクティカルな理由によるものだろうが、彼が着用しているのは背中の両サイドに切れ込みが入ったスタイルの上着だ。
ジャケットの白と黒の色合い、そしてサイドベントの裾が風に煽られてひらりとなびいているさまは、まさしく王子様といった風体だった。
これだけで映画のティザービジュアルにできそうだ。
もしもわたしが夢見がちな処女だったら、この画像ひとつでうっかり一目惚れしていたかもしれない。
記事は、ゆくゆくはアンドロイドに補助だけではなく単独での捜査も、逮捕権限も与える是非を問う社会的なテーマにもおざなりにふれつつ、これからもホットな補佐官から目が離せないだのなんだのと、よくある文言で結ばれていた。


(2023.12.09)
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