(※2023年3月現在、最新64話の情報に基づくおはなしです)
(※2024/02/10 原作との齟齬についてお知らせ追記)






わたしたちの神さまは、「名前を呼ぶことは、愛情を伝える最も容易く、かつ意義のある方法のひとつです」とおっしゃった。
穏やかで、よどみなく、抑揚こそ豊かとはいいがたいものの、人々へ分け隔てなくいつくしみをたたえていらっしゃるのが伝わる、うつくしいお声で。

大穴の街オースに生まれ、探窟用具の修理に遺物の鑑定と、両親共に探窟にたずさわる商売をなりわいとする家に育ち、なんの疑問もなく順当に探窟家として生きてきたわたしは、はじめ、神さまが――黎明卿がおっしゃっていることに、理解が及ばなかった。

原生生物に襲われ、わたしを除く隊の全員が死に絶えた深界五層の「雹の牢」は、直前までの轟音や金属音、怒号、悲鳴が嘘のように、しんと静まり返っていた。
あるいは当時、意識がひどく朦朧としていたから、聴力をはじめ感覚器になんらかの障害が起こっていたのかもしれない。
しかしあのときのことは一部始終、鮮明に覚えているのだから、やはり「奈落の星」は常人とは比べものにならないくらい強く光り輝く存在なんだと思う。
もしも偶然、小規模の隊を率いていた「黎明卿」新しきボンドルドが、興味深げにつくづくと「驚きました。内臓がほとんど溶け崩れているのに、まだ息があるとは」と、発見例のない希少な原生生物を観察するような調子でわたしを覗き込まなければ、なまえという探窟家はそのまま深層に埋もれる無数の死骸の一片になっていたのは確かだ。
眼裏まなうらに強く焼き付いているのは、白い装束。
「なきがらの海」で染め抜いたような白い外套がうつくしくたなびくのを、今際に見るまぼろしかなにかかとぼうっと眺めていると、黒々とした装束を身にまとった黎明卿がほとんど死人のわたしへ手を差し伸べていらっしゃった。
カッショウガシラの巣穴で、野垂れ死ぬのを待つばかりだったところを救ってくれたひとを神さまと仰いだとしても、なんらおかしなことはないだろう。

とはいえ神さまと敬い慕ってはいても、それは黎明卿のために死にたいなどと狂信的でも、熱烈な信仰でもなかった。
ただ自然に、崖から落下すれば怪我をするように、高所へ登れば上昇負荷を受けるように、そうあるのが道理に適って正しいことだと考えているだけだった。
誰も彼も分かりきっていることを言葉を尽くして説明する必要があるだろうか。
すくなくともいまやわたしも一員である「祈手」の皆は、たとい黎明卿から行き止まりの「箱庭」へ飛び込めと指示されたとしても、もしくはそれに己れの肉体を用いられたとしても、なぜ、どうして、と意図を問いただしたり抵抗したりすることは決してない。
きっとタイムラグなく速やかに、要求を満たしてみせるだろう。

あの方はヒトの命をいたずらに消費することは断じてないし、すべての行いはたったひとつの目的のため――アビスの枢機をおいて他にないと、ひとり残らずよくよく知り抜いているからだ。
並大抵の人間がなにより優先、固執するだろう自らの肉体より、アビスにまつわる事象の探求に卿が重きを置いていらっしゃるのは、その首元を占める白い笛以上に雄弁な証拠はない。
あの方の一言一行にためらいや疑いを覚えるようなら、そもそも生死を含めた肉体の所有権を「精神隷属機」を介して明け渡しはしないし、祈手としてついえる道は選ばない。
わたしたちはあの方の手。
暗く奥深い大穴を切り拓く一手。
夜明けの名を捧げられたあの方を「神さま」と呼ぶ信心深さを、仲間たちにからかわれることはあっても、露骨な語が印象として先立つだけで、彼らのそれもわたしの信仰とさしたる違いはないだろう。

吹雪じみて吹きすさぶ力場の風になぶられながら、ここで冒険は終わりかと冷たくなっていたのに、わたしは神さまの手によってヒトのかたちを保って生き延びた。
それどころか、生命維持に必要な内臓のほとんどが腐れ落ちていたにもかかわらず、憧れの象徴である白笛の探窟隊にすら迎え入れていただけた。
さすがに肉体はすっかり元通りとはいかず、全身を酷使する長時間の登攀とうはんは困難になってしまった。
探窟家としての命は絶たれ、地上へ戻ることも敵わなくなったけれど、研究や経験を活かして新たな仲間たちの一助となる道を、あの方は示してくださった。
いまでも忘れない。
忘れられるはずがない。
「なまえ、君の生きようという意思……歩むことを諦めない、夜明けを求める精神がある限り、君も私たちと同じ探窟家です」という黎明卿のお言葉が、それ以外の生き方を知らなかったわたしをどれほど勇気付けてくださったことか。

神さまはおっしゃった。
――「名前を呼ぶことは、愛情を伝える最も安易で、かつ意義ある方法のひとつです」。

そのときわたしは、研究のために連れて来られた子どもたちの世話係を仰せつかっていた。
それぞれ隔離した、四名の子どもを順繰りに担当するという勤めだ。
正直に告白すると、世話係をめいじられた節、わたしは子どもの世話くらいと高をくくっていた。
まったくもって愚かとしかいいようがない。
そのときの自分を、甘く見るなと怒鳴りつけてやりたい。

黎明卿が「大事に育ててくださいね」とおっしゃった以上、力ずくで黙らせたり殺したりできない点で、年端もいかない子どもというものは、そこらの生半可な原生生物の方がよっぽどマシと言わざるをえない代物だった。
それまで笑っていたかと思えば、ちょっとしたことですぐに泣くし、危険かそうでないかの判断も己れでできず、体力だけはあるために放っておくと後先考えず問題を起こしかねない厄介な幼体。
わたしは子育てという新たな課題にそれはもう悪戦苦闘していた。
なにしろ生まれてこの方、育児の経験はおろか、兄弟やら幼馴染やらといった間柄もなく、幼い頃から顔を合わせるのは、自宅も兼ねた店屋に来る、笛をぶら下げた少々荒っぽい連中ばかりとあって、探窟家以外の人間、なかんずく子どもという存在にわたしはすこぶる縁遠かった。

連れて来られたのは貧民窟や口減らしの子ばかりだったため、おそらく同じ年頃のものに比べれば、ずっと手がかからない部類だったに違いない。
日々食料を配給していると、ある程度の繋がりは構築できるものだ。
とはいえちらっとこちらへ視線を走らせたかと思えば、わたしの手から食料を確保するや否や、急いで口に詰め込む彼らの様子から、心を開く、懐くといった関係から程遠い水準なのは、子育てについて鈴付きレベルのわたしも十分理解していた。

単に生命維持を目的とした飼育だったなら、それで十分だっただろう。
しかしながらなんとも始末に負えないことに、五層「前線基地」に集められた、とりわけ祈手が生育を担当する子どもたちに必要だったのは、健全な精神の発育、そして他者へ愛情をいだく情緒面での成長とやらだった。
この点、わたしはまったくもってお手上げだった。
神さまのご意思に沿えないのは、顔向けができないほど後ろめたい気持ちでいっぱいだったけれど、なにしろ自分が愛情を意図的に感じるのすらいかんともしがたいのに、あまつさえ他人にそれをいだかせるとなると!
第三者への愛情なんて、アビスのない世界を想像するのと同じくらい、あるいはそれよりも難しい話だった。

そういうわけでほとほと困り果てていたわたしは、とうとう黎明卿に指示を仰いだ。
相談を受け、万事ご承知おきの「奈落の星」は、愛情や子育てにおいてはなはだ修行や経験が不十分であるわたしへ丁寧に説いてくださった。
いわく、愛情は、無理にいだこうとするものでも、いだかせようとするものでもないこと。
ああしてほしい、こうあってほしい、と誰かになにかをのぞむのは、傲慢だということ。
もし相手になにかを求めるなら、まず自分が示してみせること、等々。
そしておっしゃった。
「なまえ、あの子たちの名前を呼んであげてください。ひとりひとりの顔を覚えてください。名前を呼び、好きなもの、嫌いなものを同じように大切にすれば、彼らもきっと応えてくれます」と。

名前を呼ぶのは愛情を伝えるすべだという。
神さまがボンドルドというように、わたしがなまえというように、名前は皆等しく有しているものと思っていた。
しかし本来親が与えるだろうそれを、子どもたちのなかには持たない者もいた。
わたしはまず、それらに名前を付けてやることにした。
卿にならって穏やかに「○○と呼ぶので、あなたは“はい”と返事をしてください」と頼むところから始めた。
そしてわたしは、名前をたかが固有名詞と軽んじていたのを、浅く薄っぺらな考えだったと反省した。
それまで「おい」だとか「お前」だとか呼ばれ、本人も当たり前のこととして受け入れていた子どもたちが、たかが名前という記号を与えられただけで、生まれて初めて色のあるものを見、うつくしい調べを聞いた盲唖者のように目を丸くするのを、わたしは間近で見た。

神さまが示されたことを実践するうち、担当する子どもとの距離はすこしずつ縮まっていった。
わたしを指す仮面を認識するや、「なまえ、またアビスの冒険の話を聞かせて」と、わたしよりもずっと体温の高いてのひらを伸ばしてくる子どもたちを見るにつけ、やはり神さまはなんて道理に適って誤りがないのだろうと、強い感銘を受けたものだった。
それまでできなかったことを、対策を立て、地道に反復し、諦めず挑み、結果的にできるようになる工程は、数メートル這い上がるだけで嘔吐していた赤笛を卒業し、笛の色が段階的に上がっていった日々を彷彿とさせた。
各々違った個性と名前を持っており、まったく同一の人間はいないため、上手くいった手法が他の子には通用しないこともあったものの、手を変え品を変え試行錯誤するのは、探窟において難所を昇降できるようになっていく過程のようだった。
子どもたちをひとりひとり見守り、名前を呼び、抱き上げ、やがてわたしが名前を付けた子を神さまのお役に立つため、手ずから加工して仕上げたとき、あれほど苦にしていた子育てが、いつしかこの上ないやりがいや達成感を味わう業務になっていることに、わたしは気が付いた。






神さまはおっしゃった。
名前を覚えることも、呼ぶことも、ひとりひとりの個性を大切にするのも、愛情のひとつだと。
ならば、わたしが彼女の名前を何度も呼ぶのは、愛を伝えるための行為だったのだろうか。

「リメイヨ隊長、神さまが……ああ、ええと、黎明卿がお呼びです」
「……なまえ、あんたまさか黎明卿のこと、“神さま”って呼んでるの?」
「いけませんか?」

仮面によってわたしたちは表情を見交わすことはできないけれど、おそらく口をあんぐり開けているんだろうと窺える動作で、彼女は二秒だか三秒、立ち尽くした。
名うての「死装束」の行動を、ほんの数秒とはいえ停止させた経験がある探窟家は、アビス深しといえどそうそういないだろう。
これはわたしのささやかな自慢だった。
困惑から復旧したのち、彼女はようやくといったていで「いけなくはないけど、ちょっと気持ち悪い」と呟いた。

黎明卿がご自身の肉体にいらっしゃった節、ご本人のことを隊員たちは世間並みに隊長とお呼びしていたらしい。
しかし「精神隷属機」によって減ったり増えたりする隊員たちは、彼が白笛を得て以来、隊長ではなく黎明卿と呼び習わすようになったという。
そのため小隊を率いる「死装束」を繰り上げて隊長と呼ぶようになったのだと、リメイヨから聞いたことがある。

以前所属していた隊が五層「雹の牢」で壊滅し、神さまが拾いあげてくださったあのとき、わたしの命を直接的に救ってくれたのは、他でもない彼女だった。
戦闘員として付き従っていたリメイヨが、仲間たちを食ったカッショウガシラの群れをすっかり根絶やしにしてくれたと知って、感謝の念をいだいたのはつまり当然のことだった。

そういえば「雹の牢」でのアクシデントは、神さまの手の上のことだったらしい。
五層きっての捕食者、カッショウガシラのコロニーが確認されている地点にわたしたちが足を踏み入れようとしているのを、偶然行きかかった黎明卿は発見し、そのまま放っておいた。
もしもそのときすぐに注意を促してくださっていたら、皆死なずに済んだかもしれない。
しかし後々、臆面もなく「彼らには悪いことをしました」とおっしゃった神さまの判断を責め、とがめることはできなかった。
かつての仲間たちも、わたしも、危機を察知できなかった時点で、探窟家として未熟だったというだけの話だ。
なにより、隊の責任を余所の隊へおっかぶせるものではない。
仮に黎明卿の小隊が付近にいなかったとしても、たどる道は同じだった。

卿から顛末を伝えられ、死の淵から回復していの一番に、わたしはリメイヨに会いに行った。
彼女はわたしのことをきちんと覚えてくれていた。
あっけらかんと「あら。あんた、生き延びたのね」と首を傾げた。
あのとき今際に見るまぼろしめいて輝いていた白い装束、そのままの姿で。

「死人だと思ってた。黎明卿からカッショウガシラを退治するよう指示されたときは、あんたたちを生体パーツに利用するか、装備や遺物をいただくためかと思ったくらい」
「はい。黎明卿もおっしゃっていました。“驚きました、まだ息があるとは”って」

伏して拝まんばかりに感謝するわたしに、リメイヨは面倒臭げに「やめてちょうだい」とグローブに覆われた手をひらひらと振った。
戦闘に特化している「死装束」のことだから、いままでに命を救ったのはわたしに限らないのかもしれない。
見上げるほどの長身を反らして「私はあんたを助けようと思っていたわけじゃない」とあしらうさまは、いかにも手慣れていた。

「感謝されても困る。黎明卿の指示で原生生物を殺しただけなんだから。実際、他の連中はあんたを除いて全滅したんでしょう」
「ですが、リメイヨ、あなたのおかげでわたしがいまここにいるのは事実です」
「あんた、卿みたいなしゃべり方するのね」

また、神さまと同じように彼女を崇めるようとするのも、リメイヨは嫌がった。
いわく、わたしたちは皆等しくあの方の手なのだからと。
当人が拒むことを無理強いするつもりは毛頭なかったため、「リメイヨと呼びなさい」と言う彼女に従い、わたしは命の恩人をただリメイヨと呼んだ。
神さまは神さまだったけれど、リメイヨはリメイヨだった。

出身が遠く離れていたため仕方のないことだったけれど、リメイヨと名前を呼ぶわたしの発音はどこかおかしかったらしい。
つたない発音をあからさまに笑いこそしなかったものの、リメイヨは捨て置くでもなく、「メにもうすこしアクセントを」だとか、「イのあとにヨが消えるのは癖?」だとか、注釈を付けてくれた。
面倒見の良いヒトだったのかもしれない。
もしくは単純に、業務の合間を縫っては頻繁にまとわり付くわたしを、持て余していたのかもしれない。

助けてくれたひとの名前ひとつまともに呼べないのは、その頃既に子どもたちの養育を任されていた身としてはひどく心苦しい心地がして、リメイヨ、リメイヨ、と何度も真剣に繰り返していた。
本人が「くすぐったいから終わり」と音を上げ、当時はまだ装着するのに慣れていなかったわたしの仮面を、真正面から小突くまで。
言うまでもなく手加減してくれていたんだろうけれど、探窟作業から離れて久しい非戦闘員の体では、名高い「死装束」のちょっとしたつつきにすら、頭部と視界がぐらぐら揺れたものだった。
慌てて「ごめん、痛かった?」と覗き込んでくるリメイヨに、わたしはめまいを堪えながら「大丈夫です」と頷き返した。

思えば、あのときなんのてらいもなくリメイヨと口にできていた自分が信じられない。






その日は、前の日と、更にそれより前の日となにも変わらない、日常のひと区切りだった。
強いて前日と違う事柄を挙げるなら、担当する子どものひとりが、ようやくカートリッジに用いる基準を満たして、お祝いと称して普段より長く抱き締めたり、おしゃべりに興じたり、歌を歌ったりしていた。
彼は「黎明卿も喜んでくれる?」と目を輝かせていた。
探窟家に、それも白笛になるのが夢だという少年に、わたしは「もちろん!」と頷いた。

彼をカートリッジに加工し、充足感に満ちた業務を終え、いつものようにいそいそとリメイヨのところへ向かったわたしは、しかし戸惑い、立ち尽くしてしまった。
リメイヨがリメイヨではないような気がした。
上辺はなんら変わりなかった。
さながら「なきがらの海」で漂白されたかのような装束は相変わらず白く、様々な遺物によって武装しているとは一見して見破ることは難しいすっきりとした立ち姿は、惚れ惚れするほどうつくしかった。
しかしわたしが「リメイヨ?」と声をかけても、彼女はなんの反応も返さなかった。

慌てて詰め寄ったわたしへ、黎明卿はちっとも動じることなく「“精神隷属機”の影響です」と明らかにしてくださった。
穏やかで、よどみなく、抑揚こそ豊かとはいいがたいものの、人々へ分け隔てなくいつくしみをたたえていらっしゃるのが伝わる、うつくしいお声で、「精神に介入する度合いを引き上げました。同時に複数の体を動かすオート状態のときと似ていますね。ですが、これまでよりも外部からの刺激に対して反応速度が向上しました。私が同期していなくても、同水準での戦闘が可能です。素晴らしい。他の“死装束”にも試したいところです。彼女の自我は薄れてしまいましたが、もちろん、リメイヨもこころよく引き受けてくれましたよ」と。
そのとき、あたかも「祭壇」を取り巻く渦がごうごうと地響きを伴って轟きうねるように、わたしを襲ったたくさんの感情の波の正体は、未だによく分からない。

神さまのお役に立つものとして、精神の植え付けを受け入れたり、かたちを変えたりするのは、喜ばしいことだった。
しかしことここに至って、自分の愚かさにわたしは笑い出したい気持ちだった。
笑ったところでどうにもならないことを知っていたので、笑う代わりに、無音で佇むリメイヨのかたちをしたヒトをじっと見つめた。

「リメイヨ」

リメイヨの、戦闘に特化していることを示す白い外套は、わたしを救ってくれたときとなんら変わらずまばゆい。
しかしこの物言わぬヒトのかたちをしたものを、リメイヨと呼ぶのが、どうしてだろうか、わたしにはとても難しいことのように思われた。
神さまがいくら肉体をお変えになろうと神さま以外の何者でもないのに、子どもたちを加工していくらかたちを変えようと、アビスが認識するあの子たちのまま、なにも変わりはないのに。
にもかかわらず、リメイヨはリメイヨのかたちのまま、なにか違うものになってしまったような気がした。

名前を呼んでも、奈落へ投げ込む石じみて反応がない。
彼女の仮面の表面はつるりとしていて、青い光も微動だにしない。
もうリメイヨはわたしの名前を呼んではくれないし、仮面を小突いてもくれない。
黎明卿は「自我が薄れてしまった」とおっしゃっていたけれど、正確にはあの方をより深く受け入れた結果、リメイヨの自我はバラバラに分散し、以前のようには保てなくなったとのことだった。
つまり割れたガラス板を拾い上げて修復を試みたとしても、無数の破片を繋ぎ合わせただけのそれが元の透明な一枚にはならないように、もう前のリメイヨには戻らないということだ。

彼女のなかにも、わたしのなかにも、わたしたちの神さまがすこしずついらっしゃる。
おそらく彼女と同じ処理を、わたしへ行うのは可能だった。
わたしは神さまを更に受け入れたかった。
自我というものがバラバラになるならなってほしいとすら思った。
しかし戦闘はおろか探窟もままならないこの肉体に、万が一同じように取り計らったとしても、「前線基地」下部で単純作業に従事する「なり損ない」に似寄る肉塊が一体増えるだけなのは明らかだった。
なにより、アビスの探求には、わたしへの処置は必要なかった。
ならば神さまはそうなさらない。
わたしが神さまと仰ぐお方は、アビスの夜明け以外のためにその手を動かすことはない。

いまわたしが考えていることを、もしもリメイヨが知ったら、彼女はあまりの愚かさに驚き呆れてしまうかもしれない。
それとも笑い飛ばされてしまうだろうか。
信じてもらえるだろうか。

神さまでもない、子どもたちでもない、あなたの声で呼ばれる「なまえ」という響きを、「なまえ」という名前を、わたしはなにより大切にしていたのだと?

「リメイヨ、」

あなたの名前をたくさん呼びたいし、あなたにもわたしの名前をたくさん呼んでほしい。
強く欲しがって求めるこの気持ちは、神さまにも、子どもたちに対しても、感じたことがなかった。
これが愛情というものだろうか。
わたしがいだくものは愛情なのだろうか。
わたしはリメイヨに愛情をいだいているのだろうか。
もしかしていままで手ずから加工してきた子どもたちがわたしへ向けていたのは、握ったてのひらが熱を上げるような、こんな強く身に沁みる思いだったのだろうか。

「ねえ、リメイヨ、あなたの声が思い出せない……」

神さまは、誰かになにかをのぞむことは傲慢だとおっしゃっていたけれど、ならばいまのわたしは世界で一等傲慢に違いなかった。
口を利かない硬い仮面に、手を伸ばしかけてやめた。
彼女のかたちをしたヒトは、静かに佇んでいる。

リメイヨ、あなたの声でまた、わたしの名前を呼んでほしい。


(2023.03.22)
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