(※アニメ準拠、原作設定も含む)




アア、アア、とみだりがましくカラスが鳴いている。
高く、低く。
抑揚は、愚かな女が恨みつらみを垂れるよう。
蜿蜿えんえんうねるかの如き声は、聞いていると耳が膿みかねぬ。
黒々とした影が視界の端を横切ったが、すぐに夕闇と混じりその境をなくした。

寒さが深まるごとに、暗闇が一刻一刻とその命を延ばす。
空を支配するのは、冴え冴えとした月ばかり。
日中、きっちりと目張りされた切り窓は本来の用途を成さず、大勢の大人たちと時を過ごしている子どもたちには、皓々こうこうたる月光が余程慕わしく思われるらしい。
歓声をあげ、子どもたちが表へまろび出て行った。

「あんまり遠くまで行くんじゃあありませんよ」

タケウチの呼びかけに、子どもたちは素直に「はーい!」と手を挙げた。
死をもたらすほど太陽に疎まれているにも関わらず、健やかな笑顔たちはまるで陽の光のよう。
跳ね駆けていった小さな背はすぐに見えなくなった。

目映げに眺めていたなまえは、ぼんやり呟いた。
――「なんていうか、タケウチって……」。
細い声音のどこかにしみじみとしたものが滲んでいるように感じられるのは、単なる気のせいとするには、あまりにも。

「……面倒見が良いっていうか子ども好きだよね。狂気のマッドサイエンティストって感じの風貌なのに」
「んー、なまえさん、右に右折みたいなこと言ってるの気付いてます? “マッド”が既に狂気って意味なんで」

ぬるい微笑を浮かべたタケウチに、なまえは「あれ?」と首を傾げた。
どうやら特段ボケたつもりもなく、本心からの発言だったらしい。
英語は不得手なの、と頬を膨らませるなまえに、彼は「そんなんじゃあこれからの先の世、生き残れませんよー、きっと」と笑った。

「タケウチは舶来語までわかるの?」
「なにぶん研究職ですからねえ。それにご存知の通り、吸血鬼に関してはまだまだ英国や欧州に分がありますし」
「じゃあタケウチに任せれば良いね。わたしの分まで、通訳は頼んだ」
「私の話、ちゃんと聞いてました? なまえさん」

呆れたような眼差しで見下され、なまえは先程よりずっと不満げな顔で「もう、屈んで!」と声をあげた。
非を鳴らす声とは裏腹に、甘ったれた要求はいつもの通り。
タケウチも慣れた仕草で「はいはい」と腰を曲げた。
――むくれたなまえの顔も、手を伸ばし、彼の頭にふれる頃にはとうにほどけていた。
つんつん跳ねている桃色の髪はふれると思いの外やわらかい。
ふわふわとした手ざわりに、昔飼っていたうさぎを思い出してしまう。
そう教えると微妙な表情をしていたタケウチへ、馬鹿丁寧に繰り返してやることはなかったが。
なまえは「ふわふわ……」と呟いた。

「なにかお手入れしてる?」
「特になにも。化粧品を取り扱う婦人部にでも声をかけてあげましょうか」
「要らない」
「おや残念。年頃なんですから、紅のひとつでも引けば良いでしょうに」
「面倒臭いもん。それに戦闘中はどうせ面で覆うし」

これまたいつも通りのり言だったが、タケウチは「お役に立てるのは僥倖ですが、飽きもせず男の髪なんてさわって、なまえさんも大概モノ好きですねえ」と嘆息した。
以前、戦闘中に重症を負ったなまえが「なにか欲することはあるか」と問われ、ともすればいまにも止まりそうな細い息の合間、途切れ途切れ「思い残すことなんてないけど、ただ、タケウチの髪、さわり心地が気になって仕方なかった」などと吐いたのも記憶に新しい。
きょとんと目をしばたいたタケウチが、直後、弾けるように爆笑したのも。
「これは珍しい。白鳥の歌というにも、いやはや――。ともあれ死の床でのご要望を、無下に突っぱねるのも夢見が悪いですからね」と腹を抱えて笑った彼は、しかしその後もことあるごとになまえが要求してくるようになるとは予想だにしなかったに違いない。

髪を撫でていた手をするりと頬へすべらせ、なまえは小さく息をついた。
形良い骨格は、下で打つはずの脈動を伝えぬ。
右の目元の特徴的な文様を指先でくすぐりながら、なまえはとつおいつ目を伏せた。
――この頭蓋のなかに詰め込まれた脳髄は、なにを思い、なにを究め、なにを生み出そうとしているのだろうか、と。

「……なまえさんがいまなに考えてるか当ててあげましょうか。どうせまたロクでもない、もしくは物騒なことでしょ」
「そんなんじゃないよ。この頭のなかが見てみたいなってだけ」
「じゅーぶん物騒ですよ、自覚してください。頭蓋切開なんてされたら、吸血鬼といえどさすがに死んじゃいます」
「知らないものを知りたいって思ってなにが悪いの」
「うーん、それを言われるとどうにも弱いですねえ」

タケウチはひょうげた口調のまま、冗談めかして「おっかない、おっかない」と嘯いた。
ひょいと上体を起こし、なまえの手から逃げ出す。
少しく名残惜しそうななまえのてのひらが、ゆっくりと闇夜を撫でた。

「――ヴァルハラの、泉の味はどうだったのかしら」

知識欲に貪欲なさまは、供犠くぎに片目を差し出した遠い神を彷彿とさせる。
本人も当代「永遠に年を取らない脳味噌」「際限なくこの世界の神秘に迫れる」などとのたまっているのだから、自覚はあろう。

ハーフグローブの掌中で、アスクラの小瓶がぬらりと光る。
本来吸血鬼のための薬餌だったアスクラが、不適合の人間に与える影響は未だ未知数。
そこから吸血鬼に関する我々の研究が進む可能性もあるいは。
なにしろ人間に投与した場合の症例には事欠かぬ。
何をか言わんや、十指の指すところ軍の主導による騒動も未だ終息していないのだ、何にまれ隠蔽されるに違いない。

「さあ。――ま、いまのところ首に縄をかける予定も、木に吊られる予定もありませんしねえ。それでいま以上のものを得られるというなら、多少は考慮しちゃいますが」
「するんだ、考慮。おっかない」

またカラスの鳴き声が響き渡る。
夜闇は濃く深く、姿かたちは夜目の効く彼らの目をもってしても視認できぬ。
不祥の影ともされた黒鳥は、最早、明告鳥あけつげどりより余程親しくなって久しい。

片目の者、知識を欲する者、ベルヴェルク。
桃色の髪を揺らしてにんまりと笑う男を上目ににらみ、なまえは唇をとがらせた。
「Love is like a child, That longs for everything it can come by.」――いつか青く燃え上がるというのなら、唯一無二に輝く美しい太陽ではなく、月夜に切り裂かれた自分であれば良いと欲する女は、なるほど道理の外である。


(2021.11.02)
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