(※第七集巻末おまけマンガネタ年齢操作リベンジ)
(※やっぱり深く考えてはいけない)




「……隠し子?」
「言いたいことはわかる。わかるがやめてくれ、ロック。冗談にしても笑えないタイプの冗談だ」

ロックとチャンの顔を交互に見上げるのは、丸い瞳をきょとんとまたたかせたひとりの少女だった。
年の頃は十にも満たないほどか。
張に抱き上げられ、ふくふくとしたちいさな手で彼の上着を握り締めていた。
傷みのない黒髪は子ども特有の細くやわらかなつややかさであり、まるい頬は内側からぽっと色付き、一瞥しただけでやわらかいさわり心地を察するにあまりあった。
握れば折れてしまいそうなほど細い足は、発育途中どころかまだその兆しすら見せておらず、宙に浮いてゆらゆら揺れていた。
未成熟な幼い容貌は、しかしロックにとって非常に見覚えがある面影を濃く残していた。

「……いやあのまさかとは思うけど、なまえさん本人……ですか」
「よくわかったなー、ロック」

左腕に少女を抱えたまま張が肩をすくめた。
他でもない飼い主がそう言うのだから、この子はまぎれもなくなまえ本人なのだろう。

「うわあ……」

口の端を引き攣らせたロックは、彼女の様子から「しかも記憶ないパターンだなこれ」と冷静に呟いていた。
現実逃避なのは言うまでもなかった。

三合会の白紙扇バックジーシンが年端もゆかぬ幼い少女を抱き上げている様相は、見てくれのせいでそこはかとなく犯罪のにおいがしていた。
到底堅気には見えない、仕立ての良い上等なスーツにロングコート、硬い革靴。
目元を隠すサングラスに、口に咥えたジタンにいまは火は点けていないらしいが――どれひとつを取っても、抱えた幼女とのアンバランスさが際立っていよいよ危うい。
いろんなものが。
通報したい気持ちに駆られるものの、残念ながらこの街の警察は当てになどならないし、そういえばこのひと元警官なんだったかとロックは痛みを覚え始めたような気がする頭を押さえた。

そんな彼とは裏腹に、なまえとおぼしき少女は張に抱き上げられたままこてんと首を傾げた。

「はじめまして……ううん、ええと、おにいちゃんもなまえ、知っているの? こんにちは?」

舌っ足らずな口調ながら幼女が懸命に挨拶を試みてきた。
うんうん唸っていたロックの相好を思わず崩させるのに十二分の愛らしさだった。

「……そういえば初めてなまえさんに会ったとき、挨拶ができて偉いなあって考えてたのを思い出しましたよ……」

感慨深げに回想に浸っている彼は、つたない口ぶりの少女に引き摺られてか、なんとなく易しい物言いになっていることを自覚していないらしい。
半歩だけ近付き、怯えさせないようとへらりと笑顔を浮かべて少女の顔を覗き込んだ。
彼の見立て通りやはりなまえに記憶はないらしく、少女はどこか心細げな面持ちで彼を見つめ返した。

「ああ、いや、ごめんごめん、僕はロックだ。君のことは知ってるよ」
「……ロック、おにいちゃん?」

ちいさな唇がたどたどしく彼の名を呼んだ。
聡明な、そしてどこまでも純粋に澄んだ瞳で見上げながら、少女が細い首を傾げた。

平生から金糸雀カナリアを形容する言葉は「純真」「清らか」といったものばかりだったが、あれはこの街に浸りきった者共が強くそう感じるよう調整されていたものだと、そのときロックは直感的に理解した。
あどけない幼な子の顔貌になまじ面影が濃く残っているだけに、いつも浮かべているなまえの笑みが「作りもの」だということをまざまざと思い知らされた。

「ッ、張さん、どうしてあんな感じ・・・・・に育てちゃったんだ、あんた……」
「なんだ、あれ・・に文句でもあるのか? 外部からの貴重なご意見だ。元に戻ったら小鳥に聞かせてやる」
「スミマセンでしたマジでやめてください」

火の点いていない煙草を口の端で揺らしながら、張はやれやれと嘆息した。

「はあ……車も呼んだし、とりあえずさっさと引き上げたいんだが……。面倒なことになる前に」
「――フフ、金糸雀カナリアが面白いことになってるらしいじゃない? まったく、こういう愉快なイベントから仲間外れなんて寂しいわね、張」
「……こういった事態とかなあ。どっから聞きつけてきやがった、バラライカ」

心底面倒臭そうに首をひねった張に対し、バラライカは薄い唇を吊り上げた。
唐突に現れたホテル・モスクワ女頭目の表情からは、姿かたちが変わったなまえだけでなく、「幼女を抱っこしている張維新チャンウァイサン」という図をひっくるめて楽しんでいるのがありありと伝わってくる塩梅だった。
ブルーグレイの瞳がそれはそれは愉快そうに細まっているのを認め、張は隠そうともせず溜め息を吐いてみせた。
そんな彼のことなど頓着せず、バラライカは常にないほどやわらかな声で「随分と可愛くなっちゃったわね」と幼いなまえの顔を覗き込んだ。

「……痛くない?」

ふいにこぼれたのはか細い声だった。
少女はバラライカの顔面を這う火傷痕を痛ましそうに見上げていた。

あの・・バラライカに対し、面と向かって火傷痕についてふれられる豪胆な者なんぞこの街に存在するか否かというものである。
いとけない瞳に見上げられ、バラライカはふっと口元をゆるめた。

「大丈夫よ。古い怪我なの。もう痛みはないわ」
「よかった……。きれいなお姉さんのお顔、痛かったら……なまえも悲しいから」

ほっとしたように少女が邪気なく顔をほころばせた。
久しくそんな笑みを向けられていなかったようで、威圧感たっぷりの軍用コートを纏った女頭目は虚をかれたように目をしばたたかせた。

「……もしかして私、口説かれてるのかしら?」
「妙なことを言わんでくれ、バラライカ」

太い眉をハの字にして飼い主が肩をすくめた。
折も折、彼の背後に見慣れた黒い車が停車したところだった。

「さーて満足しただろ、なまえ。迎えも来たことだし帰るぞ」
「帰る……?」

記憶がない少女にとって、いま「帰る場所」とは塔の上の鳥籠ではないのだろう。
しかし聡明な彼女は健気に「うん」と頷いた。
ことの発端において、張維新チャンウァイサンからある程度の説明を施されていたらしく――あるいは上手く丸め込まれたか――、従順に彼へすがっていた。
ちいさな手がきゅっといじらしく黒いスーツを握り締めているさまは、筆舌に尽くしがたいほどに庇護欲を掻き立ててきた。
なまえは名残惜しそうに、バラライカたちを見上げた。

「……またあえる?」
「ええ、きっと」

微笑んだ火傷顔バラライカの横顔がこころなしかやわらかく、やさしげだったのは見間違いだったかもしれない。
ばいばいとちいさな手を振る少女に、ロックも安穏と手を振り返した。

「――んー、まあ、いつ元に戻るかわからんしなあ。こんなナリになったときの状況を再現してみんのが手っ取りばやいか。……しかしこの体じゃあ挿入はいらんだろうしなあ、どうするかね、ははは」
「ちょっと待ってくださいなんてことあんた言ってんだ!!」
「ねえなまえ、悪いこと言わないから私のところに来ない?」
「ぅ、ええと……?」

きょとんとまばたきを繰り返す少女と、「冗談に決まってるだろ」と笑っている飼い主の図に、ほのぼのした雰囲気から一転、去り際にこぼした一言二言でお手軽に恐慌状態を作り上げた男に対し、バラライカはなまえへ手を差し伸べながら胡乱な眼差しで張を睨んだ。
ロックは内心「冗談に聞こえねえよ」と呻いていた。


(2020.02.09)
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