(※お題ガチャ「受けが悶々するガチャ」
https://odaibako.net/gacha/1769 ぺんたごさまより)


あと五分

なまえは読んでいた本を置き、両手で顔を覆った。
てのひらが冷たく感じられる原因を、おのが頬が熱を持っているためと認めるのにいささか葛藤を強いられた。

「っ、だんなさまのせいだわ……」

主、張維新チャンウァイサンへすべて責任転嫁する僭上せんじょうな呻きをこぼして、なまえはデスクに突っ伏した。
幸い、書斎を独り占めしていたために、彼女は素直に悪態を、あるいは狼狽を露わにできた。

ひとり黙々と読書していたはずのなまえがそんな妄挙に出たのは、それもこれも端無く思い出してしまったためだった。
突如として彼女の脳裏によぎったのは、この場所で飼い主とふけった淫らな行為の数々だった。

以前この書斎で抱かれた折、デスクにうつぶせになったなまえは、後ろから張に覆われて胎の奥を突かれて、あまりの悦楽に浅ましい嬌声をあげてしまったものだった。
眼前には頑強な書斎机、そして背後にはなまえの腰をつかむ飼い主という状況では逃げ場もなく、狂おしい快楽を気がふれんばかりに与えられ、最中、なまえは無我夢中でデスクに爪を立ててしまった。
幸い、爪の跡こそ残ってはいなかったが、逃げる意思など更々なかったというのに、あたかも這って逃げるかのようになまえが手を伸ばしていたのが気に入らなかったのだろうか。
抽挿ちゅうそうの合間、なまえのちいさな手を捕まえるように、縫い留めるように、張の手が上から押さえつけた。
暗い飴色の重厚な机を見ていると、そのときのことが否応なしに思い起こされてしまった――重なった張の手が標本のピンを彷彿とさせるほど無慈悲で、火傷しそうなほど熱く、逃げられないのだと教え込むように大きかったことすらをも。

卑猥な記憶を振り払おうと努めるも、些細なことすら馬鹿正直に反芻してしまい、なまえの熱は上がるばかりだった。
一刻もはやく冷ましたいのに、ぱたぱたと手で扇ぐだけでは頬の火照りはいっかな収まる気配を見せなかった。
なにより、真面目に書見している途中だったにもかかわらず、過去の性行為を思い出してひとり顔を赤らめている自分自身のはしたなさに居た堪れない心地がした。
淫らなことなんぞ許容すべくもないとばかりに整然と並んだ、浩瀚こうかんな書棚に囲まれ、なぜだか罪悪感、背徳感すら沸き上がってしまった。

――よし、ここで読むのはよそう。
なまえは決意した。
このままここで安穏と読書を続けられる気がまったくしなかった。
とりあえず別の部屋へ移動しようとドアを開けたところで、なんぞ図らん、丁度、張が入れ替わりに入室してくるところだった。
扉にぶつかりはしなかったものの、なまえは慌ててこうべを垂れた。

「申し訳ございません、旦那さま。いらっしゃったと気付かなくて……お許しください。書斎こちらをご利用になりますか?」
「ん? ああいや、書斎に用はねえよ。お前がこっちにいるって部下あいつらから聞いただけだ」
「まあ、なまえを探してくださいましたの?」

それはお手間をおかけしました、と面映そうに微笑んだ飼い鳥を見下ろし、張が軽々きょうきょうに頬を撫でようとしたところで、ふと彼の手が止まった。
どこか勘繰るようにサングラスの奥の双眸が細められていた。
形良い厚い唇が不穏な弧を描いて「お前、なにしてたんだ?」と言問こととうた。

「なにって……いままでですか? なまえ、ここで本を読んでいて……きゃあっ」

唐突に抱き寄せられ、なまえのワンピースの白裾がひらりと揺れた。
腰と後頭部に回った力強い手のせいでぴったりと体が重なり、なまえは戸惑いと喜びでぱちぱちとまばたきをした。
ふいに耳殻じかくへ張の唇がふれて、思わずぴくっと肩が跳ねた。
揺れる声を律して「どうかなさいましたの」と至極当然な質問を彼女が口にするより前に、夜凪のように穏やかな声音が――ただしいまばかりは、小鳥を戯れに甚振る獣じみた声が、愉悦まじりに耳へ降ってきた。

「そのツラで他の奴らの前に出るつもりか? 自覚してないなら閉口もんだな――随分とやらしい顔してるぞ、なまえ」

張維新チャンウァイサンの声は、今生、なまえの情感の根底を最も揺さぶる音だった。
この世で最も慕わしい音があるなら、それは彼の声だ。
ただでさえぎゅっと抱きすくめられて敏感な耳元でくすぐるように囁かれては、まともな思考を維持できるはずもなく、なまえは思わず「は、ぁっ」ととろけた悲鳴を漏らしてしまった。
腹の奥に響くような雄の声は多分に揶揄を、そして情欲を含んでいた。
こうして囲うようにしっかりと抱きすくめられていなければ、きっとその場に崩れ落ちていたに違いないと確信できてしまうほどだった。

たったこれだけのやりとりで最早立つことすらままならないなまえをからかうように、低い笑声がまた降ってきた。
張いわく「やらしい顔してる」理由を、なまえが洗いざらい白状させられるまで――さて、どれだけ抵抗を続けられるだろうか。


優越感にも程遠い

胡座をかいた張の上で、なまえはしどけなく肢体をくねらせた。
脚をまたいで乗っかった姿勢はやや不安定ではあれど、しっかりと支えてくれる飼い主に甘えて浅ましいほど柳腰をバウンドさせた。

「っ、ひ、あぁっ、だんなさまぁっ……!」

所謂、対面座位は主から抱っこしてもらいながら交合できる、なまえの大好きな体位のひとつだった。
かすかに残る羞恥のためか、始めは控えめだった腰遣いも、いまや筆舌に尽くしがたいほど淫猥な動きを見せていた。
おのずと張の顔が近く、抽挿ちゅうそうの合間、なまえは夢中で「キスしてください」とねだった。
耳にすれば雄の理性を完膚なきまでに溶かしてしまう、糖蜜めいた淫らな声だった。

その途端に咥え込んだ肉竿が、わかりやすくびくっと跳ねたのを胎内ナカで感じて、思わずなまえは「は、ぁうっ」と喘いだ。
眼前の男が堪えるように太眉をたわめたのも一因であり、なまえはひとしおかんばせをとろけさせて甘やかすように張の頭を抱き寄せた。
自分の「キスして」という些細なお願いによって主が興奮してくれたのかと思うと――言葉以上に雄弁な反応のために、どうしても嬉しくなってしまう。

「んっ! ぁ、ふ……っ! んん〜〜っ、ぅあっ」

互いに汗の浮いた肌がぴったりと重なり、堪らない心地がした。
切羽詰まったように塞がれた唇は爛れんばかりに熱く、なまえは自分から積極的に舌を絡めた。
ぎゅっと強く抱き着いて舌も唾液も啜り合いながら、ぱちゅぱちゅと腰を振る。

口腔粘膜くちのなかすらも快楽器官だと教え込んだのは、いまなまえの口を上も下も犯す男だった。
逞しい腿と尻たぶとがぶつかる卑猥な打音、くち、ぢゅるっと脳の近いところで鳴る水音に、頭の奥がますますだめになっていく。

自分の快楽ばかりを追うのは単純で容易い。
しかしながら平生、言笑自若げんしょうじじゃくなさまを揺らがせない主人、張維新チャンウァイサンという男の、すこしでも余裕をなくす原因になれるなら、それはなまえにとってなによりの喜びだった。
張に対して優位に立てるなどはじめから考えてもいないが、肉体的な喜悦と精神的な充足感に、唇が吊り上がってしまうのを止められない。
飼い主の舌をついばみめいてやさしく甘噛みした。

「――ッ、随分と余裕そうじゃねえか、なまえ」

口付けでとろとろになった唇で「キス、だんなさまもすきなんですね……」と微笑んだなまえは、しかし後々、発言を後悔することになった。
余裕なんてないと反論するより先に、わずかに顔をしかめた張が彼女の身体を抱き上げたのだ。

膣内を埋めていた肉竿を一旦引き抜かれ、普段より粗雑な挙措きょそでベッドに転がされた。
ぎりぎり乱暴でない扱いに、ひるんだなまえが「だんなさま、」と声をあげかけたものの、しかし言い終えるより前に猥雑な媚声になり果てた。
再びすぐに一気に貫かれて「ひ、ああぁっ!」と悲鳴じみたメス声が響いた。

「あァああっ! は、あっ、だめっ、まって、だんなさまっ、あぅうっ」
「お前が動きたいって囀るもんだから、付き合ってやってたんだが……調子にまで乗るようじゃあな」
「ちがっ、ちがうの、っそんなつもり、な、ひぅう……! あ、おなか、ッ、そんな、いっぱいぃっ! ひぃあっ、突いちゃ、あぁあッ」
「っ、は……俺に乗るのがそんなにお気に召したんなら、今度はこっちにも味わわせてくれよ」
「ふ、ああぅっ」

そもそも主人に対して勝ち越しているつもりなど更々なかったが、厚く重い雄によって押さえつけられ、上から膣襞を数回強く擦られただけで、なまえはあっけなく敗北、逆転してしまった。
主導権なんて始めから握ってもいなかったのに、張のなにかしらのご不満、もしかしたら劣情をも煽ってしまったらしいなまえが、イニシアチブを取り戻す再逆転展開は残念ながら望めそうになかった。


(2024.02.11 改題)


爪先

あなたの爪の感触が好きですと伝えたとき、旦那さまが変なお顔をしていらっしゃったのを覚えている。
どうして好きなのかと理由を問われてもきちんと答えられる自信はないけれど――旦那さまのお声が名前を呼んでくださると、ゆるむ頬を叱咤しなきゃいけなくなるのと同じように、旦那さまの目に見つめていただけると、胸が騒がしく高鳴ってしまうのと同じように、きっと理由なんてないのだろうと思う。
好きなのは爪の感触ばかりではなくて、ご主人さまを構成しているものすべてだけれど。

「うふふ……」
「そろそろ飽きてもいい頃合いじゃないかね、お嬢さん」
「ああ、飽きることができたら、御手をわずらわせずに済むのに……。申し訳ございません、旦那さま」

ちっとも改める気はないとはいえ、一応そう謝罪しておいた。
手は離さないままだけれど。

いつものようにソファに腰掛けたご主人さまのお隣で、片手を自由にさせてくださる旦那さまの爪を、わたしはなぞったりたまに指を絡めたりしていた。
わたしなんかよりもずっとずっと力の強い旦那さまのことだもの、もしご不快だったなら振りほどいてしまうのは簡単なはずだった。
サングラス越しでもわかるほど呆れたお顔だけれど、わたしに付き合ってくださっているというその事実だけで、自然と口元がゆるんでしまうのも、きっと仕方のないことだった。

指先にわたしの手を引っ掛けててのひらへ旦那さまの爪痕を付けてにこにこしていると、やれやれと言わんばかりの溜め息が降ってきた。

「……幼児か?」


お約束

あれ? と首をひねった。
ペントハウスのお部屋にはわたしひとりだけで、残念ながらご主人さまは不在だった。

のんびりと自室でひとり過ごしていて、ふいに、街を見下ろす大きな窓に手の形のような――いいや、まさしく誰かのてのひらの跡が付いているのを発見した。
あたかも雲ひとつない群青の空と隔てなんてないように見えるくらい、窓ガラスはぴかぴかに磨かれている。
ぺったりと付いた白っぽい汚れは、一度気付いてしまうと見て見ぬふりをするにはいささか難しい具合だった。

それにしてもどうしてこんなところにてのひらの跡なんて? と首を傾けながら、お掃除をするため窓へ歩み寄った。
安易にこのお部屋へ入室できるひとは限られているし、加えて、窓ガラスに手形を残すような不届き者に心当たりもなかった。

恐る恐る観察していると、わたしの引き攣った顔が窓ガラスに反射しているのに気が付いた。
映った表情は不可解げというより怯えていて、自分の臆病っぷりに苦笑してしまった。
生き伸びるより死に瀕する方が容易い、こんな街に長年住んでいるのに不可解な現象に怯えているなんて、旦那さまに笑われてしまうかしら。
そんなことを考えながら、わたしの肘下くらいの高さにある痕跡をよくよく見てみると、それは妙にちいさかった。
そっと手を伸ばして重ねてみると、手形はわたしのものと同じ大きさだった。

「どうしてこんなところに、わたしの手の跡が、――っ」

気付いた瞬間、わたしは思わず言葉を失ってしまった。
どうしていまのいままで思い当たらなかったの! と自分をなじりつつ、ガラスからぱっと手を離した。
ううっと呻き声がこぼれるのを堪えきれず、その場にしゃがみ込んでしまった。

なにが不可解な現象だ! と数秒前の自分に言ってやりたかった。
まぎれもなくそれはわたしのてのひらの跡だった。
昨夜、立ったまま旦那さまに抱いていただいたときに付いたものだった。
服はおろか、わたしはヒールすら履いたままで、後ろから激しく突かれていると、下半身が崩れてしまわないようにするだけで精一杯だった。
ただでさえ身長差もあって、ぐらぐらと覚束ない足に懸命に力を入れて、目の前の窓ガラスに手を付いて体を支えていた――そのときの痕跡に違いない。
夜も更けてきらめく夜景が眼下でちかちかと乱反射して、特別高いところが不得手というわけでないわたしでさえ意識までくらんでしまいそうだった。

だってあのときは自分の体を支えるのに一生懸命だったし、手の跡のことを考える余裕なんてちっともなかったし……! と誰に向けてかわからない言い訳が取り留めもなく浮かんでは消えた。
なんにせよこのままにしておけるはずもない、拭くものを探そう。
慌てて振り向くと、――……もう、本当に! もしも世間で言うところの神様なんてものが存在するなら、きっとわたしなんかより、ずっと性根が悪いに決まっている!

「……いまお前がなに考えてるか当ててやろうか、なまえ」

部屋の入り口で、旦那さまがにやにやと笑いながら立っていらっしゃった。


手遊てすさ

ふと目が覚めた。
カーテンの隙間から覗く夜闇の濃さから、起床にはまだはやい時分だろうと窺い知れた。
なまえはふあっとちいさく欠伸をした。
正確な時刻はわからないとはいえ、ベッドから出なければならない頃合いはまだ先とあって、隣の飼い主は未だ眠ったままだ。
なまえは面映そうに頬をゆるませた。
いくら比類なく瞞着や糊塗、煙に巻くのが巧みな主人といえど十年以上もそばにはべっていれば、さすがにその眠りが嘘か真かくらい見破れるようにもなる。
彼女の目から見て張は間違いなく深く寝入っていた。

目の前にあった男の手をそっと握った。
ひとを殺す手、ひとを支配する手、――わたしをさいなむ手、わたしを甘やかしてくださる手。
煙草の香りの染みついた指先へ頬擦りした。
この程度の接触では破れそうにない眠りに、いや増しに胸の奥がむず痒いものが募っていった。

そうこうしているうちに我慢できなくなったなまえは、とうとう自分の頭を撫でさせてみることにした。
主人のてのひらを使って、幼い子を褒めるように自分の頭を撫でると、この上なくとろけた顔ではあっと恍惚の溜め息をついた。
張の大きな手ではなまえのちいさな頭など容易くつかめてしまえそうだった。

寝ている主の体を好き勝手にというと語弊も差し障りもあるものの、ともあれ彼が目が覚めているときには、年甲斐もなくこうして「撫でてください」と要求しづらいのもまた事実だ。
温かい手で撫でられていると目の奥が痛くなってしまいそうなほど幸せだった。
我にもあらずなまえは張の手を夢中でもてあそんでいた。
たとい飼い主相手といえど見せられないほどゆるみきった顔でだ。

彼女が他愛ないひとり遊びを中断したのは、つと細いおとがいを上げた折のことだった。

「っ……!」
「……チッ、気付いたか」

いつの間にか、張維新チャンウァイサンが起きていた。
目が合った――それはそれは愉快げになまえの痴態を眺めている目とばっちり。

なまえは声にならない悲鳴をあげ、なんなら無駄口ひとつ叩くこともなく、全力でベッドから逃走しようとした。
ふわふわとろとろと微睡まどろんでいたのが嘘なのではといぶかるほど、近年稀に見る華麗な身のこなしである。
が、残念ながら相手が悪かった。
判断、行動の素ばやさにおいて比べるまでもなく小鳥を遥かに凌駕する飼い主が、寝起きとは思えぬ俊敏さで抱き寄せてきたために、なまえの逃亡は不発に終わった。
あっけなくずるずるとベッドの中央へ引き摺り戻され、なまえはほとんど半泣きで、逞しい腕から逃げようとこの期に及んで諦め悪く身をよじった。

「やだやだ旦那さまごめんなさい離してくださいわたしも逃げたいときがあるんです」
「あーわかったわかった、暴れるな。――でもなあなまえ、付き合ってやったんだから、俺も同じこと要求するのも当然だろ」
「ご、ごめんなさい、やだ、はなして、」
「なんでそこで逃げたがんだよ。セックスより恥ずかしがる理由がまったくわからん」
「……そういう問題じゃないんです……」
「じゃあどういう問題だよ」
「女心ってやつです」
「じゃあ理解できねえのもやむなしか」
「お勉強になりましたね、旦那さま」
「返礼は?」
「いまは結構です」

ふれるのもふれられるのも、体を重ねることも、共に夜を明かすのも、最早、指折り数えるだけ愚かというものだ。
にもかかわらず変なところで恥ずかしがったり、プライドを保ちたがったりする飼い鳥を、張は「なんだこいつ」と呆れた眼差しで見やった。

誰が予想できただろうか、その後、すっかり目の覚めてしまったふたりが「撫でる撫でない」でとんでもなく愚かな攻防を繰り広げることになるなんぞ。
翌日、ひどく眠そうな金糸雀カナリアからしようもない顛末てんまつを聞いてしまった憐れな部下が、げんなりと瞳を濁らせながら転職を検討することになるのは、別の話である。


佳景

何度達したか、自身でももう覚えてはいまい。
深更しんこう、女を縁取る黒髪が白いシーツを這ってえも言われぬほどうつくしい。
しとねに倒れ伏したまま男の良いように揺さぶられているなまえはいやいやと力なくかぶりを振った。
ねやにずっと響いていた悲鳴じみた嬌声さえずりは鳴りを潜め、いまはもうかすれた声で「だんなさま……もう、」と憐れに許しを乞うばかりになり果てていた。

雄のモノを咥え込まされた膣孔はそれでも健気に――あるいは媚びるように、きゅうっとナカの硬い肉杭を締めつけてしまう。
いっそ許容量を超えた快楽なんぞ感じられなくなれば、あるいはさっさと意識を飛ばせたら、彼女もこれだけ苦しむこともなかっただろう。
しかしながら躾けられた姦濫かんらんな肉体は当人の意思を裏切り、飼い主に与えられる感覚すべてを従順に逐一拾い上げてしまうものだた。

「ぅ、やだ……もう、きもちいの、やらぁ……」

嬌声というより意味を成さない喃語なんごしか吐けなくなった唇が、うわ言のように懸命に「いや」と「イきたくない」を繰り返した。
なまえのとろとろと焦点を失した瞳、泣き濡れ赤くなった目元、噛み痕や吸い痕の散る首、強くつかまれすぎて指の形に色を変えた柔腰の痣、時折引き攣れるようにびくっとふるえる下肢、それら弛緩した肉体はとっくに彼女自身のものでなく、それどころか意識や思考すらまともに有していないだろう。
張は酷いありさまの鳴鳥を見下ろして、他人事のように「可哀想だなあ」と首を傾げた。

年端もゆかない子めいてちいさな手がつたなく「きもちいいのもういらない」と男の腹や太腿を押し返してくる。
滅多にない抵抗――否、抵抗どころか制止と呼ぶにも足りない、ひ弱なその指先は小鳥のついばみより繊弱だった。
か弱いその抵抗のせいで男の劣情がますます煽られていることを、彼女は知らないのだろうか。

知らないからやってんだろうな、と張は心中呟いた。
口の端が満悦に歪んだ。
飼い主にめいじられれば何にまれ応えようとする女の、弱々しいといえど抵抗だ、けだし本心からのものなのだろう。
なまえは腹を立てるだろうか――それをねじ伏せるのが楽しくて堪らないと知ったなら。
喜悦に溺れて淫蕩に彼を求めるさまも、耐えられないと限界を訴え抗うさまも、密々みつみつ、どちらも張を喜ばせるものでしかないならば、余儀ないことだった。

「ぁ、あ……」
「なまえ、」

押し戻そうとしてくるあえかな手をそっと握り返してやる。
男の手付きはこの上なくやさしく、ガラス細工にふれるかの繊細さだった。
指と指とを交互に絡め、握ったなまえの手をそのままシーツに押さえつけた。
しかし握った手のやさしさに反比例するかのように、荒々しくまた細い喉へ歯を立てながら、張は笑った。
口内に血の味が滲んだ。
快楽ばかりではない、痛苦に芙蓉のかんばせが歪んだ。

なまえのその表情ひとつすらも――と、そこまで思い至った悪辣な男ははッと爛れんばかりに熱い息を吐いた。
痛ましい咬傷こうしょうに舌を這わせば、薄い皮膚の下の気管がくっと痙攣した。
それでも丁寧に教えてやる気は毛頭ないのだから、おのれの性根が多少なりとも曲がっていることは認めざるをえまい。


(2024.02.11 改題)


(2021.07.16)
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