(※お題ガチャ「受けが悶々するガチャ」
https://odaibako.net/gacha/1769 ぺんたごさまより)




わななく唇を噛み締め、なまえは緊張で冷えた指先をぎゅっと握り締めた。
そもそもこんなことなんてしたくなかった。

秒針の音すら聞こえない静かな深窓しんそうで、崖の上から飛び降りるような覚悟をもって――というと、きっとこの行為のきっかけの男には一笑に付されてしまうに違いなかった――ひとり寝台に横たわったなまえは服の上から自分の胸をおっかなびっくりつかんだ。
緊張と不安とにふるえる右手でゆっくりと揉みしだき、次いで左手で内腿をそっと撫でた。

「っ……」

ちっとも気持ち良くないどころか、なにも感じない。
むしろどうしてわたしはこんなことをと、おのれへの嫌悪の情が先に立つのを堪えられそうになかった。
しかし彼女は詰めた息を細く吐きつつ、自慰と呼ぶにもつたない手遊てすさびを恐る恐る続ける他なかった。

きっかけは昨日の晩にまでさかのぼった。
性交渉の只中にあって、悲鳴とも嬌声ともつかない声をあげて男の下でびくびくと身体をふるわせる娘について、追い詰めていた当事者たる色悪いろあくはこう評した。
笑いながら、いわく「本当にお前は敏感だな」。

一般的な反応とやらも、彼の接する他の女がどのようなさまなのかも、なまえは微塵も知らなかった。
なにせ処女だったなまえを抱いたのも、肉の悦びを教えたのも、夜の目も寝ずに朝を迎えた相手も、当の張維新チャンウァイサンをおいて他におらず、ねやでの作法はおろか、どうすれば良いのか、なにが正しいのか、無垢な娘がいささかも知るべくなかった。
仮借かしゃくない悦楽に身も世もなく泣いていたにもかかわらず、敏感だと笑っていた張のセリフは、しかし一日経ってもなぜだかなまえの記憶に強く残っていた。

とまれかくまれ余儀ないことだったかもしれない――ひもすがら鳥籠じみた居室にこもってばかり、加えて顔を合わせるのは彼くらいとあって、他の女性に比べてどこか自分の身は違うのだろうか、おかしいのだろうかと不安に駆られたなまえが、思案に余って「敏感すぎるのなら、慣れれば耐えられるようになるかもしれない」なんぞおかしな方向へ考えを飛躍させてしまったのも。

「ぅ、……」

しかしながら稚拙な指先から得る刺激は、快感には程遠い。
ショーツのなかにまで潜んだ指は、秘裂にふれるかどうかというところで萎縮したようにふるえていた。
口からこぼれるのは惨めな呻き声ばかりで、元より肉体的快楽を求めてはいない行為は作業じみており、嫌悪ばかりがいや増しに募った。
やはりやめておこうかと泣き出してしまいそうになりながらなまえは目を伏せた。

昨晩、張にふれられた際には狂おしいほどの喜悦に呑まれ、いま思い返しても目眩がしてしまうくらいはしたない狂態をさらしてしまったというのに。
あまりの悦楽と羞恥に身をよじって逃げようとするなまえを大きな手が引き摺り戻し、荒い息のまま「逃げるな」とめいじる張維新チャンウァイサンのしかめた顔が、ひどく煽情的で、脳髄が沸騰してしまいそうなほど雄じみていて――と、なまえは無意識に「は、あっ」と声を漏らした。
こぼれた声はまぎれもなく猥雑な甘みを含んでいた。
意図せず昨夜の主を思い出してしまい、いまおのれの身を這っている手が張のものだと思うと、ぞくぞくっと疼きのようなものがなまえの肌をはしった。
その想像は、彼女自身が驚くほどに身のうちを昂らせた。

「ん……あ、んぅ……」

未だちいさな、しかし明確な火種が、奥底でじりじりとくすぶるのを自覚した。
手指の動きに合わせて、徐々に脈拍が加速していくのを感じる。

目を閉じ、ようやくまともにひとり遊びにふけりはじめていたなまえは、まったくもって気が付いていなかった。
寝室の扉のところで、煙草をくゆらした主人が「さてこれどうしたもんかね」と逡巡していることにだ。

「そろそろ灰が落ちそうなんだよなー……」
「ひっ……!」

折しもあれ、降って湧いたような男の声は、娘から顔色と理性を奪うのに十分以上の威力を具備していた。
慮外の声を耳にするや否や、なまえは紅潮した顔をざあっと音が聞こえんばかりに青褪めさせた。

「まあ嫌がるだろうな」と承知しつつ、張維新チャンウァイサンは我関せず焉、無慈悲にも寝台へ乗り上げた。
灰が長くなっていた吸いかけの煙草をナイトテーブルの灰皿へ放った。
なにせ以前、寝室の床に灰を落として汚した際にすくなからず機嫌を損ねたのは、いま可哀想なほどふるえている娘の方だったのを忘れてはいなかった。
ついでにサングラスも外し、いますぐ消えてしまいたいとばかりに身を縮めているなまえを張は抱きすくめた。

「昨日のあれじゃあ足りなかったか? それはすまないことをした。無理させたかって、一応これでも反省していたんだが」
「ち、ちがっ……!」

――じゃあ、どうして。
当然向けられる問いに、なまえはまたも唇を噛んだ。
濃い紫煙を纏った男の厚い身体に包まれていると、物理的にも精神的にも逃げ場はないのだと教え込まれる心地に決まって陥るものだった。
意思とは関係なくぼろぼろと涙がこぼれ、度を超えた羞恥によってひくっと喉が引き攣れた。

快楽のためではない、様々な感情が飽和しきって溢れる涙はいっかな収まる気配を見せなかった。
泣き出してしまうくらいは予想の範疇だったが、想像以上に度を失っているなまえのありさまに、張は苦笑した。
不安定な呼吸をみせはじめた華奢な背を、あやすようにとんとんとやさしく叩いてやった。
これほど周章狼狽するくらいなら、はじめから密かに自慰などしなければ良いものをと思わなくもなかったが、夜を――張維新チャンウァイサンが訪れる時分をかつて恐怖していた娘のことだ、なにがしかの理由あっての行為だろうと察せられた。
困ったように口元をゆるませた張は「なまえ、」とやや間延びした口調で繰り返し名前を呼んだ。

「泣かせたいわけじゃないって、なまえ、お前ならわかるだろ?」

声音は聞き分けの悪い幼な子をくくめるようにやさしかった。
腕のなかに囲い込んだまま根気強く「なにがあったか言えるか」と問えば、強張りは気が遠くなるほど時間をかけてゆっくりと解けていった。

「ひ、っ……あ、あなたが、っ」
「うん?」
「ぅ……く、あなた、が――きのう、なまえのこと……び、敏感、だって言って、っ」

思わず感情が昂ってしまったらしい。
言葉を切ってまたしゃくりあげてしまったなまえの背を、飽きもせず叩いてやりながら、張は「そんなことも言ったかな」と首を傾げた。
なにしろ彼以外を知らない、することなすことに逐一反応を示さずにはいられない、ほころぶ花めいてなんらかの兆しをみせ始めた淫靡な身体を、夜な夜な蹂躙するのが愉快でないはずがなく、戯れにそのような揶揄を口にしたかもしれない。

んなことで悩んでいたのか、と張は口元をゆるくたわめた。
張に抱かれるまで、他人との性的な接触はおろか自慰も経験したこともなかった娘は、ベッドでの他愛ない徒言あだごともそれと差し置けぬものだったらしかった。
背を撫でる手は止めずに、さてどうやって機嫌を取ってやろうかとのんびり思案に暮れていた張は、しかし「だからね、」と続いたなまえの言葉に、危うく考えていたことすべてをなげうってしまうところだった。

純真な少女のように真っ赤な目元がおずおずと彼を見上げた。
死んでしまいそうなほどの羞恥が揺らす唇がたどたどしく告白した――「あなたとするの、いつも、きもちよくて、なんにもわからなくなるから……、っ、だから、きもちいいの、慣れようと……おもって」。

張維新チャンウァイサンという男は来し方行く末聡慧そうけいであり、理性的というよりいっそ厭世観に似て非なる諦観やら、有象無象に拘泥しない明徳やらを持ち合わせて――つまるところ要は、ガッとド頭に食らった衝撃と衝動とを、黙っているだけの理性がギリギリあった。
正直、紙一重だったとはいえ。

もしもここでつまらない与太だの揶揄だのぶつけようものなら、更に彼女を泣かせてしまうと思い至らなければ、全力で溜め息を吐いてなまえを抱き込んだ姿勢のままベッドへ突っ伏していたかもしれなかった。
我知らず、なにか良からぬことでも口走ってしまいそうだった。
幸か不幸か、そこまで考えを巡らすことのできた男は、しかしさすがにゆるんだ口角までは御しきれなかった。
情けなく相好を崩したまま、ワンテンポ遅れて口ぶりばかりはいかにもしかつめらしく「……なるほどな」と頷いた。

「お前も考えて行動してたってわけだ。――でもなあ、なまえ、」
「〜〜ッ、ひあぁっ!」

彼が現れてからずっと放置されていたぬかるんだ秘裂を、あくまでやさしく、ただし唐突に撫でられてなまえの細腰がびくっと跳ねた。
桃色の唇から発情をアピールするかのような嬌声がほとばしる。
既に濡れていた膣壁は突然の異物に違和感も覚えずに男の指を咥え込み、それどころかくちゅっと淫らな音を立てて嬉しげに収斂した。
とまれ肉体の反応とは裏腹に、突然の乱行らんぎょうになまえはまた惑乱してしまったようだった。

「や、ぁあッ、んっ……な、なにっ……!」
「むしろ前より、よっぽど敏感になってるんじゃないか」
「えっ、あ、あ、だめ、そんなにしちゃ、ああァっ」
「向上心……いや、この場合は反骨精神ってやつか? ともあれ自分で考えて実践しようってえ気概は結構だが――抱かれるごとにやらしくなってくんなら、自分でさわりゃあ余計に敏感にもなりそうなもんだって気がするけどな。俺は」

こんなはずでは、どうして、と混乱と絶望で顔色をなくしているなまえを、悪辣あくらつな男はそれはそれは愉快げに見下ろした。
軽薄に笑いながら張はいけしゃあしゃあのたまった。

「慣れる手伝いをしてやろうな、なまえ」

どれだけ前のことだったか。
金糸雀カナリア」なる僭称せんしょうが彼女を指すより前のこと――快楽を悪いものではないと、甘受するよう、それどころか貪欲に求めるよう、手ずから躾けた幾年も前のことだ。

「――っ、だんなさま、なに、お考えになって……っあ、」
「ん? ああ……。――悪いと思ってるさ。だから、なまえ、ンな目でめつけてくれるなよ」

淫蕩にとろけた表情を隠さないなまえが、しかし眼光ばかりは責めなじるように張を見上げてきていた。
涙を纏わせた眼差しは、上の空の男を非難する険を含んでいた。
最中に別事に気を取られて女になじられるなんぞごく稀だったが、なまえを抱いている折、いつの間にか昔のことを思い返していたらしい。

「つい、昔のことがよぎってな」
「ふ、……だんなさまが思い出ばなしなんて、めずらしい」

愛らしい口角を揶揄するように歪めた女は「どなたのことをお考えになっていたのやら」と微笑んだ。
生意気な弧を描いた唇を崩してやりたくなり、ぐっと最奥を突き上げると、「ひ、ああぁっ」と甘ったれた悲鳴が高くあがった。

「お前の泣き顔見てたら思い出したんだよ、なまえ。昔、俺に――“敏感すぎるって笑われた”ってぐずって泣いた女のことを、な」

良かったな、ご希望通り随分と慣れたもんだと、男はいかにも不遜にほくそ笑んだ。
なんのことかと息も絶え絶えに眉をひそめたなまえが、張が言い表した「女」とやらの正体に思い当たり、滅多になくかっと赤面してしまうまで――あと、三秒ほどだ。


(2021.07.16)
(2024.02.11 改題)
- ナノ -