「ようやくお迎えだってのに、なんだ、歓迎会の準備はしてこなかったのかよ」
「首吊り用の縄を取りに寄り道でもしているんじゃない? それよりレヴィ、お耳を貸してくれる?」
「あン? んだよなまえ」

内緒話を持ちかけるように口元に手を当ててなまえが顔を寄せてきた。
二心あるまい和順なジェスチャーと呼びかけに疑義を呈す必要があるだろうか、隣にいたレヴィは無造作にひょいと上体を傾けた。
右腕のトライバルタトゥのみならず四肢のほとんどを露わにしている彼女へ、手招いた金糸雀カナリア不必要なまでに・・・・・・・体を寄せた。

そのさまは、立ち位置によっては、なまえの上半身がレヴィにぴったりと重なっているように見えた。
あたかも白いワンピースに包まれた肢体が、そのやわらかさを惜しげもなく与えているかのように――取りも直さず情感たっぷりに抱擁しているかのようにだ。
たとえば、事務所へ上がってこようとしていたラグーン商会の他メンバーたちから見れば。
たとえば、丁度、降車したばかりの彼女の飼い主からだとか。

――「あのひと、とっても素敵だと思わない? ああ、数時間程度とはいえ御許みもとから離れているの、つらかったわ……」云々、女の囁きは顔を寄せられているレヴィ以外には聞こえなかった。
心底どうでも良い、愚にも付かない戯言たわごとは、しかし耳に入れざるをえなかった彼女の神経を逆撫でするには十分だったらしい。
飼い主が不在の間、小鳥のおりを仰せつかっていたレヴィは、その場にいる全員を蜂の巣にしてもなお釣りがくるほどの不愉快そうな凶相で唸った。

「……ンなことよぎった自分にトリハダが立ってるが――ひょっとするとテメェ、立てなくてもいい波おっ立ててやろうと、わざわざ旦那が見てるときにちょっかい出すマネ仕掛けたんじゃねーだろうな」
「うふふ」

レヴィは脱力してその場でしゃがみこんで「ヒマ潰しに巻き込んでんじゃねーぞ……」と呻いた。
ぶっちゃけたところこれが厄介な「金糸雀カナリア」でさえなければ、さっさとホルスターからカトラスを抜いて血煙に変えていただろう。
ともあれ数刻ほど前、彼女が請け負った仕事はあくまでなまえの保護であって、害鳥駆除ではないのだ。
極めて残念ながら。

「なあ、なまえ、撒き散らしてるそのハートをよ、仕舞い込めるか? クッソうざってえ。事務所ここの床、汚しちまったら掃除すんのはこっちなんだよ。つまりだ、あたしがゲロ吐いちまう前にお前を黙らせるのも、手間ァ省く“正当防衛”ってワケだ。違うか?」
「過剰防衛って言葉は知っていて? それに、それじゃあどちらにせよ床が汚れてしまうじゃない」
「その労を取ってやろうッて言ってンだ。このあたしがよ」

香港三合会トライアド張維新チャンウァイサンの依頼により、レヴィ以外のラグーンの面々はそれまで不在だった。
はべらせていた金糸雀カナリアを指して「その間、これ・・の面倒を頼むよ」とさらりとのたまった依頼主のせいで、なまえはラグーンの事務所にて大人しく待機していた。
が、待ち焦がれていた飼い主の姿を見て頭のネジでも飛ばしたのかもしれなかった。

――いや、最初ッからハメるネジ自体、無くしてるみてェな女だしな。
レヴィは内心ボヤいた。
常になく虚脱状態を示しているラグーン商会の女銃手ガンマンに、元凶たる小鳥は「あら、でも旦那さまが素敵なのは事実でしょう?」と囀った。
もっとも、なだめるような語調に反して愛らしい桃色の唇は三日月の形に割れていたが。

「チッ、鉛玉が食いてェか? ならはじめッからそう言えや。直接ブチ込んでやるぜ、性悪女の胃袋に」
「まあ、あなたに自殺願望があったなんて。旦那さまの御手をわずらわせてはいけないわ、レヴィ」
「おうよ、わかった、この際お前の飼い主にどやされるのは仕方ねェ。そりゃあたしだって旦那にカトラスを向けようなんざ、手前がクソ踏んで引っ繰り返っても思わねェ。が――金糸雀カナリアのために一肌脱いでやるよ。神サマにお祈りは済ませたンだろうな?」
「どうしようかな、レヴィったら今日は随分とご機嫌ななめなのね? 旦那さまにお祈りするより、わたし、ご本人にお会いしたいけれど」

片や「ラグーンの二挺拳銃」、片や「三合会の金糸雀カナリア」の、だらだらと続く物騒な会話に水を差したのは、前者の同僚、相変わらず几帳面にネクタイを締めた水夫だった。
一足先に事務所に戻ってきたロックは、彼女たちのありさまにわかりやすく眉根を寄せた。

「……なまえさん、そこら辺にしてもらっていいですか。あんたが帰った後、誰が八つ当たりくらうと思ってんだ」
「あら、ロック、お疲れさま。だって旦那さまがお戻りにならないんだもの。その間、レヴィとおしゃべりを楽しんでいるのがそんなにいけないこと?」

幼な子めいた純真さすら漂わせて問うてくるなまえとは裏腹に、レヴィが苛立たしげな噛み跡のついた煙草を吐き捨てた。
口角をひん曲げて「そいつァ初耳だぜ、金糸雀カナリア」と呻いた。

「こっちの耳が腐ってるッて大層ナメた可能性・・・に賭けたとしてだ、なまえ、誰が誰と“おしゃべりを楽しんでた”って?」
「わたしとあなた」
「オーケー、テメェとの齟齬ってやつを解消するとしようや。安心しな、コイツで一発で済む」
「ねえ、ロック。旦那さまはまだかしら?」

首を傾けるなまえの目には入らないのだろうか。
シューティンググローブに包まれたレヴィの手が懐へ伸び、かつ我慢の限界を訴えるようにわなわなと不穏な痙攣を繰り返しているのが。

「いやもう来るはずだから」とロックが情けなく眉を下げたところで、ようやく待ち望んだ――おそらくその場の誰もが――張維新チャンウァイサンが、葉巻とまがうほど香り高い黒煙草をのんびりとくゆらしながら現れた。
急速に深まりつつある宵の口といえど、トレードマークじみたサングラスは平生通りだったが、生憎と、表情や顔色をくらますそれがあっても尚以なおもって相貌は呆れの色を隠しきれていなかった。

「なーに余所サマに迷惑かけてんだ、なまえ。まさかとは思うが、俺が不在のときいっつもこんな醜態をさらしてんじゃないだろうな」
「まあ、旦那さまったら。なまえがそんなことするはずないでしょう? それに、迷惑だなんてとんでもない」
「いやなまえさん、迷惑云々はこっちのセリフでは」
「ね、旦那さまっ、はやく帰りましょう、レヴィがなまえをいじめるんです」
「……ベイビィ、楽しみにしてるぜ、ぜってえ穴だらけにしてやッからな、なまえ……」

地を這う声とはこのことか。
一周回ってうっすらと剣呑な笑みすら浮かべ始めたレヴィに、次いで現れた彼女の雇用主――ダッチまで諸手を挙げて同意した。

「張さん、はやいところ金糸雀カナリアごとお引き取り願うぜ。さっさと帰れってな――客を叩き出すような無作法には目をつぶってくれるものと信じてるが。うちの銃手がキレて、大事な小鳥を羽一枚残さず喰っちまっても、“穢れなき処女”なんぞ俺らはひり出せねェもんでね」
「発注したのはこっちとはいえ、小鳥のおりに二挺拳銃トゥーハンドてたのはお宅らの判断だったはずだがね。ま、大人しくお暇させていただくよ、ダッチ。ベビーシッター代にストレス手当と、多少、色を付けといてやってもいい」
「そりゃ重畳」
「ああ、悲しい。わたし、嫌われてしまったかしら……。お世話になりました。またね、レヴィ」
「二度とツラ見せんな」

くすくすと笑ってなまえが白い手を振った。
泰然たる喪服じみたスーツの紳士と、尼僧服めいたワンピースの淑女の取り合わせが辞去する前景は、まるで一幅の絵のようだった。

揃って乗り込んだ黒い車の後部座席で、張は辟易したように「彼女レヴィにはご愁傷様とでも言ったもんかね。お前に気に入られるなんざ」と肩をすくめた。

「お前の“お友達アセット”ってわけでもなかろうに。歪んだ愛情表現ってやつか? うそ寒いな」
「だってあの子はおのれの損得勘定を抜きにして小鳥とおしゃべりをしてくれますから。この街では稀有だわ――とっても。あくまでわたしの印象ですけれど、ロックを迎えてからはその傾向が顕著だと思います。なにより“金糸雀カナリア”へ夢も願望も向けませんし。それに、ふふ、はやく大廈へ戻らなければならなかったのは事実でしょう? 旦那さま、そんなお顔をしていらっしゃいましたもの」

どこか楽しそうに囀るなまえはまるきり反省の意思はないらしい。
そもそも反省の必要性すら感じていまい。
張は口の端でジタンを揺らしながら嘆息した。

「……付き合わされるあっちは堪ったもんじゃねえだろうが」
「ふふ、旦那さま、妬いてくださいましたか?」
「は、勘弁してくれよ、女にまで妬いてりゃ世話ないわな」
「あら、あなたのおっしゃるところの“お友達”、もしかして男性だけだとお思いですか。なまえにふれたがるのが異性だけだと?」
「……程度ってもんがあるぜ、小人閑居にも。どんだけたぶらかしゃあ気が済むんだお前」
「そうですね、旦那さまがなまえをご覧くださるまで」
「欲深いのも大概にしてくれよ、なまえ。俺の掌中にいてまだ足りねえのか」
「まさか! 満ち足りています、これ以上ないほど」


(2021.04.01)
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