「ねえ、ステラもわたしがわがままだって思う?」
「いえ、なまえ様は決してそのようなこと」
「でしょう? なのにね、夕里子ったら……お前の傲慢さには辟易する、なんて言うんだよ。“羨ましい、なまえ、お前は自分の罪に気付いていない、その愚かさにすら無自覚でいられるのですね”って」
「まあ……」
「もう、なんのことやら。夕里子の言うことは難しくてよく分からなくなっちゃう」

そのときの夕里子の真似をする。
身の程を知るがいい、と、つんと顎を上げると、ステラは苦笑とするにはやわらかい笑みで「なまえ様はそんな表情もお似合いになるのですね」と頬をゆるめた。
そう言うステラには、やさしい微笑がとても似合う。
人間の情動を慈しむような、あるいは、その情動というものそれ自体に淡い憧憬を抱いているような。

彼女におだてられて気を良くしたわたしは、また紅茶を一口すすった。
好きだと明言していることもあって、ステラは紅茶を淹れるのがとても上手だった。
お気に入りだという、辺境の星系で生産されている茶葉は、残念ながらわたしの口蓋の発達が追い付いていないせいで、未だに名称を挙げて褒めることが出来ずにいるけれど。
そのたびにプライマリの教師めいた根気強さで、正しい発音を聞かせて教えてくれるものの、ステラの明るいローズピンク色の唇がいつものやさしい微笑を刻んだまま、文字化不可能な動きを見せるものだから、わたしはこのところ、そういう音の羅列のようなものだと認識して聞いている。
とはいえ、わたしがもどかしそうに「あれが飲みたいな――なんだか難しい名前のあれ」と迂遠うえん極まる注文をすれば、彼女はやはりいまのような苦笑をこしらえてみせ、「ええ、お淹れいたしましょうね」と首肯してくれるので問題はなかった。
ステラが楽しそうに紅茶を淹れてくれて、「美味しい!」と声をあげるわたしへ、彼女が嬉しそうに相好を崩してくれれば――そして実際に紅茶が美味しければ、オールオッケーである。

キャプテンの好みによるものか、枚挙にいとまがないほど娯楽に溢れている船内において、わざわざ湯を沸かし、茶葉を蒸らして、といった工程、手間を要する「お茶の時間」は、ある種の贅沢、娯楽だと思っていた。
己れの娯楽に興じているステラを目にするのは、わたしの楽しみといっても過言ではない。

研究ラボの簡素なスツールに向かい合って腰掛けたわたしたちを包むのは、紅茶の香りと――それに引けを取らない花の香り。
いまにも開きそうな花の蕾は大きく膨らみ、開花のときが待ちきれぬとばかりに、既に芳香が漂いはじめていた。
甘ったるすぎない、どこか乳香に似た香りは、育てている本人に似て品が良く、そばにいると穏やかな気持ちにさせてくれるものだった。
蕾たちが花開いた時分には知らせてもらう約束をしているわたしでさえ、ほころぶのは今日だろうか、明日だろうかとそわそわしているのだから、鞠育きくいくしているステラの楽しみはどれほどのものか。

美しいものが美しくあるさまを見るのは、心地いいもの。
俎上に上がった夕里子も、美しさに目をみはることはなはだしいものの、とまれ、その傲岸さは、お茶請けにするには少々余るだろうか。
――などと考えていることが露呈してしまえば、きっと彼女には「クズが」と吐き捨てられてしまうのも想像に難くない。
難くないどころか、こうだろうかああだろうかと顔かたちを思い描く必要すらない――なにしろ前科があるため、ただ思い出す・・・・だけで良いのだから。
あのときの夕里子の眼差しは、なにかろくでもないことを吐いた際の沙明へ向けるものと酷似していた。
非常に不名誉なことに。

「恐れながら――夕里子様は物事の本質を見抜く目をお持ちですが、人を遠ざけようとするお言葉を選ぶ傾向がある、と。そう述べてもよろしいでしょうか」
「なあに、それって、夕里子の言う“傲慢”は、わたしの本質ってこと?」
「ふふ、いいえ、なまえ様はお優しい方。わたしのような人形にもお気を配ってくださいますもの」
「……またそんなこと言う。それについては前にも伝えたけど、わたしはステラのことを人形だなんて思ってない」

唇をとがらせていると、ステラはきかん気な妹をなだめる姉めいた微苦笑を浮かべた。
最高の職人がカットした翡翠を思わせる瞳を、なにかを躊躇うように伏せる。

船外環境の影響を受けないよう、研究ラボは完全に窓を排しているものの、周辺宙域の様子を示すパネルがあたかも絵画のように整然とディスプレイされていた。
表示された輝く黒い宙は、いつまで経っても見飽きない。
手で掬い上げようものなら、そのまま水銀のように珠となって、ころころと転がっていくよう。
珍しく沈思に時間を割いている彼女を待つ間、のんびりと黒い宙を眺めながら、また一口紅茶を嚥下した。

「――おや、こんなところで人形遊びとは。感心せんな、なまえ」
「わたしがどこでなにをしていようと、あなたに関係ある? それに“人形遊び”について、とやかく言われたくないな――他でもないあなたには。ジョナス」

突然現れるなり、まるでたしなめるような語調でご挨拶なことを吐いたのはジョナスだった。
わたしは本日一番の渋面で見上げた。
船長なのだからどこへ足を運ぼうと、こちらが四の五の言う権利はないのは重々承知だけれど、彼が研究ラボまで来るなんて滅多にないこと。
なにをしにきたのだろうといぶかしむのも道理だろう。
胡乱な眼差しで見上げていると、ジョナスはうやむやにするような芝居がかった口調で「詮ずれば“人形遊び”とは、」云々、語り出した。

「対象の自我を要さぬ点において……フフ、他者の存在を弄することと同義ではないかね? ならば不相応と言わざるをえまい。なにしろこのジョナス、こうして真摯に対応している現状を鑑み――」
「あーもう、うるさい! 折角ステラと女子会してるのに! “百合に挟まれたがる男はすべからく死すべし”って千年くらい前の名言、ジョナス、知らないの?」
「む……」

どうやら知っているらしい。
さすが博識なD.Q.O.の船長さん、十世紀程度、万世の隔たりは問題ではないとみえる。
知らないなら知らないで腹立たしいとはいえ、ジョナスが既知となるとそれはそれでなんとなく気持ち悪い――とは、さすがに口にはしなかったけれど。
わたしにだって、グノーシア汚染されたルゥアンから助けてくれた命の恩人に対して、気持ち悪いとか言っちゃったら酷いかなあ等々、躊躇するくらいの分別はあるのだ。

それかあらぬか、ジョナスは痛いところを突かれたとばかりに押し黙り、大人しくラボから退散していった。
……なにをしに来たんだろう、あのひと。
ステラの主人なのだから、彼女へ用向きがあったのだと考えるのが自然。
しかしジョナスもステラも、結局、特に言葉を交わすことはなかった。
彼の言動を理解できたことなど一度たりとてないとはいえ、やはりなにをしに来たのか分からない。

「……なまえ様は。ジョナス様と、仲がよろしいのですね」

ステラがぽつりと呟く。
非常に珍しいことに、飲み込みにくいものを無理やり嚥下するのを強いられているような面持ちだった。
明晰な、それでいて人当たりの良い微笑と声音を更々揺るがすことなんて滅多にないステラが、どこか動揺しているらしい。

「やめて、怖いこと言うの……。それに、付き合いの長さならステラに負けるでしょう」
「それはそうですが……」

言いよどみ、逡巡する表情はやはり珍しい。
珍しいことは重なるもので、思案顔の彼女は、わたしが手を伸ばしても反応を見せなかった。
弾かれたようにステラがわたしを見上げたのは、既に睫毛すら接触せんばかりに頬を寄せる段になってからだった。

「――っ、なまえさま、」

重なった唇は、驚くほどやわらかい。
いつまでもこうしていたいとうっとりしてしまうほど、ローズピンクのちいさな唇は甘美。
ふれるだけの淡い口付けは、花と紅茶の香りの余韻を纏っていた。

「ステラったら。キスするときは、目を閉じているものだよ」
「……こういう、ことは……殿方とすべきではありませんか。なまえさま」

「他に言うことあるでしょう」と揶揄する気にもならなかったのは、翡翠めいた瞳がそれはそれは美しかったから。
やや垂れ気味の甘い翠瞳すいとうが、大きく見開かれている。
そこに嫌悪や拒否の色を見出すことはついぞ出来なかった。
――ああ、そんな顔をするから、わたしだって期待してしまうのに。
ステラに責任転嫁してしまう思考を自覚して、笑みがこぼれる。
こういうところが夕里子に「傲慢」なんて言われてしまう所以ゆえんなのだろうか。

「ふふ、ステラにも知らないことがあったんだ」

左の目元のほくろに指先でふれ、そのまま、瞳より僅かに明るい色合いの髪を、ついと耳へ髪をかける。
その際、形の良い耳朶に結先がふれてしまい、ぴく、とステラの華奢な肩が揺れる。
彼女の愛らしい反応は、ますますわたしを増長させてしまうには充分たりえた。
内緒話をするように顔を寄せたまま、ステラ以外の誰にも聞こえないほど――もしかしたら彼女の向こうのLeViにすら――ちいさく囁いた。

「“こういうこと”はね、好きなひと・・・・・とするんだよ」


(2021.05.07)
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