暗い部屋に満ちる衣擦れの音。
荒く忙しない呼吸音。
噛み殺しきれなかった嬌声。

頭のどこか冷静な部分が囁いた。
「喜べ」。
――どれひとつを取っても、わたしを絶望させるにはあまりあった。

は、と落とされた彼の吐息が耳元をかすめる。
びくりと肩が跳ねた。
シーツをきつく握り締めていたてのひらは、いまや別の意図をもってそこへ縋りついている。

ベッドに俯せていたわたしの背後から、圧し掛かるようにして赤井さんが覆いかぶさっていた。
長い下肢に見合ったしなやかな二本の腕は、まるで檻。
頭の横に落とされたそれだけで、動けなくなってしまったわたしは臆病だっただろうか。
彼がそうして容易にわたしをベッドに縫いつけているさまは、比喩ではなく正(まさ)しく牢獄だった。

「は、っ……! ふ、ぅ……っ、」

シャツのボタンは全て沖矢さんによって外されていたことを今更ながらに思い出す。
赤井さんの乾いた大きな手が、わたしの剥き出しの腹を撫でていた。

「どうした、声を抑えるな」

低くも妙に艶のある、深い夜闇を思わせる声がわたしのうなじを撫でる。
触れるかどうか程度のゆるやかな刺激で脇腹や背筋をなぞられ、呼吸が浅ましく上がっていく。
時折いたずらに爪を立てて引っ掻かれ、それだけでびくっと腰が揺れてしまうのを堪え切れない。
唇を噛んだまま、嫌々と首を振った。

「だ、だって、そと、沖矢さんがっ……!」

言を俟(ま)たず、隣のリビングには未だ沖矢さんがいるだろう。
彼にあられもないわたしの媚声が聞こえてしまうなんて羞恥には、到底耐えられそうになかった。
しかし途切れ途切れに必死に訴えるも、絶妙な力加減で肌をなぞる赤井さんの手は止まってはくれない。

――いっそのこと強く掴み、爪を立て、嬲ってくれたら。
そう欲してしまうほどに、いっそ優しげな手付きは地獄のような疼きを齎(もたら)した。
まるでわたしに逃げる余地を、選択肢を与えているかのように。
なんて迂遠な――わたしが逃げられないことなど重々承知であるくせに。

羞恥と快楽と背徳とが、混濁していた脳裏を更に掻き混ぜていく。
暗々裏に、赤井さんの大きな手がブラのホックを外す。
そのまま乳房を握り込まれた。
胸の膨らみを嬲(なぶ)るように揉みしだかれ、濡れた息が跳ねる。
てのひらで中心の突起を擦られれば、情けないほど容易にそこが硬く尖っていくのを自覚せざるをえない。
捏(こ)ねるように乳首を摘ままれる。
胸を隠そうとするものの、背後から彼に圧し掛かられているため身動きも取れない。
直接的な快楽だけを一方的に与えられ、わたしはただ強制された伏臥位から逃れることも出来ない。

秒針のない壁時計が音もなく時を刻んでいく。
ベッドに背後から押さえ付けられ、シャツに腕は通したまま、ホックは外されているとはいえブラも上にずり上げられただけの有り様だ。
まるで無理やり犯されているような性急さと乱雑さに、目眩がする。
――いや、どこが違うというのだろう。
比喩などではなく、ごく単純な事実としてこの行為は蹂躙であり陵辱だった。
出口のない迷路で、ただ同じところをぐるぐると無為に歩き回っているような心地がした。

「は、あっ! 赤井さんっ、やめて、くださ、あ、ぅ、んぅっ……!」
「聞かせてやれ、あいつもお前の声なら喜んで聞き耳を立てているだろうさ」
「そんな、あ、あっ……ひ、ああぁっ!」

ぐっと下着を引き下げられる。
すう、と秘裂を空気が撫でる感触がし、ぎくりと身を強張らせた。
興奮に膨れた媚肉をてのひらのなかで弄ばれ、びくびく下肢が跳ねる。
濡れた狭孔を彼の左手の中指でぐちゅぐちゅと掻き混ぜられ、聞くに堪えない淫猥な音が耳につく。
そこが既にたっぷりと蜜を滴らせていることを理解する。

「は……随分と濡れてるな? あいつに抱かれると思って、それほど興奮していたか」
「や、やだ、ちがう……違うんです、赤井さんだと思ってたから、あのときは、あのひとが、――沖矢さんが、」
「なまえ、今度は俺に抱かれながら、あいつの名前を呼ぶつもりか?」

嘲笑まじりの鋭利な言葉に、胸の奥を突かれる心地がした。
心のやわらかなところがぞっとするほど冷えていく。
ひとつひとつの文字の羅列が、どうしてこれほどまでにひとの心を鮮烈に抉ることが出来るのだろう。

先程までギリギリのところで堪えていた涙が、とうとう堰を切ったように溢れ出した。
ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ、シーツに染みを作っていく。
口内へ伝った雫は塩辛く、鋭敏になった五感が嬉々として右脳にその味を伝える。

「あ、あ、ぅっ……!」

頑なにシーツに縋りつき、一向に言うことを聞かぬわたしに痺れを切らしたか。
赤井さんが、チッと面倒そうな舌打ちをひとつ。
びくっと肩が揺れてしまったことなど、わたしを組み伏せる彼にはようく見えただろう。
従順さなど欠片もないわたしに呆れてしまったのかと、この期に及んで行為そのものよりもずっと怯えている自分に疎ましさばかりが募る。

「ぅ、ああっ……!」
「ッ、は……久しぶりだからか? 随分とキツい……それとも、」

確かにしとどに蜜を湛えていたとはいえ、十分にはナカをほぐされていない膣は、異物を受け入れるのに抵抗を示した。
しかし彼に腰を強く掴まれ、その凶器じみた雄肉を咥えさせられる。
胎内を強引に押し拡げられる痛みに、意識が白む。

「――あいつに聞かれて興奮しているのか?」
「くっ……う、ううっ……!」

違う、と言い放つことが出来たらどれほど良かったか。
熱い先端を無理やり押し込まれたかと思えば、赤井さんはぐっと前傾した。
無慈悲に最奥まで大きなものを埋められ、はくはくと空を噛む。
押し潰され、圧迫された肺が酸素を求めて大きく膨らんだ。
背に赤井さんの熱を感じ、腹奥がまた潤むのを感じた。

涙で濡れ冷たくなったシーツに頬を埋める。
強く香る煙草のにおいに、引き攣れるように胸奥が痛んだ。
与えられるのは香りと声ばかり――いいや、加えて、雌の快楽か。
不健康そうな目の下のクマすらも最早懐かしい。
背後にある白皙の美貌がどのように歪んでいるのかさえわたしは知り得ない。
いまわたしを抱いているのは赤井さんだというのに、ほんの少し振り返って彼の表情ひとつ確かめられやしないのだ。

肉のぶつかる音と、ベッドの軋む音。
結合部から、ずちゅ、ぬぢゅ、と粘ついた水音がひっきりなしに鳴る。
そして互いの吐き出す荒い呼吸。

「ああぁっ! あぁふ、うああぁんっ……やぁっ、ぅあ、赤井さんっ、あ、だめ、だめぇっ」
「っ、は、……なにが駄目、だ。そう善がるな。あいつどころか近所にも聞こえるんじゃないか?」
「ッ、うっ、ふぅっ……いやあぁあっ! やらぁっ……赤井さん、あかいさぁんっ……!」

声を抑える余裕も理性もなかった。
律動は容赦などなく、肉体だけではなく思考まで揺さぶられバラバラになっていくようだった。
逃げられぬよう腰を強く掴まれ、胎を抉るように突き上げられる。
鼻先でちかちかと火花が散る。
リビングと寝室とを隔てるのは薄いドア一枚。
きっと沖矢さんにもわたしの媚声ははっきりと届いてしまっているに違いない。

冷たいシーツに両手で縋りついたまま、延々とわたしは淫らな声をあげ、鬱屈した感情と共に幾度も絶頂に達した。


(2019.01.20)
- ナノ -