ふっとなまえの意識が浮上します。
なまえは見慣れた自室、その浴室におりました。
大きく枠取られた窓からは陽光が降り注ぎ、白を基調とした浴室内を明るく照らしています。
茜がかった陽射しから、そろそろ薄暮という頃合いでしょうか。

浴室の中央に据えられた真っ白なバスタブにはなみなみと湯が張られ、なまえはゆったり横たえられておりました。
湯には、屋敷を囲む花園から摘んだ薔薇の花弁がたっぷりと浮かんでいます。
ゆらゆらと揺蕩(たゆた)う、水面を覆い尽くさんばかりの深紅の薄襞たち。
薄い花弁の一枚一枚に、完璧に同じ色のものはありません。
複雑な緋色のグラデーションは、目にも鮮やかでした。
香油も垂らされているのでしょう、馥郁たる芳香がほのかに漂っております。
毎日こうして薔薇に囲まれ、触れ、浸かるこの館の娘たちの肌は、堪らなく馨しいのです。

「……目が覚めたか」
「ん……ら、ライ?」

浴室にはなまえひとりではありませんでした。
バスタブの横で彼女の身を清めていたのは、屋敷の者のひとり、ライでした。
長い黒髪を後ろで結い、白いシャツの袖を肘上まで捲り上げています。
逞しい腕が惜し気もなく晒されておりました。

「ライ、煙草はだめだよ」
「……火は着けてない」

この屋敷の者は、漂う薔薇の香りを損なわぬよう、館内での喫煙は禁止されております。
本当は喫煙したいのでしょう、口の端で煙草を咥えたまま、ライが顔をしかめました。

常ならば、なまえのお世話係のバーボンが入浴の手伝いをするのですが、彼の姿は見えません。
なまえが不思議そうに小首を傾げていると、すぐになにを考えているのか察したのでしょう、ライが口端を歪めました。
彼がそうして皮肉げな表情をすると、見る者にぞくりと背筋を震わせるような――仄かに胸奥が騒ぐような心地を与えます。
なまえも例外ではなく、一糸纏わぬ裸体のまま、湯のなかで微かに身動ぎしました。

「バーボンはあの魔女に呼ばれて手が離せんそうだ」
「……ベルモットに?」

ああ、とライが首肯します。
――あれはいつのことだったでしょうか、不躾な客のひとりがベルモットのことをお客様に奉仕する娘と勘違いし、下品な言葉を投げかけたことがありました。
振り向いたベルモットのそのときの顔ときたら。
元著名な女優でもあった彼女の美しい顔貌は、ぞっとするほど冴え冴えと冷え切り、それまで不遜ににやついていた男から表情を奪うにはあまりありました。
例え客といえど、この屋敷を管理するひとりである彼女にそのような無礼を働いて、穏当に済むはずもありません。
ベルモットに付き従っていた従僕に引き摺られて行った男。
彼のその後については、なまえにも知らされてはいません。
知る必要もないことでした。

「ん、んうぅ……」

ぼんやりと回想していたなまえは、熱っぽい溜め息を吐きました。
つややかな白磁の肌を、湯が滑り落ちます。
不愛嬌な口調とは裏腹に、ライの手付きは大層優しいものでした。
骨ばった男性らしい大きな手が、ゆっくりとなまえの肌をなぞります。
彼の手指はごつごつと節くれ立っているというのに、指先は驚くほどやわらかく、繊細でした。

それはほんの数刻前まで淫らな狂乱を繰り広げていたなまえには、とても心地よい感覚でした。
丁度良い湯の温度と相まって、またも意識がとろとろと微睡んでまいります。

「――っあ、ひゃあぁんっ」

しかしライの大きな手が、秘められた奥園をかすめた瞬間。
なまえは甘ったるい嬌声と共に、びくんっと大きく痙攣してしまいました。
ばしゃん、と湯が跳ねます。

「……おい」
「ご、ごめんなさい……っ、」

ライが不機嫌そうになまえを睨みます。
着ていた白いシャツはびっしょりと濡れてしまっておりました。
彼はただ、胎内にたっぷりと注がれた精液を掻き出しているだけなのです。
これは単なる作業であり、なまえの快楽のためではありません。
なまえは身をすくませ、小さく「ごめんなさい」と繰り返しました。

ライが溜め息をつきます。
反応せぬようなまえはバスタブの縁をぎゅっと握り締めました。
隘路を押し拡げるように長い指が侵入してきます。
しかし彼のごつごつした指で膣粘膜を優しく引っ掻かれると、なまえはぴくっぴくっと痙攣してしまうのを堪えられません。

「ひ、んんっ……」
「……俺は構わんが、体がきつくなるのはお前だぞ」
「わ、わかって、るぅ……」
「この後"余興"にお前を出すそうだ。無駄に体力を使うなよ」
「う、うんっ……ぁ、ふ……ッ」

この後もお客様への奉仕は続くのです。
身を清めるたびに興奮していたのでは、身が持ちません。
館には大きな舞台があり、日に幾度か淫らな「余興」が行われております。
数多のお客様の前でどんな爛れた交歓が行われるのか、まだなまえには分かりませんが――ライの言う通り、これ以上体力を浪費するのは好ましくありません。

しかしながら、腹奥にたっぷりと射精された名残をようやく掻き出し終えた頃。
なまえはぐったりとバスタブの縁に頭を預けておりました。
感じないようにとなまえは必死に我慢しておりましたが、ライの指で幾度か達してしまっていたのです。
彼女が忙しなく呼吸するたび、水面に浮かんだ薔薇たちがちゃぷちゃぷと揺れておりました。
ぬるま湯のなか、瑞々しい白肌は内側から火照り、目もあやな桃色に上気しております。

「は、あぁっ……はッ、う……」
「大丈夫か?」
「だ、だれのせいだと思ってるの、ライ……」
「テメェが原因なのは間違いないが」

はあはあと息も絶え絶えななまえを見下ろし、にべもなくライが言い捨てます。
とうにシャツはびっしょりと濡れてしまっていたがために、もう諦めたのでしょうか、着衣のままなまえを湯から抱き上げました。

濡れたなまえの柔肌には、ところどころ薔薇の花弁が張り付いております。
窓から差し込む陽光に照らされ、それはそれは美しい光景でございました。

ふわふわのタオルで拭かれ、ふう、となまえが一息つきます。
やわらかなタオルからも薔薇の微香が漂っておりました。

ライがはやく煙草を吸いたいと考えていると、彼のシャツを、くい、と躊躇いがちな指が引っ張りました。

「……どうした?」
「あ、あのね……いつもは、よく出来ましたって、バーボンが、」

キスしてくれるの、となまえがおずおずと呟きます。
気遅れしたように途切れ途切れの言葉はか弱く、男ならば誰でも思わず抱きすくめてやりたくなってしまいそうなほどに庇護欲を掻き立てるものでした。

頭上から、はあ、と深々と溜め息を落とされます。
やはり迷惑だろうかとなまえが俯いていると、節くれ立っているにもかかわらず繊細な指先に、つい、と顎を持ち上げられました。

「ぁ、……ら、ライ……ん、んぅ……」

舌先でぬぷりと唇を舐められ、反射的になまえは口を開きました。
なだめるように舌を吸われ、なまえの桃色の唇から、は、と熱い吐息がのたうつように漏れ出ます。
口腔内でくちゅり、と卑猥な水音が鳴ります。
ぞくぞくっと疼きが足元から這い上がってくる心地がしました。
思わず膝がふるえましたが、ライにぐっと腰を抱かれ、崩れ落ちるのは免れました。

実のところ、バーボンとのご褒美のキスは、唇と唇を重ねる程度の軽いものでした。
しかし正直にライに伝えてしまえば、彼はきっとこの戯れをさっさとおしまいにしてしまうでしょう。
悪い子のなまえは口を噤(つぐ)み、心地よい酩酊感にうっとりと酔いしれておりました。

「ん、ぁ、ああぅ……」
「ッ、は……これで満足か」
「ぅ、やらぁ、ライ、もっと……」

チッ、と舌打ちが漏れます。
しかし繰り返し重なる唇は、堪らなく情熱的で、抑制された欲望を叩きつけるかのように嗜虐的でした。

――またも下肢を汚してしまったなまえが、再び湯浴みしなければならなくなってしまったのは、言うまでもありません。


(2019.06.07)
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