森奥にひっそりと隠された洋館は、木々に埋もれるように建っております。
鬱蒼と続く深い森に飽きかけてきた頃にようやく屋敷が姿を見せると、初めて目にする者は皆、その絢爛豪華なさまに息を飲んだものでした。
館は色とりどりの花々が咲き乱れる庭園に囲まれています。
最も数が多いのは薔薇です。
庭ばかりではなく、館内のあちらこちらにも活けられているためでしょうか、むせかえるような馥郁たる香りは、屋敷のどの部屋にいても感じられました。

しかしただ華美なばかりではありません。
優美さを些かも損なわない暗い飴色を基調とした調度品の数々、微かに流れている淑やかな音楽、そして――館全体に満ちている、肌にまとわりつくような淫靡な空気。

今日のお客様は、どんなお方なのでしょう。


・・・



なまえはいつものようにふかふかのベッドで目を覚ましました。
天蓋に垂れこめた薄いベールを開き、愛らしい装飾が施されたベッドルームスリッパに足を包みます。
いつものように食事や風呂を済ませ、宛がわれた今日の服は、簡素な白いワンピースでした。
よく見ると背中が大きく開いたホルターネックのデザインです。
やわらかな肌触りが気持ち良い膝丈のワンピースは、豪奢な館には不似合いなほどシンプルなデザインでしたが、見る者が見ればそれとすぐに分かる上等なものです。

首の後ろでリボンを結び、なまえはホルターネックのワンピースを身に纏いました。
目立った装飾や模様はないものの、ふわりと流れる裾が清淑です。
彼女のためにあつらえたようにぴったりでした。

しかしそこで、なまえは楚々とした容貌を陰らせました。
どうしよう、と小さく呟きます。
愛らしい黒い瞳は、手元へと落とされていました。
なまえの目の前には、首輪と手枷。
手枷からは細い鎖が伸びています。
今日、彼女に宛がわれたものはワンピースだけではありませんでした。
黒々と冷たく光る金属の首輪と手枷は見るからに頑丈で、とてもひとの力だけでは破ることなど出来そうにありません。
やわらかななまえの身には、硬い金属の塊は重たすぎるでしょう。
しかし、彼女はこの首輪と手枷を着けなければなりません。
なぜならこれが今日のなまえの装いだからです。

手に取ると、重い首輪はひんやりとしていました。
金属の感触に眉根を寄せつつも、なまえは苦労して首輪を嵌(は)めました。
しかし、どうしても黒い手枷を己れの手首に嵌(は)めることが出来ません。
途方に暮れていると、いつものように静かにノックが響くのです。

「準備は出来ましたか」
「バーボン……」

お世話係のバーボンが、品の良い動作で部屋に入ってまいりました。
クラシカルなシャツや黒いベスト、瞳の色と揃いのループタイ。
特注の白手袋は彼の手指にぴったりと沿い、美しいラインを描いています。
そして磨き上げられたぴかぴかの黒い革靴。
一見ストイックな装いですが、見る者全てを堕落させるような蠱惑的な表情でなまえを見るさまは、彼のエキゾチックな容貌と相まってそれはそれは美しく、アスモデウスもかくやという艶(なま)めかしさでした。

情欲の悪魔を、なまえはおずおずと見上げます。
叱られてしまうのを恐れるように、瞳は潤んでおりました。

「あ、あのね……手枷が」
「ああ、なるほど。僕がしましょう」

すぐに理解したバーボンが、なまえから手枷を掬い取ります。
白手袋に覆われた美しい手と、金属の黒手枷がなぜだか妙に淫靡でした。

バーボンはなまえの両手首を拘束し、次いで、手枷から垂れた鎖を首輪へと繋ぎました。
かちゃりと小さな施錠音が響きます。

――これでなまえの自由は極端に制限されました。
罪人のように胸の前で手指を組まされ、首輪と手枷を繋ぐ短い鎖のせいで、満足に腕を伸ばすことも叶いません。

「ふふ……良い格好ですね」

バーボンが薄く微笑みます。
うっすら熱を孕んだ青い目で見下ろされ、なまえはびくりと身をすくませました。
楚々とした愛らしい娘がそうしてふるえる様子は、男の庇護欲を否応なしに掻き立てましたが、しかし同時に雄の嗜虐心をも刺激しました。
それに、なまえも恐怖のためにふるえたのではありませんでした。
間違いなくそれは――期待。
あるいは渇望と呼んでも差し支えないでしょう。

「――しかしそんな暇もないですしね」
「あ……」

しかしにべもなく彼はふいと顔を逸らしました。
呆気ないほどつれない態度に、気取られぬようなまえは小さく肩を落とします。
昨日は触れてくれたのに、と胸のなかだけでこぼしました。
時間に余裕があったのでしょうか、昨日は彼女が恥じらいを忘れ去り、淫らな叫びを上げるまで、このなまえの部屋でバーボンはなまえの肉体を貪りました。
あのミルクティーのような甘い肌に触れられた折を思い返すと、なまえは腹の奥がずんと重たくなるような心地がいたします。

「はあ……」
「なまえ?」
「な、なんでもないの、ごめんなさい」

なまえはなんとか笑みを取り繕い、バーボンを見上げました。
この鳥籠に住まう「快楽の娘」たちは、日常的に与えられている「薬」のおかげで、いつも雄の精に飢えておりました。
なまえも例外ではありません。
なまえ生来の淫蕩さゆえか、あるいは館の者たちによって淫らに作り替えられたためか、彼女はいまも甘く痺れる肢体をもてあましています。
もしかしたら既に下着が汚れてしまっているかもしれません――先程着替えたばかりだというのに。
なまえははしたない自らを恥じ、同時に背徳感でますます腹の奥が熱く疼く心地がしておりました。

「さて、"お部屋"に参りましょうか。お客様がお待ちです」

肉体の奥底から湧き上がる淫猥な衝動に苛(さいな)まされているなまえを知ってか知らずか、無情にもバーボンがそう呟きました。
なまえも拘束された手をきゅ、と握り締め、大人しく頷きました。


(2018.11.16)
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