時々、自転車から酷く転げ落ちたくなることがある。それは私のマゾヒズムによって引き起こされる衝動である――とでもいえば、それはそれで決着と相成るのかもしれない。まあ勿論、それだけで納得するという人は奇異である上、いささか物分りが良過ぎるのではないかと思うが。物分りが悪い人よりは、こちらのことを推し量る能力を持ち合わせている方が好ましいのが一般常識的である。しかし、私はそこまでは求めておらず、それが酷く曖昧かつ身勝手な基準とは解ってもいるのだ。
 まあとにかく自転車から酷く転げ落ちたい等という衝動は、私のマゾヒズムによって引き起こされるものではないのである。なぜならば、残念ながら私はそういった性癖を持ち合わせていないし、私は自転車から転げ落ちる以外、自主的に怪我を負おうとは思わないのだ。というよりも大体私は――それが当てはまるか否か、という問題を別にして――マゾヒズムという嗜好を正確には理解していない。私の指すマゾヒズムとは、精神的肉体的に苦痛を受けることによって性的快楽を得ることをいう。勿論それが正確だとは思っていないし、そもそも私はマゾヒストではないと思っているので理解出来ないのも無理はあるまい。そもそもそんなものは第三者からの視点によって判断されるものであり、私がいくら客観的に自分を分析しようと努めようが、それはあくまで「思い込み」に過ぎない。
 むしろ私は身体的な苦痛など出来るだけ避けたいと思っている。

 にも関わらず、このように病院のベッドの上で身動きが取れなくなっているのは、やはり私が自主的に自転車から転げ落ちたためである。幸いそれを目撃されはしなかったので、私は重たく感じる灰色の雲が埋まる冬空の下で、三時間も冷たいコンクリートの上でぼんやりとしていた。そして気違いじみて正義感の強い通行人が偶然にも通ったおかげで私は救急車によって運ばれた訳であるが、気違いじみたという表現はあまり良くないのかもしれない。だが少なくとも私は、自主的に自転車から転げ落ち左脚の骨を折った挙句、頭を二針も縫った女を助けようとは絶対に思わない。そういった意味において、確かにその哀れな通行人は気違いじみていると言って良いと私は考えている。
 まあとにかく、私は時々自転車から酷く転げ落ちたくなることがあるのだ。痛みを求めてした行為ではない、私は「自転車から転げ落ちたい」が故に転げ落ちた。つまりこのように行動の自由を制限された上、痛みに眠ることすら妨げられていることを求めてした行為ではなく、落ちた後に付いてきてしまったおまけ――つまり結果論として呻き声を上げているのである。これは誰も理解しないだろうし、また私は理解を求めてはいない。こういうと私こそ気違いじみているようだが、人間誰でも必ず突発的な欲求というものを持っているだろう、私はそれが慢性的なうえ自転車から転げ落ちることだっただけで。

 そして人の欲求というものは、時折飛躍的に発展するものだ。残念ながら私の欲求は、それ以外に何も(勿論痛みなど論外である)求めなかった。しかしながら、ただ、場所を求めていた。場所とは自転車に乗り、漕ぎ、落ちる場所のことである。私は今までずっと私が落ちたいと思った瞬間に転げ落ちていたが思い返してみれば、それはいつも重たく感じる灰色の雲が埋まる空の下だったように思われる。多分、私はそういった天気の時にそういった気分になるのだろう、多分というのは、私も自信がないからだ。まあしかし、ほとんど全てのこういった「事故」は突然の衝動、つまり慢性的かつ突発的な欲求だったのだが、一度だけ計画的――そのように言って良いのか解らないが――突発的ではなく自転車から落ちたことがある。否、それは自転車と一緒に落ちたことがあるといった方が正しいのかもしれない。

 幾年も前のこと(大変曖昧な記憶でしかないのだが)、十五階建てのビルの屋上から自転車で落ちた。それは達成された、ということについては成功といえるのかもしれないが、自転車から落ちる、という行為においては失敗した。何故ならば、自転車で屋上から落ちたのであり自転車から落ちたのではないから、そういった意味で私は非常に落胆していた。当時そのことが新聞に載るほど騒がれたのは、普通十五階建てのビルの屋上から落ちる等ということを人間はしないからである。しかしまあ、私は自転車から転げ落ちたかっただけであり、私にとっての奇異はこの時の場所がコンクリートの真上ではなくビルの上からであったこと、更に突発的な衝動ではなかったことだけだった。これは私にとって最初で最後の行為である(こんな言い方は陳腐過ぎるので吐き気がしたが、実際にそうなのだから表現についての印象は捨て置こう)。
 その日も確か憂鬱になるほど空が低く、一つ残らず雲は灰色で私は空を鬱陶しく仰いだ。雨が降りそうだと思っていたにも関わらず、冷たい水滴は終ぞ降ってこなかった。別に雨が降ってくることを待っていた訳ではないが、腹立たしいくらいに皮膚と服の間に纏わりついて不快な気分にしかさせない湿気がどしゃぶりの雨によって少しでも緩和されることを知っていたので、私は傘を持っていなくとも自転車には乗って外に出ることにしたのだ(だから私は傘を持つ余裕などなかった)。私はふと、これはまたきそうだなと幾分冷めたように自分の未来について思った。はっきりいってこのところこんな天気が続いていた所為で、私の頭と脚から包帯は取れておらずじくじくと痛んだが、そんなことを容易に忘却の手に委ねるほどその時の衝動は酷かった。なんだというのだろう、人込みの中にいた所為で私は自転車には乗らず押して歩いていたが、これは駄目だと思った。乗ってはならないが乗りたい、どうせ乗っても直ぐに降りることになるのだから。私の脚はあろうことかその自転車(私は直ぐに自転車を壊すことでも有名だった)(大変都合の良いことに、この時の自転車は取りたたみ式のものだった、これを運命といわずなんという?)をきっちりと折りたたみ、手持ちの大きなバッグの中にしまった。はっきりいって何故かかなり重く感じられ私は恨んだが、恨む対象がなんなのか自分でも解らなかったしそもそもそんなことを考える余裕すらなかったので、出来るだけ早く楽になりたくて直ぐ横にあった建物の中に入った。ぼんやりしていた訳ではない、ただ衝動に突き動かされていただけなのだ、誰も止めてはくれなかったのだから。私はその儘エレベーターで最上階、屋上へ上った、誰も止めなかったのだ。誰かが不審に思って声をかけさえしていれば、私はあんなことをしなかったかもしれないと思ってもそれはもう既に遅く、もし仮に誰かが話しかけていれば私はその儘その邪魔者を殺していたかもしれない。勿論それは仮定の話であり実現し得なかった私の妄想である為、全く関係のない可哀相な誰かは私と関わらずに済んだのは幸運とすべきだったろう。
 雨は降っていなかったが別に私は雨を望んでいた訳ではなく、ただ雨の降りそうで降らない空を何故か強烈に未だ記憶しているのだ。とまれ雨は降っておらず、私は冷たいコンクリートの上で先程きっちりとたたんだ自転車をゆっくりと本来の形に戻していった、誰もいなかったのだ、誰も止めなかったのだ。そして今までとは比べようもないくらいの開放的な空間(私を囲む要素の一つである天井というものはなく、いつもよりも低い雲のみであった)で自転車を漕ぎ出した。ああ、ああ、ああ。私は夢遊病者的な様相をしていたかもしれないが、少なくともそこに私を異常者だと糾弾するものはおらず、私は自分の思うが儘に自転車に乗り、漕ぎ、――

 心底残念だが、私はその時のことを覚えていないのだ。


「――ということですよ」「これはどういう話なのであるか」「ですから、」「我輩はなまえの話をしろと言った」「そうですね」「しかしそれでは」「ええそうですね、それでは私は死んでしまったかのようです」「……」「しかし、どうですか? 別に十五階建てのビルの屋上から落ちたからといって、100パーセント死ぬと決まっている訳ではないでしょう?」
 そうしてふんわりと微笑んだ女は、大変美しいかったのです。しかし、それは腹立たしいことに、教師のように自分に絶対的な自信のある押し付けがましさが見え隠れしていました。スイスはそのような感情を自分に向けられること自体が大変嫌いでした。ですから不愉快げに眉を寄せ、大層整った造形の口を歪めました。それをなまえは悲しそうに見ました。しかし、別段それについて何も言うことなくその腹立たしい笑みを浮かべ続けました。そしてスイスも別段それについてなにも言うことなく、その腹立たしい笑みを見詰め続けていました。「しかし、」「貴方は国です。ですから簡単には死なない。国には死ぬ、という定義がないから。ですが勿論、国家転覆はいつでも起こりうることです。そして人は死ぬものです」
 そしてなまえは、なにか難しい数式でも与えられた生徒(残念ながら彼女は、生徒という集団のように教師に追従的でも素直でもなかったのですが)のように首を傾げました。――「スイスさん、」

 そこで何の前触れもなくスイスは愛銃の引き金を引きました。たん、と酷く簡単な無機物的な音がしました。武装中立国として軍備にぬかりはありません。そうしなければ生き延びることは不可能だった歴史があるからです。そして永世中立国としての誇りもあるのです。それはとても稀有なものでしょうから。どうせ植民地獲得に明け暮れる、イギリスやフランスに占領されて終わってしまうでしょう。まあ、そういった国としての誇りなどは後からとって付けられたものでした。けれど、とにかくそういった経緯の賜物でしょうか、寸分違わず完璧な精密さで、女の額には風穴が一つ開きました。女は汚い脳漿を飛び散らせました。簡単に床に落ちました。
 は、と声が出ました。「死ぬではないか」小さく呟いて傍に落ちた空の薬莢を拾い上げました。そしてそれを口に含んだあと、飲み下しました。たいして意味はありませんでした。それは強いていうならば、なまえの話の中の女のように(スイスはなまえが話した彼女自身をなまえとは認めていないのです)、「時々、自転車から酷く転げ落ちたくなる」ようでした。突然そうしたくなったからしたのです。それだけで理由は充分に思われました。なまえも、その理由ならば納得するでしょう。
 口の中にはまだ、火傷しそうなほど熱い不快な金属の味が残っています。

 汚い脳漿を飛び散らせたなまえ。抵抗などしませんでした。勿論そんな暇などなかったのですが。自身の状況把握をする前に床に落ちていました。ありきたりな表現を厭わないならば、それは一瞬の出来事でした。
 なんとなく引き金を引いたスイスは、もし打つ前に銃口を彼女の額に沿え、三、二、一、とカウントダウンでもすればなまえは逃げていただろうか、と思いました。

 十五階建てのビルの屋上から落ちても死ななかったというなまえは、銃によって死にました。ならば、銃などでは死ぬことの無い自分は、屋上から落ちて死ぬことは可能だろうかとスイスは考えています。

千切れたを拾った
(20071001)
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