ほかほかと湯気を立てるティーカップを手に、わたしは「あなたがなにを考えているか分かりません」と、今日だけで通算三度目になる呟きを漏らした。

例えば、我らがリーダーのような崇高な精神や、比類なき戦闘能力が備わっているはずもない。
例えば、上司である副官のように、観察眼に優れている訳でも、頭が切れて複数人の統率を取ることができる訳でもない。
例えば、同僚である人狼の彼女のように、非常に珍しい特別な能力を有している訳でもないし、愛らしい容姿しているでもない。

ここで一端職場から目を離して、とりあえず売店で山積みになっているゴシップ誌をぺらぺらとめくってみれば、ヴィクリトアズ・シークレットのエンジェルたちが挑戦的に微笑んでいる。
彼女たちみたいな美貌やプロポーションを持っているでもなく。

……いや、比較対象があんまりにも優れすぎていた。
このままでは自己嫌悪で憂鬱になるばかりだ。

とにかく普通なのだ、わたしは。
それもとびっきりの。
他人に「取り敢えずそこらを歩いているてきとうな人間を選んでみたらあなたでした」と言われても、わたしは多分納得できてしまえると思う。
わざわざ誰かに指摘されるまでもなく、わたしは自分のことを、いくらでも取り代えのきく、そこそこ使える下っ端だと、悲しいかな、しっかり認識していた。

だからこそ、”彼”に目を付けられる理由がまったくもって分からなかった。
強いて挙げるなら、”普通すぎる”ことが自分の飛び抜けた点かもしれない。

本部から出てストリートをひとりで歩いていると、突然視界がブラックアウトしたのがついさっきのこと。
驚いてまばたきをすれば、眼前には、堕落王と、白いテーブルクロスに覆われたティーテーブルと、美味しそうな紅茶という、鳥肌が立つほど恐ろしくのどかな光景が広がっていた。
どうやら強制的に、ティータイムのお供にあずかることになったらしい。

わたしの意思はどこへ行ったのだろうかと嘆くのも馬鹿らしくなってくる。
なぜなら、こうして突然、彼によってどの世界、どの次元かも分からないトンデモ空間に拉致されることは珍しくもなく、日常の一部といっても過言ではないほどに頻発していたからだった。

彼が言うには、わたしを気に入ったということらしい。
果ては、好意を持っているとまで告げられた。
何度考えてもなにを考えても、彼はどこかおかしくなってしまったのではないかとしか思えない。
……いや、元々、どうしよもうなく手におえない超人格破綻者ではあったけれども。

「……やっぱりよく分かりません」
「そうかい! まァ、無知蒙昧で、暗愚の極みに位置する人間に、僕の思考が、嗜好が、理解できるなんて、まーったく、これっぽっちも、思っていないから安心してくれたまえ!」
「はあ……。そもそも堕落王、あなた……千年も生きてるんでしょう? わたしこれから先、たった百年すら生きることもできませんよ」

千年もあれば、どんな人間にも出会うことが出来ただろうに。
なにかしらに特別秀でたひともいただろうし、彼の好む奇奇怪怪な突拍子もないことをしでかすような面白いひとだっていただろう。
少なくともわたしのようなただの普通の人間に、かまう理由などあるはずもない。
更に付け加えるなら、彼に比べようもなく短命な人間という種に、どうして好意を持つことができるのかも全く理解できなかった。

教師に難問を解くよう指され、黒板の前で立ち尽くす生徒のように、途方に暮れた心持ちだ。
そんなわたしの顔を見て、なにが楽しいのか、彼はまた大きく笑った。

なにを考えているのか分からなくて不気味極まりないやら、はやくこの場から逃げたいやらで視線をさまよわせていると、ふと、真っ白なテーブルクロスの上、飾られた小さな花に目がとまった。

「……きれいですね」

しかめっ面をしていたのが、思わずほころぶ。
ティーカップのように口が広く底の浅い活け皿には、やわらかな色をした花々が、いまが最盛といわんばかりに咲き誇っていた。
見たこともない種類の花たちだ。
わたしに知識がないだけかもしれないけれど、もしかしたら人界のものじゃないかもしれない。

「……君は、花が好きかね?」

堕落王は優雅ささえ漂わせて、ティーテーブルに頬杖をついた。
顔のパーツのなかで唯一露わになっている口は、楽しく堪らないと言わんばかりに、にい、と大きく弧を描いている。

「好き、というか……。まあ、たしかに、好きですね。あんまり詳しくはないし、クラウスさんの植物たちのお世話を手伝わさせてもらう程度しか、普段は触れませんし。特別好きって訳じゃ……というか、そもそも、花が嫌いなひとってそんなにいないんじゃないですか」

キミは普通だからね、それが普通の感覚なんだろう、と心底馬鹿にしたように堕落王が笑う。
彼は頬杖をついたまま、きれいに飾られた生花を指さした。

「花ってものは本当にすぐに枯れる。こんなふうに切って飾れば余計にね! 変化しないようこの状態を固定するのなんて、僕にとっては息をするより容易いが、まあ、普通はすぐに枯れてしまうものだろう?」
「……そうですね。というか誰が用意したんですか、これ。あとお茶も」
「まあまあまあまあ、そんな瑣末なことなんていまはどうでも良いんだよ! そんなことより、なまえ、ひとつ質問だ。君、まばたきする間にさっさと枯れてしまう花なんか非合理なものを、どうして好きなどと吐くのかい?」

にまにまと三日月を描く口が、虚を突く抽象的な問い掛けを投げてくる。
その笑みをみていると、『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫をふと思い出した。

「ええ? 非合理なんて言われても……。合理性とか目的とか、なにかしら考えて花を見ることってないんですけど」
「まったく、ハナから考えることを放棄して! だから君は凡庸かつ浅慮で愚鈍だと言っているんだ! いいから考えたまえ、そして答えるんだ」
「……そんなボロクソ言わなくても……。ううん……ええと、はやく枯れるからって、花がきれいなことに変わりはないですよね。……それに、花をきれいだと思うのと、花の寿命って関係ないと思うから……ですかね」

あれ、答えになっていないような気がする。
そもそもこういう抽象的なことって、わたし、考えるのに向いていないんだろう。
上司のスターフェイズさんにも、「君には情緒ってもんがないみたいだ」って言われたことがあるし。

うんうん唸って悩み込む。
……というか、どうしてわたし、こんなに真面目に考え込んでいるんだろうか。
なぜそんなことを聞くのかと、真っ当なことを尋ねようと顔を上げる。

真正面からわたしを見つめていた堕落王は、笑んだまま、さらりと呟いた。

「それと同じことだよ」
「……は、なにが、」
「僕が君を思うのは、いま君が出した答えのようなものだってことさ」

君の答えが僕の思考に届くなんて、明日、HLで世界最終戦争でも勃発するかもしれないね!、なんて、恐ろしく物騒なことを楽しそうに言う堕落王に、わたしは手をふるわせることしかできない。
だって、そんな、まさか。

「……なんだか、それって……あなたがわたしのこと、花みたいに思ってる、よう、ですね……」

自分で言っていて、ものすごく恥ずかしくなった。
言葉の最後の方は、もごもごと口のなかで転がすような不明瞭さで、ちゃんと伝わったかどうかすらも怪しい。

羞恥で顔が熱くなってくる。
”あの”堕落王が、凡人代表のレッテルを貼られたわたしみたいな人間に、そんなことを告げるなんて、そんなまさか。
夢なら覚めてほしい、夢だと笑われる方がずっと現実味のあることのように思えた。
というか、花みたいだとか、そんなふうに女性を形容できるようなひとじゃないし、なんというか、――ああ、とりあえずここから逃げたくなってきた。

「なんだい、やれやれ。やっぱり君は、どうしようもない愚昧だね」

ただでさえ大きかった笑みが、もっと深く深くなる。
そっと手を取られる。
あまりの予測不可な事態に、抵抗はおろか、言葉すら全く出てこなかった。
ただ目を見開く。

「はじめっからそう言っているだろう?」

ああ、凡庸かつ浅慮で愚鈍な、普通の人間は、こんなときになんと返事をするべきなのかも分からないのだ。


(2016.05.17)
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