折原臨也という人間は、存外変なひとだと思う。
変というのは別に、“普通”と違っているという訳ではなく、ただ、その明晰な頭脳が思考し判断し行動に移してしまった結果が、いつも他人の神経を逆撫でし、迷惑かつ悲惨な結末をもたらしてしまう(しかも本人はきちんとそれを自覚かつ想定しているときた)ものばかりだった、というだけなのだ。

ゆっくりと言葉を選びながら、要旨というには曖昧な自覚はある与太を呟いた。
上品な仕草で紅茶(ちなみに今日はわたしが淹れた)を飲んでいた波江さんは、「なまえがアレをどう思っていようが心底どうでも良いけど、」と前置きした。
言うに事欠いてアレって、そんなけったいな呼び方しなくても。

波江さんとわたしはなんの変哲もないシンプルなテーブルに向かいあって座り、本来の家主が外出中なのを良いことに、のんびりとティータイムを楽しんでいた。
ちなみにその家主が知ったら驚くだろうけれど、たいていわたしと波江さんの会話の主なネタは、恋について、である。
波江さんは矢霧くんの、わたしは臨也さんの。
まあ彼女は自分の雇い主のことに完膚なきまでに興味がないらしいので、わたしはもっぱら聞き役であることが多いけれど。

波江さんが口を開く。
丁寧に口紅の塗られた唇が、つややかに光ってとっても色っぽい。

「なまえがアレを美化しようが盲目的になろうが私は一向に構わないけど、少なくともあの性悪を普通の人間だとは私は思えないわね」

わたしみたいな小娘が逆立ちしたって出来ないアンニュイな雰囲気を醸し出しながら、波江さんが呟いた。
白い目蓋を伏せて、カップをぼんやり見つめる顔は、同性であるわたしから見てもとてもきれい。
ついうっかり道を踏み外しそうになる。

「そうですか? “普通”の範囲がイマイチ分かりかねますが……そうですね、世間一般的に普通、首だけを愛しているひとや、肉親に性欲をも含めた恋愛感情を抱くひとは、おかしな人間だってことはわたしにも分かりますよ」

突発的にガタッと椅子から立ち上がった波江さんがなにか行動を起こす前に、即座に「まあそれは世間一般であってわたしの考えではない上に、わたしは矢霧くんは優しくて礼儀正しい好青年だし、波江さんはとても頭の良いきれいなお姉さんと思っています」と続けた。
それを聞いて、目の前の女性は溜め息をひとつ吐くと、上げていた腰をすとんと戻してくれた。
ついでにほとばしらせまくっていた殺気も引っ込めてくれた。
本当にこのひとは弟さんが絡むと怖い。

「……そういえば、授業中に珍しく矢霧くんが居眠りしてましたよ。そのときの隠し撮りができたのでどうぞ。張間さんが写っていないので、最近のではレアですよ」

ご機嫌を損ねてしまったお詫びに、クラスメートの隠し撮り写真を恭しく献上すると、波江さんは一気に破顔した。
「ああっ誠二、居眠りなんかしちゃダメじゃない」と写真を抱き締めて頬を染める美人さんを見ながら、わたしはお茶請けのクッキーを消費した。
やっぱり美人なお姉さんを見ながらだと、余計に美味しく感じられる。
本当にこのひとは弟さんが絡むと可愛い。

外では依然、雨が降り続いている。
重たげな灰色の空はひどく低く、まるで腕を伸ばせば容易く手に取って食べることが出来てしまいそうだとぼんやり考えた。
そんなことを取り留めもなく、写真に向かって話し続けている波江さんを前に考えていると。

「ただいまー」

ガチャ、と玄関のドアが開く音がする。
わたしは飛び上がって駆け寄った。
ああ、臨也さんがやっと帰ってきた!
離れている間、胸が苦しくて痛くて、わたしはもう少しでこの胸に台所の包丁を突き立てるところだった。
慌ててカップをソーサーに置いた際、中身が跳ねてこぼれてしまったような気がするけれど、まあいいや。

「おかえりなさいっ、臨也さん!」

ああ、ちょっと疲れたように眉を寄せている姿もとても美しいし、少しだけ雨の匂いを纏っている臨也さんの香りも愛おしいし、わたしがおかえりなさいと飛びつくと、苦笑して優しく抱き留めてくれるところも、すべてすべて、

「愛してます、臨也さん!」

臨也さんの体温が泣きたくなるほど愛おしくて、鼻の奥がつんとした。
ああ、臨也さん臨也さん、臨也さんがここにいてわたしを抱き締めている!

「……俺が出ている間、なんかあったの?」
「いいえ何も。だいたいあなたが外出して30分も経ってないのに、何かある訳ないじゃない」

感動の再会に感極まっているわたしに対して、臨也さんも波江さんもドライ過ぎるんじゃないのか。
大袈裟ねえと肩をすくめた波江さんが、視界の端にちらりと映る。
波江さんだってさっきまで写真を抱き締めて話しかけてたくせに、と口を尖らせれば、「わたしが話しかけていたのは写真じゃなくて誠二に対してよ」と完璧に訂正されてしまった。
うふふ、わたしが抱き締めているのは生身の臨也さんですけどね!

「……あなたも充分、変な人間よ」

お似合いじゃない、と溜め息混じりに吐き出される。
お言葉ですけどそんなもの、愛するひとの前じゃあ1グラムだって重みを持たないって――たぶん、彼女がよくご存知のはず。


(2015.06.17)
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