Al mismo tiempo.



「ほんっとにエキサイティングな街ね! 夫に大金を出させて来たかいがあるってもんだわ」

愉快げにHLの夜景を見下ろしながら、大袈裟なジェスチャーを交えつつ女が声をあげた。
照明をしぼったホテルのスイートルームで、派手なブロンドの髪が外からの光に照らされて鈍く輝く。

「君が楽しんでくれているなら、僕も嬉しいよ」

この女にとっては、HLの物騒な事件も血なまぐさい争いも、テレビや映画のなかで起こるのと同じ”娯楽”の一種なのだろう。
スティーブンは思わず舌打ちしそうになる衝動を抑えつつ、嫌味にならない程度にそっと彼女の腰へ腕をまわした。
彼の好みではない主張の激しい甘ったるい香水に、顔をしかめそうになるのも仕方あるまい、寧ろなんとか笑顔をキープしている自分を誰か褒めてくれといった心境だった。

この頭の空っぽな女は(非常に残念なことに)、ライブラにとって有力なスポンサーである資産家の夫人だった。
夫の金にものを言わせ、優雅にHLへ観光でやってくると連絡を受けたとき、スティーブンは本気で頭を抱えた。
挙句の果てに、自らの護衛に彼をご指名ときた。
疲れ切った夫から「どうか妻を頼む」と電話越しに告げられたとき、いっそそのままスマートフォンごと氷漬けにしてやれば良かったと思わずにはいられない。

テレビやインターネットで日夜喧伝される、HLの非現実さに興味を持ってしまったのが運の尽き。
更に、実際に訪れてみようとする要らぬ行動力と、自分の考えを曲げることを知らない身勝手さが、彼の疲労に拍車をかけていた。
HL観光をしたいと言い出したとき、夫をはじめ周囲の人間は必死にとめようとしていたらしいが(スティーブンはなぜそこで殴り付けてやらなかったのかと詰問したかった)、奔放かつ傲慢な彼女を押し留めることは出来なかったらしい。

スマートフォンのカメラで遠慮なく大量の写真を撮り、自慢げに友人たちに向けてHLという”娯楽”を発信するのも飽きたらしい女は、ゆったりとスティーブンの肩へもたれかかった。

「明日からの案内と護衛よろしくね、スティーブン?」
「……勿論。君とこうして過ごすことが出来るなんて夢みたいだ」

……本当に夢だったらどんなに良いか。
うっかり吐き出しそうになる悪態と溜め息をなんとか堪えつつ、スティーブンは今日を含め三日間の任務に早々と絶望していた。
確かに依頼主であるスポンサーからは「妻を頼む」と言われていたが、まさかこんなことまで「頼まれた」覚えはない。
このことは夫も公認なのか、もしそうなら、仮に先々泥沼の事態にでも発展した際、どうか自分とライブラは巻き込んでくれるなよと心底願いながら、どんよりと霧の立ち込めたHLの夜景を見つめた。

そんな彼を余所に、女がねだるように甘ったるい声でスティーブンを呼ぶ。
白い手が急かすように、几帳面に結ばれたタイを引いた。
丹念にデコレーションされた女の爪は、まるで武器のように鋭い。
背中に爪痕を残すんじゃないぞと憎々しく思いつつ、スティーブンは女のうなじに噛み付いた。

ああ、なまえ、はやく君に会いたい。


(2016.05.20)
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