(※つみより注記:こちらは「Take On Me」リリィさまより賜りました。ありがとうございます!)
自分自身が几帳面で神経質であることは知っている。
だからこそ、私は今とてつもなくイライラしている。
…なんだあの家の玄関の花は…!
しばらく手入れされていないし昨夜の台風でぐちゃぐちゃだ…!
いつも車で通っている住宅街の中のとある一軒。
普段なら気にも留めなかったが、美しい町並みの中にたった一つだけある許しがいた光景。
早く立ち去るために、私はアクセルを踏む足に力を込めた。
-Without You-
―翌朝―
その日は休日であったため、吉良は『恋人』と共に町を散歩していた。
夏の暑さも落ち着いて台風も去った今日は、秋晴れの穏やかな天気だ。
(今日は海辺にでも行ってゆっくりと話をしようか。)
スーツの中にいる『恋人』に語り掛けると、彼女は優しく吉良の胸を撫でる。
顔色一つ変えないが、吉良は満足げに瞬きをした。
その時だった。
ブシャアアアアアアッ!
「…………。」
「あ…ああああ!ごめんなさい!」
突然、右の方から吉良めがけて水がかかってきた。
その水が、散水ホースから出ているものだと気づくのに2秒、
散水ホースの操作を誤って吉良に水をかけた女性が、昨日町の景観を崩していた花壇のある家の女だと気づくのにさらに3秒かかった。
今日着ているのは『恋人』が気に入るだろうと思って選んだ新品のジャケットだ。
「ああ…泥まで跳ねちゃってる…本当にごめんなさい!クリーニング代弁償しますので…えっと…」
「…吉良だ。吉良吉影…。」
「ああ、吉良さん…本当にごめんなさい…。」
(…さて、どうするか。)
完璧だったはずの町の景観を崩した上に休日の『デート』を邪魔した女。
この女がいるうちは、ストレスでよい睡眠がとれなさそうだ。
早々に始末してしまおう。
吉良は殺人の計画を頭の中で練りだした。
「吉良さん、どうぞ上がっていってください。ジャケット、すぐ乾かして汚れも少しなら落とせます。」
「…ああ、すまないね。ええっと…君は?」
向こうから家に上げてくれるとは好都合だ。
吉良は努めて紳士的に接する。
「なまえ。みょうじなまえです。さあどうぞ、一人暮らしで何もない家ですけど…。」
「…ああ、では失礼しようか。」
その時、吉良は彼女がとても綺麗な手をしていることに気付いた。
泥だらけで爪の中にも砂が入っているが、指は長くて細く、肌も白い。
丁度、『恋人』が臭ってきたころだった。
吉良は静かに、胸ポケットに入っている『恋人』を爆破して消した。
「…ほう、きれいに手入れしてあるんだね。」
「あ、ありがとうございます…。」
家の敷地内に入って庭に目をやると、季節の花が色とりどりに咲いていた。
「趣味なんです。植物を育てているとなんだか心が落ち着いて…。植物みたいにのびのびと平穏な毎日を送りたいなあーって。」
「なるほどね。」
自分と似たような考えを持つ彼女に、吉良は親近感を覚えた。
そしてその時、吉良は初めて彼女の顔をちゃんと見た。
どことなく、人の心を落ち着かせる雰囲気が漂っている。
話し方もゆったりとしており、声色も心地よい。
「…仕事の関係で、いつもこの家の前を車で通っている。実は、昨日は玄関の花壇が荒れていたから何があったのだろうと思っていたんだよ。」
「あ!そうだったんですか…!」
なまえは慌ててほほ笑んだ。
「急に親戚の訃報が入って…。1週間ほど実家に帰っていたんです。慌ててたものだからお花もほったらかしで…かわいそうなことをしてしまったわ。やっぱり、気づかれちゃいましたね。」
「ああ、そういうことだったんだね。」
「あ、お茶淹れますね。ジャケットお預かりしておきます。」
「ああ、すまない。」
(…おかしい。)
吉良は違和感を感じた。
迷惑をかけたのは彼女の方であるのに
自分は今から彼女を殺そうとしているのに
なぜか完全に彼女のペースだ。
吉良は促されるまま瀟洒なソファーに腰かけ、出された紅茶を飲んだ。
庭に目をやると、一角に青紫色の美しい花が咲いている。
吉良はぼうっとその花を見た。
彼の心は、今平穏そのものだった。
「…ふふ、キキョウですよ、そのお花。」
「…っ…。」
どれほど時間が経っていたのだろうか、いつの間にか紅茶のカップは空になっているし、ジャケットは乾いて泥がついていた部分も少しではあるがきれいになっている。
「くつろいでいただけたみたいで、よかったです。」
深海すら思わせるような、安らかな声が吉良の脳内に響く
「クリーニング代、出させていただくのでもしお暇な時間があればその時に…」
「…ああ、そのことなんだが。」
吉良は彼女の手を優しく握った。
殺人以外の目的で、女性の手を取ったのは初めてだ。
『手』は話さないものだと思っていた。
しかし、この『手』は話さないと意味がない。
これからの、吉良の心の平穏のために…。
「…今日が、その暇な時なんだ。今から一緒に来てくれないかい?」
「…あら。」
彼女は目じりを下げて安らかにほほ笑んだ。
吉良はこれから先の計画を練り直した。
しばらく彼女の家にそれとなく顔を出そう。
そして、時が来たら我が家に迎え入れればいい。
この家の庭ごと、我が家に持ってくればいい。
彼女なしに、私の生活の平穏はないのだから。