(※つみより注記:こちらは「動物」炭素さまより賜りました。ありがとうございます!)




アイデンティティ・クライシス


 朝、カーテンの隙間からちらちらと光がのぞくホテルの一室で、私とJ・P・ポルナレフはお互いのベッドに腰掛けて向かい合っていた。ポルナレフは自分の額に触れて、ぽつりと呟いた。
「結局、お前の欲しかったものって、なんだったんだ 」
初めは彼が何を意図してそんな質問をしてきたのかわからず、困惑の表情を浮かべてしまったが、彼の仕草をみて、あるものが思い起こされたのがわかった。
「肉の芽のことだね」
彼が頷いた。普段はお調子者、という形容が似合う彼だが、今は真剣な表情だった。しかし私はそれはそれ、これはこれ、と捉えることに慣れていたから何も思わなかったようだ。
「日向の世界は蜃気楼、日陰の世界はダイダラボッチ。何ものも確実ではないの。とてもきれいに見えるけれど、それはショーケースの外から見る宝石と同じで。本当に私や他人は存在しているのか、紛い物ではないのか。そんな疑問が私に"実感"を欲させたんだよ。実感があれば私も他の人たちと同じように生きることができるのではないかな、ただ淡い色のベールに包まれているだけじゃあなくて、と 」
本当は、実感だよ、とだけ言うつもりだったのだが、私の意に反して、堰を切ったように声帯が震えて口が動いて止まらなかった。なぜかはわからない。なにせ実感が湧かないものだから。
彼は相変わらずの表情で言った。
「それで、その"実感"は手に入ったのか」
「手に入ったよ」
「で」
「"実感"がある世界は私にやさしくなかったよ。そんなことは予想だにしていなかったのだけれど。自他を外側から見ることができないの。そうなると、間違いが多くなってしまう。自意識にしか基づかない、不合理な判断しかできなくなってしまうんだね。しかもそれに気が付かないまま、すべてが太陽光が反射するコールタールみたいな色合いで見えて、更にはそれを良いと思ってしまうんだよ」
彼は黙り込んでしまった。私は付け加えた。
「あなたたちは皆そんな世界に平気で生きているの」
その答えは、この部屋に射し込んでいた輝きも知らないだろう。
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