コール


夜、お風呂に入っていると、部屋から電話の着信音が聞こえてきた。
こんな時間に誰だろう? と、首をひねる。
無視しても良かったけれど、仕事関係だったら後が面倒だ。

慌ててタオルを体に巻き付けながら浴室を出た。
水滴が落ちないよう濡れた髪を雑にまとめつつ、ぱたぱたと足早にリビングへ向かう。

テーブルの上で健気にも着信を知らせ続けているスマートフォンに「はいはい」と独りで返事をしながら、端末を手に取った。
液晶画面に表示されていた名前は――、

「……もしもし、昴さん?」
「こんばんは、なまえさん。夜分遅くにすみません」
「いえ……どうかしたんですか?」
「それが……明日、僕の運転で少年探偵団の皆と遠出する予定だったんですが、僕の都合で車が出せなくなってしまいまして……。博士もご予定があるとかで」
「なるほど、それで代わりにわたしにと」
「ええ、急な申し出で心苦しいのですが……」

近所の工藤邸に仮住まいしている、沖矢昴さんからの電話だった。
こんな夜遅くに突然電話をかけてくるようなひとではないから、少しだけ驚いてしまった。
とはいえ用件はなんとも平和なもので、思わず頬がゆるんでしまう。

彼とは、件(くだん)の少年探偵団の皆がきっかけで顔見知りになった。
事件に巻き込まれてしまったわたしを、小さな探偵たちが救ってくれたことがそもそもの発端。
事件自体はわたしにはなんの関係もないものだったとはいえ、不可抗力で容疑者のひとりとなってしまたのを、救ってくれたのが少年探偵団の子供たちだった。
――子供「たち」というか、大きな眼鏡をかけた、江戸川コナンくんというとても聡明な少年ひとりが主体となっていたような気もするけれど。
とはいえ彼ら皆はわたしにとってのヒーローで、未だに旅行にご一緒させてもらったり、今回のようになにかあったときにお鉢が回ってきたりする。
それまで会社と自宅を往復する日々だけが当たり前だったわたしにとって、子供たちはとても眩しく、大切な存在だ。
そんな彼らのお役に立てるなら喜んで、と微笑する。

「ふふ、構いませんよ、わたしも明日はお休みでしたし」
「折角の休日にすみません、ありがとうございます」

昴さんとは、そうして休日を共に過ごすうち、歩美ちゃんの「とってもイケメンのお兄さんがいるんだよ!」というなんともませた微笑ましい言葉によって出会うことになった。
大学院生で年下ということだったけれど、落ち着いた雰囲気や物言い、立派な体躯は惚れ惚れするほどで、とてもそうとは信じられない。
さすが目の肥えた歩美ちゃんのお墨付き。

「……ああ、でも、それじゃあ明日、昴さんとはご一緒できないんですね? お会いできなくて寂しいです」

明日の細々した段取りを終え、世間話がてら含み笑いしながらそう言えば、彼は大仰に「そうなんです」と嘆いてみせた。

「非常に残念ながら……。折角なまえさんがお休みと知っていたら、僕があなたを誘っていたんですが。個人的に」
「ふふ、お上手ですねえ、昴さん」

含み笑いが隠しきれず、つい笑い声が漏れてしまう。
彼はわたしを喜ばせるのが上手だ。
明日は自宅でゆっくりするつもりだったけれど、昴さんのリップサービスもいただいてしまったことだし、子供たちと遠出を楽しむことにしよう。

「またわたしから誘わせてください」
「ええ、そのときは都合を付けますよ、なんとしてもね」

昴さんとは探偵ものを中心に、ミステリー小説が好きという共通の趣味が高じて、時折読書談義なんてしていたけれど、そういえば最近はその機会にも恵まれていなかった。
いまお誘いしたら、まるで明日の運転係を請け負う交換条件みたいだな、と躊躇い、曖昧に笑う。
どうせなら交換条件なんかではなく、ちゃんと彼と会いたかった。

そんなことを考えていると、剥き出しの肩に髪からぽたりと水滴が落ちた。
そういえば、中途半端にお風呂を出てから5分ほど経過していた。
ちょっと寒くなってきたかなあ、と二の腕をてのひらで摩(さす)る。
けれどこうして昴さんと電話をしているのが楽しいのも、また事実で。

「――それではなまえさん、明日はよろしくお願いします」
「あ、はい、了解です。朝の10時にそちらに伺っても良いですか」
「ええ、結構ですよ。夜分に突然、すみませんでした……湯冷めして風邪を引かないよう、ちゃんと温まってくださいね」
「はあい、気を付けます。昴さん、おやすみなさい」
「おやすみなさい、なまえさん」

耳の奥にじんわりと沁み込むような、穏やかな昴さんの声で「おやすみ」と言われると、なんだか面映ゆい気持ちになってしまう。
頬が熱を持ちはじめているのは気のせいではないだろう。

もう少しだけこうして話していたい気持ちを自覚しつつ、スマートフォンをテーブルへ戻した。
明日、楽しみだなあ。

昴さんにも言われたことだし、ちゃんと温まってこようっと、とわたしは足早に浴室へ戻った。



どうしていままで風呂に入っていたことを知っているのか

(元ネタの方は初読時怖かったのですが、沖矢が相手だと、まあ盗聴なり盗撮なりしているんでしょうねで済んでしまう(済んでない)ので、恐怖が大きく削がれてしまうのが残念です。さすが現在進行形で隣家に住む小学生女児を盗聴している男)

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